聞き屋のたぬ吉

矛盾の総和が人生だ

「書かない」という描き方

 

高山羽根子の小説にはまっている。

昨年の10月に「オブジェクタム」という作品を読んだのがきっかけで大ファンになってしまった。あえてチープな表現を使ってみるが、これがなかなかにヤバい。

 

「ベルリンは晴れているか」で先の直木賞候補にもなった作家の深緑野分氏は、文藝冬季号に「彼我というもどかしさの中で」というタイトルで本作の書評を寄せている。

 

私たちはさまざまな断片に触れながら生きている。他者の振る舞い、電車の時刻表、SNSに流れる誇張したリアル、雑踏から漏れ聞こえる呟き、嘘か本当か自分でも曖昧な記憶、誰かが書いた壁新聞。しかし普段は断片の存在をほとんど自覚しない。世界は見慣れた風景であり、断片はモザイクとなって日常に溶け込んでいる。万が一異質なものを見ても、顔をしかめつつやり過ごすだけだ。

 

オンラインでどこの誰とでも繋がれるようになった現代、虚構と現実の区別に価値がなくなり、同じ物でも受け手によってまるで違う物に見えてしまうとわかった一方、自他が曖昧になり共感が求められ、かえって価値観の違いによる分断が進む世界になった。この時代に本書が書かれた意味は非常に大きい。(一部抜粋)

 

 

オブジェクタム

オブジェクタム

 

 

 

壁新聞、手品、町の遺跡、移動遊園地、曲がり角に一瞬だけ見えるしっぽのようなもの。主人公の錆びついた過去に眠る、記憶のアーカイブ。その断片を拾い集め、つなぎ合わせることで徐々に見えてくる、ある事件の周辺とひとつの真実。時間とは、人間の記憶とは何なのか。あのときの、あの幻夢のような出来事の数々は本当に存在したのか。オブジェクタムは、そんな誰しも一度は経験のある「あれは一体何だったのか」を描いた記憶の物語である。

 

この小説を読んだ率直な感想は、好き嫌いがはっきり分かれる作品だろう、ということだ。だからネットに落ちている他人のレビューなどはほとんど参考にならないかもしれない。

物事をすぐに「分かろう」としてしまうのは我々の悪いくせだが、それがどれだけ退屈で尚且つ危険なことか、小説全体で警鐘を鳴らしているように思った。個人的にやや理解出来ない箇所もあったけれど、むしろ即物的な時代への皮肉としてはこれくらいの書き方がちょうどいいのではないだろうか。

 

人間が自分を取り巻く世界のすべてを知ろうと足掻くとき、結局「分からない」というぼやけた正解にたどり着いてしまうことがままあるが、本書はまさにそういう瞬間にフォーカスした余韻の芸術となっている。

 

 

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「うどん キツネつきの」という小説も相当にヤバかった。こちらは表題作含む短編五作を収録したSF小説だが、その中でも特に「巨きなものの還る場所」というお話はおよそ短編とは思えないスケールで描かれていた。青森のねぶた祭りダイダラボッチギリシャ神話のタイタンやマルク・シャガールの「アレコ」など、ありとあらゆる「巨きなもの」が渾然一体となったストーリーは圧巻だった。多摩美術大学の出身とあって、やはり著者は普通の文系と見えている世界が違うのかもしれない。この文章の構成力とマジックリアリズムは並大抵じゃない。

 

 

うどん キツネつきの (創元日本SF叢書)
 

 

 

高山羽根子の特徴をひとことで説明すると、「言葉のアート」である。小説というキャンバスの上に文字という絵の具で複雑に描かれた絵画さながらの文章なのだ。

とくに伏せる、省く、書かないといった引き算の表現にはどこまでも技巧が凝らされていて、読み手の想像力を限界まで引き出さんとする繊細な筆致に中毒性を見た。ためつすがめつ読み進めれば、それが単にご都合主義的な逃げの余白なのでなく、ディテールまで計算された攻めの余白であることに否応なしに気付かされるのである。

 

また、それはピースの欠けたパズルに例えられるかもしれない。

不思議なのは、眺めているそれが欠けた側のピースそのものなのか、その他を補っているパズル全体なのかもはっきりとしないこと。鳥肌とか違和感だとか、そういうありふれた言葉にも似た、でもそれらとは確かに違う感覚の津波が次々と押し寄せるのだ。ページを送るほどに謎は深まっていき、その深みが他にはない真新しいものだから、まったく幸福なため息が止まらなかった。

 

別の人間が何かを手に入れ、Aに置く。別の、赤の他人がAからBに移動させる。場合によっては油差しみたいな別のものが追加される。そしてBからC……そうやって、顔も知らない同士が別々の物語に加担しながら一つの作業を完成させる。作業の全貌を把握している奴は、直接指示したんじゃないから、手を汚すことは無い訳だ。

 

「最初は悪巧みとか悪戯としか考えらんなかったんだけど。……なんか違うんだよな。騒ぎを起こそうってんなら、もっと簡単に、人の悪意に付け込んで焚きつけることはいくらだってできるはずなんだよ。でも、この『仕掛け』は人の善意を引き金にしようとしているようにしか」
 善意。比奈子は心の中でキシダの言葉を繰り返した。確かにタカシを助けたい、ラジオを直す手助けをしたいという気持ちは、間違いなくあった。でも。好奇心に善意、悪意の区別なんてあるんだろうか。それ以前に、
「意思と本能の違いって何なの」
 比奈子の言葉にキシダは軽く肩を上げて、言葉に出さずに『知ったこっちゃない』という態度を示した。

