聞き屋のたぬ吉

矛盾の総和が人生だ

【小説】タピオカ禁止法

 

「先ほどお電話した滝岡といいますが」

「滝岡さん、滝岡さん、えーっと、下のお名前もよろしいですか?」

「滝岡浩志です」

「はい、はい、えーっと、午前中にお電話されて?」

「ええ、そうです、商品の取り置きをお願いしてたんですが」

「そうですねえ、一件お電話いただいてるみたいなんですけど、ちょっと控えてあるお名前が……」

 

  レジに居たオバサンは手元の帳簿らしきものに記されているであろう名前をチラとみとめると、なぜか噴飯寸前といった表情へとじわり変化した。

 

「もしかして、〝タピオカ〟ヒロキ様ですか?」

 

 言った瞬間、もうダメ、ごめんなさい、と目顔で断るようにして口許に手をあてがうと、すん、と鼻から短い息をもらし、皮膚を震わせた。


 要するに、鼻で笑われたのだ。

 

「タ・キ・オ・カ・です、タピオカじゃないです。あと下の名前も違います」

「いやだ、これ誰が受け付けしたのかしら……えーっと、あら、これグェンちゃんだわ。もぉーすみません、すぐに商品お持ちしますので、ちょっとおかけになってお待ちくださいねー」

 

 オバサンは明るく謝りながら、それでいて申し訳なさなど微塵も感じさせないオーラを纏ってバックルームへと消えていく。

 

「くそっ、ふざけやがって」

 

 店長を出せ! と、よほどわめき散らしてやろうかと思ったが、もはや内容がくだらなすぎて怒る気力も湧かなかった。商品を受けとると、二度と来てやるものかと胸に誓い、足早に店をあとにする。

 

 

 実は苗字を間違えられるのは今回が初めてではなかった。

 

 特にタピオカブームと言われるここ半年ほどは電話での聞き違いが本当にひどくて、わざとやっているのかと思うほどしつこく間違えられていた。

 

 昨今の小売業などにおける人員不足問題、とりわけ外国人店員が急増している背景を考慮すれば、ある程度のミスは仕方ないのかもしれない。だからこちらも名前を名乗る際、相手がカタコトと知ればあたうる限りゆっくりと、慎重に聞き取りやすく発音していたつもりだった。

 

 ───にも関わらず、これだ。

 

 たった二文字とはいえ俺にだってプライドがあるから、申し訳ないがそこは看過するわけにはいかない。いくら流行っているからとて、ボケるのも大概にしてもらいたい。

 

 

 前々からタピオカ屋にできる長蛇の列を見かけるたび、そのあまりの盛況ぶりに、ちょっとブームが過ぎるんじゃないかとひとり冷笑していた。そこへ持ってきて「タピオカ様ですか?」なんて言われたものだから、それこそ最初の頃は列に向かって聞こえよがしに悪態をついたり、何なら大きめの舌打ちだってしてやった。

 

 猫も杓子もタピオカタピオカって、あんな黒いかたまりの一体どこが旨いのか俺にはさっぱり分からない。それ自体は味なんかほとんどしないはずなのに、一丁前に一杯六〇〇円近くも取り上げるのだから笑止千万。原価率一割の殿様商売、理解も財布も、こちらはまったく追いつかない。

 

 そもそもタピオカという食い物(飲み物?)はなにも最近になって急に登場したわけではない。俺の記憶によればたしか九〇年代初頭、ナタデココとかパンナコッタといった新種のスイーツが国内で流行したときに、その名前をよく見聞きしていた気がする。

 

 しかも当時のタピオカは今よりもずっと小粒で、色だって澱粉を練って固めただけの半透明、何よりミルクティーではなく、少量のココナッツミルクと合わせて食すのが一般的だった。

 

 ま、流行と一口に言ってもそれは至極ささやかなもので、さすがに現在のような数のタピオカ屋は街になかったけど、それでも正確には再ブームというのが適当な気がする。


 それに日本ではちょっと前まで、たしかパールミルクティーなんて名前で売ってたはずではなかったか。それがいつの間にやらタピオカに名前が変わっているのは、一体どういうことなのだろう。単純にそっちのほうが売れるからなのか。はたまた何かのプロパガンダか。いや、そこまでいくといささか穿ち過ぎか。

