聞き屋のたぬ吉

相席をした彼の名は悲しみ

日本で同性婚したいゲイは、蟹をカニカマで我慢できる人たちである

 

今話題の妊活ドラマ「隣の家族は青く見える」

前評判でかなり気になっていたんですが、知り合いから勧められたこともあり、昨日ついに見てみることにしました。

 


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それというのも、話の中に社会人&学生風の、ちょっと歳の離れたゲイカップルが出てくるんですよね。

あらすじは省きますが、どうやら学生風の男の子が彼氏の家に住みついて、同棲してるという設定らしいです。

 

実際は妊活夫婦の話がメインなんだけど、それ以外にもいろんな社会問題がギュッと詰め込まれていて、今回の放送分だけでもかなり見応えがありました。

 

テレビをつけたのが番組の途中で、ちょうどその学生風の男の子・朔と深キョンと、もう一人よくわからない女の人がいて(説明になってなくてすみません)、その三人が井戸端会議をする直前のシーンでした。

主人公で不妊治療中の深キョンが、「旦那と最近キスをしなくなった」とこぼすところから同姓婚の話へと展開していくんですが、そこからのやり取りが興味深かった。

会話の内容をトレースします。

 

*  *

 

深キョン「そういえばうち、最近キスしなくなったかも。」

女「えぇ!?嘘でしょ!?」

深キョン「結婚すると、いちいちキスとかしなくてよくなるんだよね。お互いがいることに安心する、って言うか。」

女「安心が一番よくないよ?」

深キョン「そうなの?」

女「カップルなんて、安心したら終わりでしょ。それもあって、うち事実婚にしたんだから。」

深キョン「じゃあ、うち、終わってるかも……?」

朔「いや奈々ちゃんと大さんはラブラブじゃん。その点同性同士は結婚できないからね。不安しかない。

女「えー、朔ちゃんとこもさ、事実婚だと思えばいいんじゃない?」

朔「選択して事実婚なのと、事実婚しか選択できないのはまた違うよ。俺はできれば婚姻届みたいな、拘束力のあるものが欲しいんだよね。」

女「えー、なんでー?」

朔「だってさぁ、どんなに好き合ってても、例えばケンカした勢いで別れようってなったらその日に終わることができるわけじゃん。でも婚姻届出してれば、役所に離婚届取りに行って、名前や住所書いてサインして、保証人のサインも貰わなきゃいけないわけでしょ。単なる手続きだけど一日でやるのは難しいし、やってるうちに冷静になるよね。一時の感情だけで別れないように、あえてそうしてると思うんだよね。」

女「なるほどね~、結婚なんて子供のいるカップルだけに必要なものだと思ってたけど、そういう効力もあるんだね。」

朔「(深くうなずく)」

深キョン「同性同士のカップルにも、婚姻届出せるようになったらいいのにね。」

朔「まぁ、日本じゃ難しいかな……。」

 

*  *

 

【結婚=拘束力】という考えはあくまで一側面であって、ベースに通じ合っているものがなければ男女だってあっさり別れる時代です。そういうものを結婚維持装置として頼るのは、ちょっと理想が過ぎるかなと。

 

このシーンだけでも十分考えさせられますが、さらにこの後の展開も非常に興味深いものでした。

 

付き合っている渉の母親が骨折したとかで、渉が急いで実家に向かおうとするところを、朔が「会社の後輩ってことにして、一緒に行きたい」と言い出し、実家に同行するのですが……。正直、自分はこの段階でどんな展開になるか予測がついていました。

 

*  *

 

渉「階段から落ちたんだよね?」

母親「2、3段、ちょちょっと踏み外しちゃったのよ、ウフフ。」

渉「でも年々大変になるし、何か対策を考えないとなぁ。」

母親「対策って?あっ、エレベーターでも作ってくれる?ウフフフフ。」

渉「この家にエレベーターは無理だから、階段のない家に引っ越すとか?」

母親「そ~んなお金どこにあるのよ、ねぇ?オホホ。」

渉「もしあれなら、ねぇ、完治するまでうちに来る!?」

母親「えっ?」

渉「部屋はあるんだよ。だからお母さんさえよければさ。」

母親「(急に真顔になる)冗談じゃないわよ、独身の息子の部屋に母親が転がり込むなんて。ただでさえ婚期逃してるのに、母親なんかいたら寄りつく女性もいなくなっちゃうじゃないの。言っときますけどね、お母さんまだ諦めていませんからね。あなたが仕事に熱心なのはわかってるわよ。でも、孫の顔も見ないで死ぬなんて、嫌ですからね!早く結婚してちょうだい!青木さんも、どなたかいい方がいたら紹介して下さいね?」

