聞き屋のたぬ吉

相席をした彼の名は悲しみ

生きているのが辛いのは、きっと僕も同じだ

比較は不幸の始まりだと自分に言い聞かせて生きているけれど、それももうどうしようもないところまで来てしまった気がする。友達と遊んだとか、美味しいものを食べたとか、きれいな景色を見てきたとか、常にキラキラしたものを発信できる人たちが心底羨ましい。こちとら友達と遊ぶなんて月に一回あるかないかで、未だに基本的な人との距離の取り方がわかっていない。一度絡んだことがあるのに「はじめまして」とか言ってしまったりするくらい頭が悪いので、きっと見えないところで人のことをたくさん傷つけているに違いない。

 

最近の記事は辛かったことを書き出すだけのネガティブな内容に偏っている。僕だってできることならもっと明るいことを書きたい。だけど胸の内を吐き出す場所はここしかないから仕方ないのだ。人の人生相談なんて受けている場合じゃなかった。

 

ポジティブな人は画面を閉じたほうがいい。暗すぎて嫌な気持ちになると思う。

 

※ライングループで決まったお題についてはこの記事を持って回答とさせてもらいます。

 

*   *   *

 

僕は車が怖い。正確に言うと、エンジンがついたまま停まっている車の前を通りすぎるのが怖い。小学校時代のあるトラウマから、車が急発進してくるような気がして必要以上に警戒する癖がついている。

幼少期は鎌倉の家に祖父母、母、姉、自分の五人で暮らしていたが、小学一年の時に祖父がガンで身罷った。その後、元々相克の関係だった母と祖母はいよいよ修正が効かないほど不仲となり、程なくして隣の藤沢市に引っ越すことになった。母子家庭となった我が家は、当然のように母親が働きに出るようになった。

小学五年になり、自分が不登校気味になっていた頃、母親に恋人らしき男ができた。相手も子連れで、夜になると週に何度かその相手が母親を迎えに来た。行かないでくれと訴えたが、強引に家を出ようとした。慌てて追いかけ、二人が車に乗り込んだところで目の前に立ちはだかり、発車できないように邪魔をした。しかし相手が急にエンジンを吹かしたので、ボンネットの上に飛び乗って阻止しようとした。すると次の瞬間、車を急発進させてしまった。しがみついたが、右に曲がった勢いで振り落とされ、地面に頭を打って起き上がれなくなった。車に対する畏怖が植え付けられた瞬間だった。

倒れたままの僕を置いて、車は走り去ってしまった。何で、どうして、待ってよ、行かないでよ。泣き喚いて母親を呼んでも戻ってきてはくれなかった。途に倒れてだれかの名を叫び続けたことがありますか。中島みゆきのわかれうたの歌詞を、年端もいかぬ少年の頃に既に経験してしまっていた。

姉は妙に冷めていて聞き分けのいい子供だったから、僕の気持ちを理解しようとはしなかった。寂しくて心細くて、部屋に戻ってぬいぐるみをただ抱きしめた。その頃から今に至るまで、ぬいぐるみが常に僕のそばにいる。いてくれないと不安で仕方ないのだ。だから、聞き屋のときも必ず一緒に連れて行く。

 

 

その約半年後、二人が再婚するのに邪魔な存在だった僕は、親の意向で神奈川県大磯町にあるエリザベスサンダースホームという児童養護施設に預けられることになってしまった。中学生以下は一人では一歩も外に出れない閉鎖的な空間で、広大な土地をぐるっと塀が取り囲んだ、鬱蒼とした奇妙な作りだった。およそ二年半の間、僕はここで地獄のような生活を送った。

 

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(大磯駅前から見た施設の様子)

 

施設に預けられる前の約三ヶ月間、児童相談所に併設されている一時保護所という場所で生活をしていた。そこには家庭に問題がある子供や14才以下で犯罪を犯した子供、はたまた親からの虐待などで保護された子供など、様々な事情を抱えた子供たちが一時的に預けられていた。その中で僕は当時中学二年生だった義憲君という子と二人しかいない部屋で寝泊まりをしていて、ある夜、義憲君が“目隠しをして口の中に入れたものを当てる”というゲームを思いつき、やることになった。僕の番からだった。

