聞き屋のたぬ吉

相席をした彼の名は悲しみ

生活保護を申請した話

ひい、ふう、みい。

財布の中身をベッドの上に並べてみると、そこには折目のついた三枚の千円札と、鈍く光る小銭が数枚あった。家に貯金箱なんてものは存在しないので、紛れもなくこれが全財産である。とち狂ったように届く請求書の山とそれらを交互に睨んでみるが、蓋しどう足掻いても詰んでいる。八方塞がりとはまさにこのことだった。

 

背水の陣で臨んだ生活保護費の申請は、結論から言うと僅か九日ほどであっさり通った。昨今の不正受給問題や費用削減など、マスコミによるネガティブキャンペーンが影響してか、相談に行くのは大いに憚られた。

 

ネット上では「門前払いや堂々巡りの押し問答は当たり前」「申請用紙すら出し渋る職員がいる」などとまことしやかに噂されているものだから、よほど戦々恐々としながら市役所を訪れてみたけれど、実際の対応は極めて真摯かつ常識的なもので拍子抜けしてしまった。

 

後日「申請が通りましたので、お金を取りに来てください」と電話で告げられ、その翌日に担当のケースワーカーのもとへ出向いた。生活支援課の窓口にはアル中のように顔を真っ赤にしたオッサンや、乱れ髪でブツブツと独り言を呟き続ける妙齢の女性など、正直お世辞にもまともとは言えないような人たちが雁首揃えて待機していた。ここへ来ている時点で他人をどうこう言えた立場ではないのだが、せめて見た目や挙動くらいは正常な人の姿でありたいと願った。

 

受け取りの手続きを済ませると、給料袋のような厚手の茶封筒を渡された。中には家賃と幾ばくかの生活費が入っていて、その場で金額を確認するように指示された。あまり大きな声では言えないけれど、不思議と惨めだという感情は薄く、むしろ定型の生活から解放される安堵のほうがそれらを圧倒的に上回っていた。

 

辛かった朝ももう無理に起きなくていいし、遅刻やずる休みを繰り返して自責の念にかられることもない。今まで虚勢を張って頑張ってきたけれど、由緒正しいアウトローの僕には、普通を装って働くなんてきっと最初から無理筋だったのだ。今後の就職に関する話し合いは、精神障害者手帳を取得する方向で決まった。これでよかったんだと、胸がすく思いがしたのだった。

 

*   *

 

相方と付き合いだして早五年、ざっと見積もっても掛け値なしに数百万円は僕に使ってくれている。名目上は借りたことになっているお金もあるというのに、請求されることもなければ一切の利息もない。家庭環境のこと、ADHDのこと、いつも人間関係がうまくいかないこと。すべて理解している彼は「たぬちゃんは何も悪くないんだよ」と言う。なし崩し的に経済依存しているのはわかっていた。あまりよろしくないのはわかっていた。

 

紆余曲折あり、現在は近くだけど別々の家で暮らしている。結局自立することは叶わなかったけど、これで彼の経済的な負担も少しは減るのだと思うと、とても晴れやかな気持ちになった。

 

僕は今、社会の最底辺にいる。

いつか世界と仲直りできるように、僕は僕の想いをたしかに綴っていく。

 

(amazarashi「もう一度」2014年)