朔「(苦笑いで)……はい。」

 

完膚無きまでに打ちのめされた朔は、自宅に戻ってからも彼の態度に納得がいきません。

 

朔「残酷だよ。」

渉「えっ?」

朔「何年待っても孫の顔見れないって、正直に言ったらいいじゃん。期待させてるだけ可哀想だよ。」

渉「そんな簡単なことじゃないよ。」

朔「わたるんが難しくしてるんじゃん。」

渉「前にも言ったけど、カミングアウトしないことがせめてもの親孝行だと思ってるから、一生言うつもりはないよ。

朔「そっか、わかった。そーゆうことか。」

渉「……何だよ?」

朔「わたるんは恥ずかしいと思ってるんでしょ?自分がゲイだってこと。だから隠してるだ、世間にも親にも。わたるん自身が一番ゲイに偏見持ってんじゃん。

渉「偏見なんか持ってない。俺の家族のことはお前にはわかんないんだよ!」

朔「そうだよね。親のいない俺にはわかんないよ。」

渉「そういう意味じゃなくて。」

朔「バイト行ってくる。」

渉「朔、ねぇ。ねぇ朔!!」

朔「(出かけてしまう)」

 

ものすごく理解できる反面、これがゲイのスタンダードだと思われるのも、何か違う気がしました。カミングアウトしない=偏見という考え自体が偏見であって、使い古しのテンプレ感が否めません。ここでは単純に、相手の事情を汲み取る優しさに欠けていますよね。

 

で、ここからは、奇しくも僕が先日書いたばかりの記事と繋がってくるわけなんですが。

 

tanukichi.hatenadiary.com

 

僕は最後の感想の部分で、こう綴りました。

 

全体的な感想として、この作品で一番に訴えたかったのは、実は昨今のLGBTブームを作り上げたのはマスメディアとほんの一部の活動家たちであって、それは必ずしも一般のゲイの意識を反映させたものじゃないということのように思います。

当事者の大多数の気持ちを置き去りにして、偏ったイメージだけが肥大化していく恐怖心。また、それを促すノイジーマイノリティや、その声を鵜呑みにして拡散するメディアへの嫌悪感を、様々なレトリックを用いて風刺しているようにも感じました。

 

”ノイジーマイノリティや、その声を鵜呑みにして拡散するメディアへの嫌悪感“という箇所が、あの記事の中で第一義的に訴えたかった部分なんですが、「隣の家族は青く見える」もまさに唯々としてLGBTブームの波に乗っかった“ドラマティックな”台本になっています。

 

東京Neighborsでは第5話で、女装のユウヤが結婚する知り合いに対して言った「結婚の現実はノンケだけに味わわせておけばいいのに」という台詞からも分かるように、結婚したいという考え方がすでに浮き世に染まっている証拠なんじゃないか、と。

むしろその結婚至上主義的な考え方が、ゲイが排斥される遠因にもなっているのに、それに気づかない鈍感さに呆れている。そして彼女の視点が当事者の本音に近いのではないか、と書いてしまったんだけど、もっと深く考察してみると、実はそういうことでもないように思えてきたんです。

 

多様性を要求しながら結婚という型にはまりたがるという、そのアンビバレントな気持ちを深堀りしていくと、見たくなかった現実が一つ浮かび上がってきます。それは、実は我々ゲイこそが、本当は男女の境界線をハッキリと引きたがっていて、本来訴えたいのは「多様性」なんかじゃないということです。

本当は男女のようなノンケごっこをしたいだけで、便宜上「多様性」と言わざるを得ないだけなんじゃないかと。

 