高山羽根子「おやすみラジオ」2014年)

 

 

こんな天才を文壇が放っておくわけがないと思っていたら案の定、ほどなくして「居た場所」が第160回の芥川賞候補にノミネートされた。

 

 

居た場所

居た場所

 

 

 

この作品が絶対に取るだろうと思っていたのだが、最終的には上田岳弘の「ニムロッド」と町屋良平の「1R1分34秒」がダブル受賞。どちらもすばらしい作品だったけど、総じて下馬評通り、不況にあえぐ出版業界の現状が顕著にあらわれる結果と相成った。

 

 

People In The Box「ニムロッド」2012年)

 

 

今回彼女が落選したことによって、村上龍が賞の審査員を降りた理由がなんとなく分かった気がした。その時代を象徴する出来事だとか、うっすらと漂っているけれど、まだ誰もちゃんと言葉にしていないような意識を切り取る作業は文学の担う重要な役割だと思う一方、高山羽根子の「居た場所」にはそれ以上に大きい、有史以来人々が失いたくても失えなかった何かが描かれている気がしてならない。

 

この国の移民の歴史はかなりややこしいものだったらしい。大きな戦争だけでも数回は経験しているし、それ以外にもわかりやすいものからささやかなものまで、何度も経済的・文化的な侵略を受けている。時期によって子どもの教育のやりかたについても変わっていったんだろう。今まで起こった戦争の一部はぼやかされ、英雄譚はおおげさになっていくので、最終的にはなにが正確な事実なのかがごちゃごちゃになって、狼と鹿が戦い、空から鷹が、海から大蟹がやってきて国ができたというくらいの、神話めいた教育が今でもほんの小さい子ども相手になら普通にされているらしかった。彼女もそういった教育を受けたという。

高山羽根子「居た場所」2018年)

 

 

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世間一般で評価の高いものと、個人的にすばらしいと思えるものはまったくイコールではないらしい。例えば自分は村上春樹よりも村上龍のほうが断然推し(むしろ村上春樹はあまり好きじゃない)だし、村田沙耶香コンビニ人間よりも「しろいろの街の、その骨の体温の」が傑作だと思う。綿矢りさ勝手にふるえてろが有名だが、知り合いには「ひらいて」という小説をついすすめてしまう。

 

有名な作家でも代表作ばかりを手に取るようなことはなく、どちらかというと埋もれた名作を掘り起こす作業のほうが面白い。自分が「これだ」と思った作品を何度も読み返し、その文体を徹底的に研究する傾向が強い。

 

「師を見るな、師が見ているものを見よ」という言葉があるように、その人のルーツとなった作家の作品も積極的に触れたくなる。amazarashiの秋田ひろむもかなりの読書家で知られていて、太宰治宮沢賢治三島由紀夫芥川龍之介坂口安吾武田泰淳夢野久作安部公房、小島伸夫、寺山修司谷川俊太郎など、その守備範囲は明治の文豪から昭和の詩人まで実に幅広い。心を揺さぶるような力強い歌詞が書けるのも、こういうしっかりとした下地があってのことなのだろう。

 

 


(amazarashi「それを言葉という」2019年)

 

 

高山羽根子も様々な芸術家の作品をオマージュしている。

例えばオブジェクタムに収録されている「L.H.O.O.Q.」は、レオナルド・ダ・ヴィンチモナリザのパロディで有名なマルセン・デュシャンの作品名からとられたものだ。飼っている犬の名前がまったく思い出せなくなるというシュールな内容だが、著者の筆力と文学センスの高さを証明する一作となっている。

 

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マルセン・デュシャンの「L.H.O.O.Q.」

 

ほかにも「GENESIS 一万年の午後」というアンソロジーに収録されている「ビースト・ストランディング」という短編は、おそらくテオ・ヤンセンの「ストランドビースト」から着想を得ていそうな気がするが、本人に直接聞いたわけではないので詳細は不明である。

 

 

(テオ・ヤンセン「STRANDBEEST」2017年)

 

 

 

 

きっと美術の分野に関しては相当下地があるはずなので、今後は彼女が影響を受けた作品にたくさん触れてみたいと思う。

 

 

「これ、うどん」
「わ、なにこの顔。なんか怒ってない?」
「カメラ向けると吠えるの。フラッシュとか苦手みたい。興奮するとしょっちゅう痙攣して暴れたり、口から泡吹いたりすることもあるの」
「え、それはなに、病気?」
「うーん、なんか、前に一回病院で診てもらったことあったよね。お母さん」
「そう、最初の頃はビックリして。調べてもらって、脳にちょっと水が溜まるとか遺伝子がどうとかって問題があるかもしれないって、言われたけど……。お母さんね、違うと思ってるの」
「は?」
いぶかしげな顔をする三人をゆっくりと見回して、それから母は真剣な顔で続けた。
「あの子は、母のぬくもりを知らないから……なんていうのかしら、PTSD?そういう不安みたいなものが、発作的に爆発してるんじゃないかって、思うのよ」

高山羽根子「うどん キツネつきの」2010年)