聞き屋のたぬ吉

相席をした彼の名は悲しみ

低脳先生の犯行声明と、殺される僕の心

おいネット弁慶卒業してきたぞ

改めて言おう

これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく、俺と議論しておのれらの正当性を示すこともなく(まあネットリンチの正当化なんて無理だけどな)

俺を「低能先生です」の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ

「予想通りの展開だ」そう言うのが、俺を知る全ネットユーザーの責任だからな?

「こんなことになるとは思わなかった」なんてほざくなよ?

ただほぼ引きこもりの42歳はここで体力が尽きてしもうた

事前の予定では東京までいってはてな本社にこんにちはするつもりだったが、もう無理

足つってるし

なんだかんだ言ってはてなというか増田が俺をネット弁慶のままで食い止めていた面もあるしなあ

逆に言うと散々ガス抜きさせてもらった恩がある

はてブと通報厨には恩など欠片もないが

てことでこれから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ

足つってるから着くまで30分くらいかかるかも

はてな匿名ダイアリーより/現在は削除済み)

 

*   *   *

 

今このブログを読んでいる人たちは、他人に対して〇意というものを抱いたことがあるだろうか。何かで気持ちのぶつかり合いが起きたとしても、普通はなかなかそこまでの感情にたどり着かないかもしれない。しかし、僕は頻繁にこの〇意に近い感情が沸いてしまうことがある。今日はその一例を紹介する。

 

凶器と聞いて、通常真っ先に思い浮かべるのは、ナイフや包丁、ハサミやカッターなどの刃物が代表的だろうか。しかし、そんなものよりもっと身近で、手っ取り早く、刃物なんかよりもより深く人を傷付けられる道具がある。

 

それは「言葉」である。

 

僕が目の前にいる誰かに「死ね」と言ったところで、びくともしない。正確に言えば、言葉が人を殺すのではなく、言葉で「相手の心」を殺すことができるという意味である。からに、多くの殺人事件において、殺人犯に〇意を抱かせる最大の原因は「言葉」であると言って差し支えない。

 

しかもやっかいなことに、この言葉の中には「無言」や「無反応」も含まれる。ストーカー殺人の場合などがこれに顕著である。

 

例えばネットで見かけるルサンチマンも、ただ書き込めば終わりなのかというと、そう単純なものでもない。一方的な攻撃と見せかけて、大抵の場合は相手からの反応を待っている。悲しいかな、世の中にはこの「反応」が居場所でしかない人もいるのである。そして欲しかった反応が得られないとき、あるいはその反応が予想以上に心ないものだったとき、攻撃を仕掛けた側の心は吹き消されるようにして殺されてしまう。

 

心が殺されるとはどういうことか、考えてみてほしい。

 

低脳先生は、おそらくHagex氏よりも先に心を殺されていた。「またあいつだ」「あいつを黙らせろ」「低脳先生が出たぞ」不特定多数の人々から、通報という形をとって封殺されていた。低脳先生は不器用で語彙を知らないだけで、きっと彼が言いたかった言葉は「低脳」などという低脳な言葉じゃなかったはずだ。もっと違う何かを伝えたかったのだろう。彼が殺人をしなければならなくなったのは、その言葉の裏の裏の裏の裏まで、傍観者たちに読み取ってもらえなかったことが原因なのだ。自分自身でも言語化できない裏の裏の裏の裏の言葉を持って、ただ議論がしたかっただけなのだ。

 

「俺と議論しておのれらの正当性を示すこともなく(まあネットリンチの正当化なんて無理だけどな)俺を「低能先生です」の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」

 

敵対してくれているうちはまだいい。しかし早々に「厄介者」と見限って議論の場から去り、無言、あるいは水面下で自分を排除しようという動きを取られ、相手にされなくなることほど、生きていてみじめなことはない。僕自身、子供の頃から問題児として扱われ、あらゆる人々から徹底的に排除されてきたから、彼の気持ちは痛いほどよく分かる。その人を無視したり、いないものとして扱ったり、「またあいつが何か言ってやがる」といった具合に、聞こえよがしに呟かれたり。または普通に関わっているように見せかけて、影では自分を嘲笑の対象として、仲間内で目くばせをしながらクスクスと笑われているような状況だったり。当人にとって、こんなにみじめなことはない。

