聞き屋のたぬ吉

アラサー会社員たぬ吉の、心のスキマを埋める旅

理想、現実、多様性

僕が先週書いた同性婚についての考察ですが、引用して記事に起こして下さった方がいたようで、お二人とも大変興味深く拝読いたしました。直接書き込もうか迷いましたが、お相手の方のコメント欄で深意を滔々と語るのもアレなので、補足も含めて往復書簡のような形で記したいと思います。

 

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多様性を認めるべき根拠として考えられるのは,それが自己責任でどうにかなるステータスではない(それゆえ,社会の側が積極的に是正していくべき)と考えられるからです.
 

 

多様性が認められるべきとする論拠については、性的嗜好がコントローラブルなものかどうかではなく「その是正を当事者たちが本当に望んでいるかどうか」が重要ではないかと個人的には思います。


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もちろん上記が一般論としての叙述なのは十分に理解しているのですが、大前提として我々は生きているだけで既に多様なわけですから、そもそも「多様性を認める」という言葉自体がマジックワードになっているのではないでしょうか。

 

 

そしてどこかで線引きをしないとお互いが疲弊してしまうという危惧から、コミュニティの棲み分けが必要なのではないかと述べました。十把一絡げにLGBTと言っても連帯感なんて無いに等しいですし、ゲイ当事者に限って言えば、その大半は世間には是正ではなく無関心であってほしいと願っているように感じるのです。

 

 *   *

 

性的指向は,諸説ありますが概ね「その人自身が持って生まれた」性質だと思われ,マイノリティゆえに悩む人も少なくないのが事実だと思います.また,男女間の結婚に認められるような,適当な権利を伴うパートナーシップなどの,社会的な権利が積極的に認められる必要はあるように感じます.
 

 

自分もマイノリティの社会的権利はあってしかるべきと考えますが、もしかするとここが大きな誤解なのではないかと思うんです。僕の前回の記事でお伝えしたかった内容が、まさにそこでした。

 

なかなか言語化が難しい部分ではありますが、当事者同士の関わり合いの中でいつも感じていたのは、実は我々自身が誰よりも「普通」というヘテロ社会への憧憬が強いのかもしれないということでした。それを自分なりに分析してみた結果、同性婚とはあくまで仮初めの擬似的な普通体験であって、抜本的な解決策ではない。だから結局それは蟹ではなくカニカマでしかないのかもしれないという結論に至った次第です。

 

*   *

 

それぞれの思い描く多様性もまた,非常に多様で,例えばレインボーパレードみたいなのの意義とかはちょっと僕もよくわからないのですが,そうやって見せつけていくというよりも,社会的な居場所がある程度確保される,みたいな穏当な変化があれば良いのかなと思っています.
 

 

どんなに社会的な権利を訴求したとしても、ヘテロ社会のような「普通」には絶対に辿り着けない。そういう絶望や諦念を幾度も繰り返した結果、ゲイ社会という狭い世界の中で、自分たちだけのスタンダードを作り上げようとしたのではないか。そんな考察から、僕は彼らのことを『ゲイ社会クラスタ』と表現しました。

 

さらにゲイ社会クラスタヒエラルキーとして可視化してみると、短髪や筋肉質といった男性性の強い人たちがトップに位置していることがわかります。

 

【男らしい 〉普通っぽい 〉中性的 〉個性的】

 

クローゼットゲイというデタッチメントな環境から、いざゲイ社会へとコミットメントしてみると、真っ先にこの洗礼が待ち受けています。彼らの性に対するオープンな姿勢や、貞操観念の低さなども相まって、真面目な性格であればあるほど“軽佻浮薄な集団”として見えてしまう。そうした受難からあえて染まることを拒否し、意識を高く持った人たちが別の居場所を求めた結果、『多様性クラスタ』として徒党を組んで、世間に対して「多様性を認めよ!!」と標榜していったのではないか。

 

そして実際に世間に届くのは「多様性を認めよ!!」という声でしかなく、これがゲイ全体の総意であるような誤解を生んでしまっています。しかし本当は彼らのような『多様性クラスタ』がゲイの中ではマイノリティという事実を世間は知りません。だから、そんな現状を憂いだ『ゲイ社会クラスタ』が、東京Neighborsのような作品で「本当はそうじゃないんだぞ!」ということを世の中に訴えたかったのではないかと推測しました。

 

劇中の登場人物を見ていても、“短髪普通体系以上”というドレスコードが徹底されているあたり、そこに彼らの“ゲイ社会のスタンダード”としてのプライドが表れている気がするのです。

 

*   *

 

きっと世の中にゲイの居場所がなかったから、仕方なく自分たちで作り上げたのだと思います。その経緯が痛いほどわかるから、僕はゲイ社会を批判することはできないし、それに馴染むことが出来なかった人たちも批判することは出来ません。そして今、自分自身がそのどちらに属せばいいのか、いまだに迷っています。

 

ただ一つ言えるのは、多様性があまねく実現された社会は、もう僕らが本当に望んでいた「普通の世界」ではなくなってしまうのではないでしょうか。

 

 

ほんとは笑って生きたいくせに 嘘をついてる 嘘をついてる

理想、現実 そのずれを 埋めるための仮初の夢想なら

弱い僕らに嘘は必然か 今日も誰もが嘘をついてる

そいつを食らえ なあ僕らは、表裏一体の実像と影

彼は化け物 嘘を食らう獣 一人に一人 誰も彼もが背後に匿う

その隠し事 蓋をしてる腫物 君の背後にそびえ立つ影 ずいぶん巨大だな
(amazarashi「バケモノ」2017年)