その証拠に、短髪やマッチョがゲイにモテる王道なのも、ハロプロ系のアイドルやパフューム、安室奈美恵のような存在にゲイのファンが多いのも、上記で説明がつくのではないでしょうか。

逆にゲイにとって、中性的な見た目や前髪系が非モテの象徴とされている理由も、ガサツな女性が不人気なのも、すべてはそこに集約されていくのではないか。

つまり性対象としての男性を見る目も、“同性目線”で女性を見る目も、いずれも外見から性別がハッキリと認識できる、アイコニックな存在に惹かれる傾向にあるという現実が、それを証明している気がするのです。

 

80年代アイドル雑学に造詣の深いクリス松村氏も、アイドルの魅力について「つまるところは投影なんだと思う。」と某番組で語っていたのを思い出しました。

そして安室ちゃんに関して言えば、彼女を特徴づけている“腰まで届くロングヘア”が、特にゲイにとって最大の魅力なのではないかと個人的には分析しています。

 

 

*  *  

 

 

そうしていざ俯瞰してみると、タコが自分の足を食べてしまうような感覚で、曖昧さも多様性も、その実当事者たちが一番否定しにかかっているという、目を覆いたくなるような現実が浮き彫りになってきました。

 

さらに煮詰めていくと、日本においてLGBTが浸透しない理由の一つに、ゲイがゲイを馬鹿にしているという同族嫌悪の傾向があるように思います。僕は実際にこういう知り合いが数人いるんですが、彼らに共通しているのは、驚くほど真面目で、モラリストで、誰よりも人目を気にしてしまうナイーブなところなんですよね。

エスカレーターでは必ず下の位置に立ってくれたり、食事のときも奥の席を通してくれたり。これでもかというほど気の使える人が多いんです。ただ、そのほとんどはバイになりたいゲイなんですが……。

 

ゲイにとっての「ノンケ」という存在って、ものすごく神格化されているところがありますよね。アダルトビデオでも雑誌でも「ノンケ」というワードがやたらと多用されているのは、これも結局はゲイがゲイを馬鹿にしている節があるのではないかと、考えたりもします。

 

個々人の結び付きをアイデンティティとしているか、社会や組織から認められることをアイデンティティとしているか。一口にゲイと言えど、ここも実際はハッキリと別れていて、残念ながらやはりゲイの中でも「社会(ゲイ社会)から認められること」を第一のアイデンティティとして捉えている人たちが、さしあたりサイレントマジョリティになっている気がします。

 

だけどやっぱり一般社会に対して「多様性」を訴えるマイノリティ側のゲイのほうが幅を利かせているのは、そのほうがメディア的に映えるし、なんとなく一家言持ちの当事者というイメージからなんじゃないでしょうか。そうしたアドバンテージをいかんなく発揮しようと意気込む「多様性クラスタと、そんなもんじゃ根本的に意味がないので沈黙を守り続ける「ゲイ社会クラスタのパワーバランスにおいて、世の中の想定している比重と現実が真逆になっているように思うんです。だから、「隣の家族は~」のようなゲイの問題にフォーカスした話でも、当人たちにはしっくり来ないドラマの内容になってしまうのではないか。

 

ゲイの結婚観も結局はそこで、同性婚を望むとか望まないとか、もはやそういうフェーズでは語れないのです。例えるなら、あくまで同性婚とは蟹じゃなくてカニカマだということなわけで、それを理解した上で希求するのか、しないのか。そう、これはきっと「カニカマでもいいから貰おうよ!」とアジテートするマイノリティVS「本物の蟹じゃないと無理!」と牛歩戦術で応戦するマジョリティの百年戦争なんですね(笑)

 

だから大半のゲイ当事者はその問に対して「セクマイとして活動するのは社会性に反する気がするので無理!それに権利を求めたところで結局カニカマだからコスパ悪すぎ!!とりあえず短髪犬顔ノンケください!!!」と、鮮やかにNOを突きつけるのではないでしょうか。カニカマ求めて社会と戦う暇があったら、アプリで誰かと会ってセックスでもしてたほうがよっぽど生産的で意義のあることなんだ、と言わんばかりに。