「これは?」

人差し指だとすぐにわかった。

「これは?」

鉛筆だった。変な味がした。

「じゃあ、これは?」

義憲君がすっと立ち上がったのがわかった。そしてツンとしたきつい匂いがした次の瞬間、太い何かが僕の口の中にねじ込まれた。あっ、これは……。

目隠しを外すと、やはり義憲君のそれだった。

見上げると、それまで見たことないような恍惚の表情で僕のことを眺めていた。そのまま続けてするように頼まれ、拙いやり方で奉仕した。

その日以来、二人きりになるときは必ずと言っていいほど奉仕をした。そのうち人数が増え、最終的にヤンキーっぽい年上四人に使われていたけれど、このときは無理矢理ではなく、ここをこうしてくれとか、この辺をやってほしいとか言われながら優しくしてもらった。はっきりとゲイだと自覚したのはこの頃だった。

施設に入ってから、同じ部屋の子にそれとなくその話を出して興味を持たせ、自分からさせてもらえるように仕向けた。昼間は他の子と一緒になって僕のことをからかってきていた連中だったから、秘密を握っている気分だった。そしてそのうちの一人に奉仕しているところを他の子供に見られてしまい、ホモだオカマだと言われていじめられるようになった。キモい。ナヨナヨするな。男らしくしろ。さんざん言われた。それ以前に施設内での子供同士のイジメはとっくに蔓延していて、上級生にボコボコにされた子が逆上して包丁を振り回すなんてこともしょっちゅうだった。どこからか飛んできた椅子が自分の後頭部に直撃して失神してしまったこともあった。

 

学校も敷地内にあり、日常的に体罰がおこなわれていた。体育の授業では誰か一人でも忘れ物をしようものなら怒号が飛び、スリークッションという体罰を与えられた。全員で輪になって手を繋ぎ、「いちにっさん」と掛け声を出して「さん」のときに膝を曲げてしゃがまないといけない過酷なものだった。全員が同じタイミングでできないとやり直しで、それを延々30回くらい繰り返すのだ。あまりにもしんどいので、泡を吹いて倒れる生徒もいたくらいだった。その他にも校庭を4時間走らされることもあったし、施設内の坂道を後ろ手で組んでしゃがみ、アヒルのような体勢で登るという体罰もあった。

施設の職員に訳のわからない言いがかりをつけられ、殴られて鼻の骨を折る子供もいた。女子の体操着がなくなったとかで、男子寮にいる全員が疑われ、三時間正座をさせられることもあった。自分宛てに届いた手紙は開封して渡され、プライバシーも何もあったもんじゃなかった。

 

全てが狂っていた。

 

中学二年の一学期の終業日に、仲良くしていた女子二人と山の上にある礼拝堂に集まって、施設を脱走する計画を練った。何を持っていく?どうやって家に帰る?電車に乗るお金はどうする??すると麻菜美がこう言った。

「和子ちゃんの財布にいくらか入ってると思うから、あたし引っこ抜いてくるよ」

和子ちゃんは当時高校生だったから、外に出ることもお金を持つことも許されていた。しかし中学生の僕らは個人でお金を所持することは一切許されなかった。だから彼女の財布から電車賃をくすねてきてもらうことにしたのだった。

お金を千円ずつ分けて、それぞれ荷物を取りに一旦寮へ戻った。その日のうちに出ることになり、仲の良かった子に手紙を書いて渡した。そして荷造りをしてこっそり抜け出し、外へ抜けるトンネルの入り口に差し掛かった辺りで職員が走って追ってくる足音に振り返った。

 


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(実際の施設内にあるトンネル、写真は出口側から)

 