 

 

 他方、お隣の韓国やニューヨークなど、海外では同じタピオカでも「バブルティー」という名前で浸透しているらしい。誰が最初にそう呼んだのかは知らないが、それはまるでまだ日本が豊かだった、いずれ弾けるとも知らずに踊り狂っていたあの好景気の記憶の暗喩になっているようでもあった。

 

〈お前らは何度でも同じ失敗を繰り返す〉

 

 そう、これは所詮〝バブル〟であり、いっときの狂騒に過ぎない。けしてサステイナブルではあり得ない、やがて止まるはずの、ゼンマイ仕掛けのモンスターなのだ。

 

 現にひとむかし前のライダースナックよろしく、SNSに上げるためだけにタピオカを購入した挙げ句、撮るだけ撮って道端にポイ捨て、という現象が各地でちょっとした問題になっていると聞く。そんな馬鹿なことがあるかと一瞬思ったが、実際に某所の路地裏に放置されているのを見かけたときはさすがに我が目を疑った。

 

 そんな状況だったから、俺は本当のところ女子どもがタピオカについてどう思っているか知りたくなり(というよりも、表向きはそれを口実にして)、最近あまり会っていなかったセフレの茜にアテをつけ、連絡してみたのだった。

 


「やだ、久しぶりじゃん、もう連絡ないかと思ってたわ」

 

 夏もたけなわの七月下旬、待ち合わせのカフェに現れた彼女は以前よりもいくらか痩せたようで、綿麻の涼しげなワンピースからのぞく肩や腕まわり、それに顎のラインがほっそりとしていた。

 

「茜、ちょっと痩せたな。めしとか、ちゃんと食ってるのか」

「あ、やっぱり? 一応食べてるよ。てか、あたしも早く『食べてる』じゃなくて『食べさせてもらってる』って言いたい。なーんて」

 

 目の下に若干のクマができているのが見て取れたが、ひょっとすると本人も気にしているかもしれないので、そこは触れないことにする。

 

 彼女はタオル地のハンカチで額の汗を拭いながら、

「涼しー。でも相変わらず混んでるね、この店」

 と言って店内をキョロキョロと見回すと、いつものようにバチンと指を鳴らして店員を捕まえる。

 

 店内はたしかに混んでいたが、それはちょうど混んできた時間帯に自分たちが入店したため、他の客もそれに倣うように吸い寄せられた結果、さらに混み合ってどうしようもない、というような状態だった。

 

 もともとあまり静かな店ではないのだが、このあたりで喫煙可能なカフェといえばここしか思い当たらなかった。

 

 彼女はホットのカフェラテを、俺はアイスコーヒーをそれぞれ注文した。飲み物はすぐに運ばれてきたけれど、その頃には全身の汗もすっかり引いていて、むしろ冷房が効きすぎて肌寒く、自分もホットにすればよかったとちょっと後悔した。

 

 彼女も同じようにからだが冷えていたのか、胸元で結んでいた薄手のカーディガンを腕を通さず肩にかけると、シガレットケースを取り出して煙草に火を付ける。

 

「で、なに、今日はどうしたのよ」

 

 ゆっくりと煙をくゆらせながら、〈一応聞きはするけど最後は自己責任ね〉と念を押すかのような目つきで俺の顔を覗きこんだ。

 

「いや、別に折り入って何か相談があるとか、そういうのじゃないんだ。その、最近けっこうタピオカって流行ってるでしょ。茜はそういうの、並んだりするのかな、って」

「え、なになに嘘でしょ、そんなこと聞くためにあたしのこと呼び出したの!?」

「違うんだよ、最近本当によく間違えられるんだ」

「間違えるって、なにを」

「名前だよ。俺の苗字ってタキオカじゃん? それを〝タピオカ〟さんって、間違えられんの」

 

 あまりのおかしさに持ち手が震えてしまうのか、彼女はカフェラテの入ったカップを一旦テーブルに置いたのち、パシンパシンと手を叩きながら屈託なく笑い転げた。

 

つづく