聞き屋のたぬ吉

相席をした彼の名は悲しみ

白黒思考で、もがき続けるのだ

近頃けっこうな頻度で死にたくなるんだけど、世の中にはそれと同じくらい、ふいに人を殺してみたくなる人がいるらしい。彼曰く、罪に問われてしまうから鳴りを潜めているだけで、その欲望は常に抱えているのだと言う。そんな話を目の前にして「その手があったか」と思わず膝を打った。禁忌に触れて、試しに好きなように自分を殺してもらえないだろうかと、危うく頼んでしまいそうになった。そのくらい本気で病んでいるのだ。

 

人の手で殺されるって、なんかいい。昨年ニュースになった座間の連続殺人じゃないけれど、自害する勇気のない人間にとって他殺は魅力的だ。とは言え、上手くやらないと自殺幇助罪嘱託殺人罪に問われてしまうから、実際に自殺に手を貸す人間はそうそういないし、やりたくたっておくびにも出さない。だからこそ、そんな欲望を秘めた相手だと知ったときは武者震いした。

 

今からちょうど25年前、完全自殺マニュアルという本が当時10代20代だった若者を中心に話題となり、100万部以上を売り上げるミリオンセラーとなった。“聖書より役に立つ、コトバによる自殺装置”というキャッチフレーズの通り、内容はただひたすらに死ぬ方法のみが列挙された背徳的なもので、実施した際の痛みや見た目のインパクトなどが五段階で評価されている。たしか「焼死」が痛み・インパクト共に★5つの最強で、中には「動物に食べられる」などという宗教的なものまで掲載されていた。僕自身この本は15年ほど前に読む機会があったんだけれど、当時は若かったこともあり、言葉にならない気持ち悪さが読後感として残ったのを覚えている。

 

てっきり絶版になったものだと思い込んでいたれけど、普通に今でも売っていた。有害図書に指定されたという噂もあったけど、結局どうなったのかは知らない。

 

完全自殺マニュアル

完全自殺マニュアル

 

 

他サイトからの引用だけど、著者の鶴見氏はあとがきでこのように綴っている。

 

本を書こうと思ったもともとの理由は、「自殺はいけない」ってよく考えたら何も根拠もないことが、非常に純朴に信じられていて、小学校で先生が生徒に「命の大切さ」なんていうテーマで作文を書かせちゃうような状況が普通にあって、自殺する人は心が弱い人なんてことが平然と言われていることにイヤ気がさしたからってだけの話しだ。「強く生きろ」なんてことが平然と言われている世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて、「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。
別に「みんな自殺しろ!」なんてつまらないことを言っているわけじゃない。生きたけりゃ勝手に生きればいいいし、死にたければ勝手に死ねばいい。生きるなんて、たぶんその程度のものだ。
出典『完全自殺マニュアル』p195 おわりに

 

まったくその通りだと思った。

メメントモリじゃないけれど、むしろ生というのは死を意識すればするほど輝きを放つものだ。逆説的だけど、「いざとなれば死んでもいい」と、あえて死を肯定することで見出だせる希望的観測というものも、少なからず存在するように思う。死を悪いものとして扱い、意識から遠ざければ遠ざけるほど、返って我々の閉塞感は強まっていくのかもしれない。

 

(amazarashi「穴を掘っている」2014年)

 

そう言えば先週、自殺に関して兼ねてより気になっていた本を購入した。

 

 

著者の小林エリコ氏は短大卒業後、あるエロ漫画雑誌の編集部員として月給12万円で雇われていたそうだ。著書では生活に困窮して自殺未遂を図り、その後精神障害者として生活保護を受給しながら社会復帰するまでの顛末が書かれているが、最後の「誰も恨んでいない」という言葉に敬服した。

オーバードーズによる自殺未遂の話が何度も出てくるんだけど、「薬を飲む際に部屋の鍵を開けておいた」とあり、本当は死にたくなんてなかったんだなと察した。前述の完全自殺マニュアルにも書いてあるけれど、確実に死にたければ凛然と部屋を施錠して、薬とともにアルコールを一定量あおれば逝けるのだ。自分でも少し調べたけれど、未遂に終わればその後もいろいろとリスクがあり、発見された際の胃洗浄もかなりキツいらしい。僕の場合はそんなパフォーマンスすらも踏ん切りがつかないわけで、もういっそのことあの人に殺されて、屍姦されてみたいとすら思ってしまう。自殺がマスターベーションなら、他殺はセックスくらい魅力的な方法なのだ。

 

*   *   *

 

心理学用語で「曖昧耐性」という言葉がある。これは物事を曖昧にしておけるほどストレスに強く、はっきりさせたがるほどストレスに弱いとするもので、自分は後者の白黒思考だ。一昨日書いた記事はまさにそれで、「これって僕のこと言ってますよね?」とコメントで確認したところ「遠因かもしれませんが批判的な意図はないのでご理解下さい」的な、日本ボカシ話かよと思うくらい煮え切らない返信があった。すぐにツイッターをブロックしてしまったんだけど、更にその返信で「もう僕のブログには来ないで下さい」と書き込んだところ、そのやり取りを丸ごと削除されてしまったのだ。怒髪が天を衝いてしまい、記事に起こして批判させてもらった。