 

昨日、withnewsで僕の生活保護に関する手記を掲載していただいた。

 

withnews.jp

 

今回なぜwithnewsで手記を書くことになったかと言うと、前回担当してくださった原田さんが僕のブログの生活保護の記事を読んで「うちで生活保護の記事、書いてみる?」と打診してくれたのだ。僕は「是非書かせてください」と即答した。

 

原田さんからは再三に渡って「ここまで書いて大丈夫?無理しないでね?」と念を押されまくっていたけれど、それでも世の中にこの文章を出したのには理由がある。肯定も否定もどちらでもいい、何でもいいから自分に反応を示してもらって、今、僕が「生きている」ということを実感したかったのだ。生活保護を申請してからというもの、ほとんど部屋で引きこもっていたものだから、この手記に対して反応をもらえたことは非常に生きる活力となった。

 

僕はブログの過去記事で、数字なんか求めていないとうそぶいたことがある。分かる人が分かってくれればいいのだと意地を張っていたのだ。しかし本当は内心、ブログの記事を上げれば毎回たくさんのスターがついて、ブックマークされて、シェアされるような人たちがとても羨ましかった。いわゆるアルファブロガーと呼ばれる人たちだ。自分をパッケージするのが苦手な僕は、ブログの月刊PV数も少ないし、コメントもあまりもらえない。彼らに比べて自分はなんてちっぽけなのだろうと、つまらないことで悲しくなったり、落ち込んだりしていた。それなのに羞恥心だけは一人前で、あからさまなアフェリエイトや、自分から拡散する行為はポリシーに反するため、不用意な宣伝は極力避けていた。だけど、やっぱり僕のことを見てほしい気持ちは捨てられず、今回の手記にブログのURLを貼ってもらうことにしたのだった。

 

はてなの某ブロググループに入ったのは、今年の2月頃だったと思う。そこにいる人たちの興味を引くために、入った当初はLGBT関連の記事をたくさん書いた。わかったような顔をして、達観したようなふりをして、意識の高そうな語彙を散りばめて、何かを必死に装った。でも、長続きはしなかった。

 

そのうち誰かがライングループを立ち上げてくれた。そこで、僕も入れて下さいとメールを送った。仲間に入れてもらって、オフ会なんかもやって、仲良くなった気になっていた。だけど、ある日ブロググループにいた誰かが、僕の過去記事を引用して批判的なことを書いた。いくらなんでも分かりやすすぎると思い、彼のコメント欄に「これって僕のことですよね」と突っかかった。彼は「そんなつもりはない」とはぐらかした。

 

そこで、全く本心なんかじゃないことを書いた。「二度と僕のブログには、来ないでください」と。そしたら、丸ごとやり取りを削除されてしまった。

 

僕の存在を消されたような気がして、その瞬間に〇意みたいなものが沸いてしまった。だから、名指しで彼を批判した。僕のことを書いた記事にスターを付けている人たちも全員敵だと思い込み、片っ端から読者登録をはずし、ツイッターもブロックした。「そんなつもりじゃなかったんだよ」って、言ってほしかった。本当に面倒くさい奴だと思った。

 

一人だけ、コメント欄に「誤解を与えて申し訳なかった」と言ってきてくれた人がいた。それを見て、声を上げて泣いた。彼とはまた元通りになった。

※その彼は、その後ゲイに対して偏見があったかもしれないと、自身の記事で告白している。だからもう何とも思っていない。

 

ライングループで、僕は今回の手記がネット記事になることを告知しようと思っていた。でも、あまり前々から宣伝するのもポリシーに反する気がして、「よし、前日になったらさりげなく、さらっと告知をしよう!」と決めていた。そして、前日の夜に告知をした。しかし、その数分後、ある人物が被せるようにして自分のイベントの宣伝をし始めて、一気に話題をさらわれてしまった。僕はパニックになった。

