聞き屋のたぬ吉

アラサー会社員たぬ吉の、心のスキマを埋める旅

発達障害ブームの功罪(3)

眩暈がするほどの副作用にいよいよ耐えきれなくなった僕は、直ちに薬を止めたい旨を申し出ました。このまま治療を続けたところで、根源的な改善は見込めないのではないか。自分の中でそう確信してしまったのです。

すると森井先生は短くこう言ってくれました。

 

「尊重します。」

 

僕が何か意思を示したときに否定せず見守ってくれる柔和な対応だったり、話している途中に泣いてしまったときの冷静さだったり。そういうものにいつも助けられていたので、かたじけない思いでいっぱいでした。

 

そもそも彼女には初見からそういうマインドが備わっているように感じていました。だから安心して打ち明けられたし、まるで写し鏡のように自分を省みることが出来たのだと思います。

話を聞いたときに何も言わない姿勢は、簡単そうに見えて、実はすごく難しい。そんな敢えての沈黙に救われた経験から、のちに始める聞き屋の着想を得たと言っても過言ではありません。

 

断薬後もしばらく通院は続きましたが、最後のカウンセリングでも、やっぱり泣いてしまいました。

 

「人生は金平糖のようなものだと言いますよね。転がりながら尖った部分を削って丸くなる人もいれば、隙間に何かをくっつけて丸くなる人もいますから。」

 

その日以降、飲む必要がなくなった青いカプセルは見るのも嫌になり、すべてゴミ箱へ放り投げました。

 

薄々気がついていたけれど、落ち着きのない性格も、不注意も衝動性も、もしかするとADHDから類推されるような、もっともっと根深い原因が別にあるのではないか。自分は発達障害なんだと安心してしまう以前に、自分の中で向き合うべき喫緊の課題があるではないか。いつしかそんなふうに考えるようになったのです。

 

やがてADHDの治療を止めた僕は、何もかも相方に頼っていたことにも気づき、ちゃんと自立をしたいと考えるようになりました。そして相方からの一方ならぬ協力を得て、念願だった一人暮らしが決まったのです。

それは僕にとって、本当の意味でのリセットでした。

 

*   *

 

しばらくはADHDのことは隠さずに生きていこうと決めていた僕でしたが、いざ職場や聞き屋などでオープンにしてびっくりしたのが『自称ADHDの人たちの存在でした。

 

僕がADHDだと話したとき「実は自分もそうなんですよ」と打ち明けてくれた人が数名いました。それまで自分以外の当事者と接点がまったく無かったので、いろいろと掘り下げて聞いてみたのですが、その中に実際に病院で診断を受けて投薬治療を経験したという人は一人もいなかったのです。

 

どうして治療をしないのか聞いたところ「親が非協力的で認めてくれない」とか「軽度だからそこまでしなくても」とのことでした。あくまですべてを自己判断で済ませた上に、その現状で立ち止まっていたのです。

 

(それってADHDとは言っているものの、自分とちゃんと深く向き合っていないだけなんじゃないの?)

 

こんなにも簡単にADHDという言葉に乗っかって溜飲を下げ、尚且つ思考停止に陥っている彼らがとても無責任に思えてしまい、底知れぬ強い憤りを覚えました。ただ『普通』になりたい一心で、辛い副作用に耐え続けた僕の治療は一体何だったのか……。

 

おまけに自分が思っていたよりも、発達障害という言葉が世の中に浸透していることにも衝撃を受けました。

 

(そうか、流行ってるんだ……)

 

いつの間にかブームになっていることに気付いた僕は、何だか急にADHDを名乗ることが恥ずかしくなってしまいました。そもそも発達障害そのものが本当に存在するのだろうかと、強い疑問を抱くようにもなりました。

 

そこからパーソナリティ障害や心理学など、自分の心の動きと関係がありそうなものを手当たり次第調べていった結果、最終的に『愛着障害』というものに辿り着きました。

 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

そしてついに『認知の歪み』という名のラスボスが、僕の目の前に正体を現したのです。

 

 

(続く)