その後裏垢でツイッターを確認したところ、「名指しで攻撃されて面食らった」とツイートしていて呆れた。そもそも最初に攻撃されたのは僕のほうで、コメントを消した時点でだいぶありえないと思う。きれいごとみたいな補足も追記されていて、余計に頭にきた。

 

そしてそれらのツイートに対してコメントやお気に入りをしていた共通のフォロワーさんも何人かいたので、ブロックさせてもらった。僕らが対立しているのを知った上で彼を支持しているのだから当然で、誤解もへったくれもない。敵だと判断したからブロックしたのだ。

 

実は他でも僕の過去記事やツイッターでの発言を引用している人がいて、あむしさんの記事についてもそうだった。別にこれは批判された訳じゃないけれど、ユータロさんに味方している感じだったので、あえて言及してみようと思う。

 

www.amushi-to-zumashi.com

 

馴れ初めを書くわけじゃなく、

”恋人を作るコツは妥協”っていうのを見て嗚呼、”言い得て妙”な気分に浸りまして。

 

これは恐らく僕のこのツイートを見ての発言だと思う。

 

 

そして、こう続けている。

 

でさ、継続は妥協では無いのですよね。

 

”恋愛は妥協の連続〜”みたいなのがあんまり好きではなく、

全くの他人をひとつひとつ、たまにぶつかりながら理解していって、

そしたら相手も同じように返してくれて、そういう積み重ねの上に僕達はあるんだな〜と。

 

僕はむしろ継続こそ妥協の連続だという考え方で、価値観のすり合わせは安易におこなうべきではないと思っている。なぜならその行き着く先は「結局は分かり合えない他人同士」という事実が露呈するだけだったりするから。

彼のように「ぶつかりながら理解する」とか「話し合うことが大切だ」みたいなことを言う人たちが、僕はあまり信用できない。それは大抵の場合、ぶつかって話し合えば自分の主張が通ると思っているだけで、相手の話を聞く気などさらさらないことが多いからだ。 この手のタイプは相手に歩幅を合わせてもらうことに必死だから 「妥協の連続」の意味がわからないのだと思う。

優しい人は相手が100%の主張をした場合、せいぜい自分の主張は70%くらいに留めて折り合いをつけることが多い。相手が引っ込めた30%が緩衝材になっていることなど露知らず「ぶつかり合って成長した」と言い切ってしまうのは、実に荒唐無稽ではないだろうか。

読者登録も解除されていたけれど、きっと僕の記事はオブザーブしているに違いない。何か反論があるならコメントすればいいし、スルーしてもらっても構わない。

 

そう言えば、ある人がはてなブログにおけるスターの付け合いを「互助会」と揶揄していて、不覚にも笑ってしまった。前にもブログを始めた理由で書いたけど、自分の場合アクセス数とかスターの数は全然求めてなくて、僕の記事や言葉に本当に共感してくれたときだけスターを付けてほしいのだ。読んだよ、という挨拶程度のものでももちろん嬉しいけれど、お返しは求めないでほしい。僕が他の記事を読んだときは、何か刺さる言葉があったり、共感できる内容でないとスターも付けないし、コメントもしない。むしろ本来はそうあるべきだと思う。

 

*   *

 

きっとこんな調子だから、人間関係が上手くいかなくなるのは分かっている。いつも苦しくなってもがいて、気付くと周りに誰もいなくなっていて、それを30余年も繰り返してきてしまった。自己嫌悪に陥って死にたくなって、誰かに助けられてまた浮上して。いつまでも他立じゃいけないと思いつつ、結局甘えていて。そしてここのところ、また死にたくなっている……。

でも、少しずつ状況は変わり始めている。前々回の記事を書いたときはふぁるこんさんが心配してラインをくれた。むしろあんなことを書いて引いてしまったのではないかと聞いたら、「俺はそんなことないよ」と言ってくれて泣きそうになった。withnewsの記事がバズったとき、ツイッター上でアクションしてくれたフォロワーのチャンキチさんも、あの記事を読んで心配して長文のDMを送ってくれた。ものすごく嬉しかった。

伏せておくつもりだったんだけど、どうしても自慢したいので書いてしまう。昨日の夜、神原さんと会って食事をした。いろんなネガティブを吐き出したのに、それでも僕のことが大好きだと言ってくれて、帰り際に頭を撫でてくれた。本当に嬉しかった。いろんなことをお話できて楽しかったです、またいつか再会できますように。

 

そして日付が変わった今日、ヤシュウさんりきまるさんAIR-J'さんとレインボーパレードに初参戦してくる。今からすごく楽しみで眠れない。時間があったら東京流通センターで開催される文学フリマにも行ってみる予定だ。

僕は僕のことを好きでいてくれる人たちを大切にしたい。どうせもうしばらくは生きているのだから、刺さる人には刺さるような、自分にしか書けない文章をこれからも紡ぎ出していきたい。

 

 

 

いつも白黒思考で
好きなものは好き 嫌いなものは嫌い
放課後 ひび割れたチャイム
残響していた 鼓膜が破けそうだ 
アスピリン つくり笑い
不感症の涙 
クラスメート カメレオン 
はっていたバリア 
生きたふり? 死んだふり? 
ゼラチンの固まり 
ゼラチンの固まり────。

(Plastic Tree「バリア」2003年)