 

僕の話題に触れた上での便乗ならまだ分かる。でも、まったく触れずに、鮮やかにスルーされた。僕の怒りが頂点に達した。

 

それほどまでの感情に至ったのには、実はもう一つ理由がある。それは四月に別件でLGBTに関する取材を受けた際、今回と同じくライングループで告知をしたときのことだった。やはりその人物は僕の話題に一切触れず、自分の話題を突然投げ込んできたのである。

 

f:id:nemusan:20180628003953j:image


f:id:nemusan:20180628004327j:image


f:id:nemusan:20180628004044j:image

 

この前後も僕の記事の話がずっと続いていたんだけれど、彼が口を挟んだのはこの二言だけであった。僕はこのときも強烈な違和感を感じていたんだけれど、特に何も言わずにスルーをした。

 

なので、今回は我慢ができなかった。

 

f:id:nemusan:20180628011039j:image


f:id:nemusan:20180628011059j:image


f:id:nemusan:20180628011117j:image


f:id:nemusan:20180628011206j:image


f:id:nemusan:20180628011230j:image

 
f:id:nemusan:20180628011602j:image


f:id:nemusan:20180628011306j:image


f:id:nemusan:20180628011345j:image


f:id:nemusan:20180628011403j:image

この文章を送信した直後、僕はこのライングループを退会した。

 

この一連のやり取りを、ブログ仲間のある人に相談していた。

「確かに前回のLGBTの記事のときは、突然割り込んできて不自然だった。ただ、今回は〇〇さんはたぬ吉さんの宣伝に便乗しただけで、何も考えていないのかもしれないね」

彼はなだめるようにこんなことを言ってくれた。しかし、最後の「女の子同盟」という訳の分からない文章が解せないのと、もし本当に悪気がなかったのであれば「写真展お待ちしてます」なんて、僕の気持ちを逆撫でするようなことは言わないのではないかとも思った。

※ちなみに画像の送信を5回取り消した〇〇さん、送信先を間違えたのでしょうが、今回の揉め事のスクショだったことはバレています。

 

もしかしたら、僕の勘違いだったのかもしれない。そんな考えも頭をよぎったけど、しかしながら僕の中の直感は、彼を「黒」だと告げている。モヤモヤしながらも、僕は生活保護の手記の反応をウォッチしながら、何とか忘れようと努力していた。

 

夜になって、裏アカから〇〇のツイッターを覗きにいってみた。そこで目にしたのはこんなツイートだった。

 

f:id:nemusan:20180628020606j:image

 

「晒したい」

「香ばしい」

もう、誰のことを言っているのかは一目瞭然である。僕はやはり、自分の直感が正しかったことを確信した。

 

僕の中で、〇意のようなものが芽生えた。

晒される前に、こちらが機先を制するのだ。

そして、大慌てでこの記事を書き始めた。

 

相方に相談したところ、「やっぱり最後の『女の子同盟』は図星というか、たぬちゃんのことをとてもバカにしているように見える」と言ってくれた。

 

僕のことが気に食わなかったのか、嫉妬なのかは分からない。いずれにしても、僕にはどうしても、わざとこちらの記事を無視して、ぶつけるように自分の宣伝をしてきたようにしか思えないのだ。「悪気はなかったです」がまかり通る、ギリギリのラインを狙って発言してるようにしか見えないのだ。

策士である。

そして僕は、その日に起こったHagexさんの事件と今の僕の感情を並べてみると、はからずもリンクしていることに気が付いてしまったのだった。


f:id:nemusan:20180628031622j:image


〇〇さんに純粋に聞きたい。今回の件について、あなたの一連の発言が本当に何の意図もなかったのかどうか。

 

そして、上のツイートを今すぐ削除して下さい。明日確認しにいきます。

 

そうでないと、僕の心が殺されてしまうから。

 

(amazarashi「ナモナキヒト」2012年)

 

※追記

コメントの募集はこの辺りで一旦区切らせていただきます。たくさんの書き込みありがとうございました。