「麻菜美!後ろっ、来てる!!」

「早くっ、早く!!」

全力疾走でトンネルを駆け抜けた。後方で走っていた和美の足がもつれて転んでしまい、事務員の女に捕まってしまった。急いで戻って麻菜美と二人で飛び蹴りをして引き離そうとしたけれど、もう一人別の男の職員が8馬身差くらいの距離で僕らに迫っていたので、諦めて二人で逃げた。

「おいっ!待てぇっ!!」

ロータリーを渡り、震える手を抑えながら券売機で切符を買った。改札に入る手前で捕まりかかったが、麻菜美が噛ませ犬となり、僕のことを先に行かせてくれた。

「そのまま行って!平気だからっ!!」

職員と取っ組み合いになる彼女を横目に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、目に涙を溜めて走った。

「ごめん!もう戻って来ないかもしれないけど、ありがとう!絶対、忘れないから!!!」

 

タイミングよく東京行きの電車が来てくれた。飛び乗ったけれど、なおも職員が僕を止めようとこちらに向かって走ってきていた。

(早くっ、早く閉まってくれっ……)

職員が階段を降りきる直前で、ドアが閉まり、そのまま電車はゆっくり動き出した。よかった、助かった……。走り出す電車になおも駆け寄ってきた職員が、逃がしてたまるかとばかりに鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。あのときの彼の表情を、僕は一生忘れることはないだろう。

 

そしてあの日以来、麻菜美とは一度も会っていない。

 

*   *

 

それから十年後の夏。

ある日、アルバイトの休憩時間にロッカーへ戻ると、けたたましく携帯電話が鳴り続けていた。

「もしもし!伸二が自殺したって!!」

同じ施設にいた中で唯一連絡を取っていた友人からの訃報だった。伸二は同じ施設にいた同級生なんだけど、中にいたときもそこまで仲良くしていたわけではなかった(むしろいじめられていた)から、僕の胸中は複雑だった。

詳しい経緯は知らないけれど、施設を出てから付き合っていた彼女と長年同棲をしていて、ほとんどヒモのような生活を送っていたという。生活が行き詰まっていたのか、どこかの資材置き場から鉄線だかホイールだかを友達数人で盗み出そうとして捕まってしまい、それ以前の軽犯罪履歴があまりに多すぎたため、そのまま三年の実刑が確定。その判決に絶望した彼は拙速に遺書をしたため、拘留所の中でシーツを引き裂き、首を吊って命を絶ってしまったのだそうだ。

「自分ばかりみじめな思いをしてきた。せめてもう一度チャンスをくれたら絶対に更正できたのに」

絶望の淵で彼が最後に綴ったメッセージは、こんな内容だったと後から聞かされた。たった三年の実刑判決で死ななければならなかったなんて、あまりに酷い。どうにかならなかったのだろうか、今でも考えてしまう。

 

*   *

 

あの頃あの施設で同じ日々を過ごした彼らは今、幸せになっているだろうか。僕は未だに過去を肯定できずにもがき苦しむ毎日だ。過去に縛りつけられて、一寸たりとも身動きが取れずにいる。この足枷が外れることを願って必死に歩いているけれど、どうしても外すことができないでいる。高校のとき三年生に進級できないことが決まり、泣きながら帰ったあの日のこと。媚薬を盛られて殺されかけた、いつかのあの男のこと。全部抱えて生きてきたけれど、どれもが煤のように心にこびりついて真っ黒なままだ。リセット出来ない過去に、今この瞬間がどんどん飲み込まれていく。そしていつか過去に先を越され、未来も殺されてしまうのかもしれない。

 

生きていて、ごめんなさい。

生まれてしまって、すみませんでした。

 

 

 


拝啓 忌まわしき過去に告ぐ 絶縁の詩
最低な日々の 最悪な夢の 残骸を捨てては行けず ここで息絶えようと
後世 花は咲き君に伝う 変遷の詩
苦悩にまみれて 嘆き悲しみ それでも途絶えぬ歌に 陽は射さずとも

(amazarashi「季節は次々死んでいく」2015年)