 

 

ここまで来たらハッキリと言ってしまうけれど、バイセクシャルは置いといて、僕自身はレズビアントランスジェンダーもその現状は正直よく知らないし、大して興味もありません。

たぶん、あっちも内心そう思ってると思います。LGBTと一括りにされたところで、ハッキリ言って自分たちの持ち場以外のことはわからないし、興味ねーよって。だから、あの四文字に一抹の違和感を覚えるんですね。

 

本当の意味での多様性って、認め合うことなんじゃなくて、相互に関心を持たないってことなんじゃないでしょうか。冷たいようだけど、それ以上に出来ることってない気がするから、もうこれはハッキリとコミュニティを分けるしかないと思うんです。

 

ただ、世の中そうもいかないので、結局はうまく世渡りをしながら、出来るだけ敵を作らないようにする。そうしていざ自分をさらけ出せるコミュニティに属したときは、本音で語り合う。これが一番穏やかな日本の現状なのかもしれません。

 

 

 *  *  *

 

 

「隣の家族は青く見える」の監督インタビューの記事を、ちょっと前に偶然他の媒体で目にしていたんです。うろ覚えで申し訳ないんですが、たしかこんなことを言っていたように記憶しています。

 

「ゲイのカップルが出てくるんだけど、テレビでよく見かけるオネェキャラのようにデフォルメしたくなくて、普通に演じてもらった。」

 

2015年に放送されたドラマ「偽装の夫婦」の中で、沢村一樹演じるオネェのゲイがいたんだけど、【ゲイ=オネェ】という現実離れしたキャラクター性を取っ払ってくれたのは、たしかに良かったとは思います。ただ今作でもやはりゲイを社会的弱者として扱っている感が強くて、現実との距離を感じずにはいられませんでした。

 

ドラマというのは読んで字の如く「ドラマティック」な内容を求められます。そうすると、世の中の出来事をありのまま垂れ流しただけでは物足りないので、脚色するわけです。そのさじ加減が監督の腕の見せどころなんですが、どうやらまだまだゲイの実情を深く観察できていない方が書いているようですね。

 

 

中世の絵画でも現代アートでも、芸術が美しいのは「答えのない問い」だからです。

人がなぜ生まれ、なぜ死んでいくのかも「答えのない問い」であるわけだし、その疑問と戦い続けることに意味があるんだと思います。僕自身いつだって迷っているから、同じように迷っている人が大好きだし、絶望もたくさんしてきたから、同じようにたくさん絶望してきた人たちと繋がりを持ちたい。

答えは出せなくとも、僕自身がせめて本質的な問いを投げかけられる存在になれたらいいなぁと、そう願って止みません。

 

 

臆病者ほど人を傷つけると言うなら 一番臆病なのはこの世界なのかもしれない

優しい奴ほど背中を丸めて歩く 腹いせにこの都会を踏んづけて歩く

 

時代は変わっていくのではなく吹きすさぶのだ 向かい風に逆った奴らは行っちまった 

息を止めた憐れな孤独の悲しみ共 空元気が繁華街に反響して空虚

 

価値観も善悪も 多数決で決まるなら 

もしかしたら 生まれる場所を間違えたのかもな

もういいよ いいよ この部屋は世界の隅で

機会を今かと、窺うには丁度いいかもしれない

賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う

 

多数派が少数派に面倒を押し付ける 持つ者は持たざる者を食い物にしてる 

強い者が弱きを挫いて溜飲を下げ 都会は田舎をゴミ捨て場だと思ってる

 

人類最後の解決法が戦争だけなら 進化論も当てにはならなかったみたいだ

その実、知恵のある振りをした獣だから 空腹もこれ以上無い動機になりえた

 

違和感も常識も 多数決で決まるなら

もしかしたら当たり前も もう疑うべきかもな

もういいよ いいよ この町は忘れ去られた

良からぬ事を企てるには丁度いいかもしれない

賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う

 

札束の数 名誉の数 友達の数  勲章の数 

勝ち越した数 賞状の数 努力した数 褒められた数 

僕らの価値は数字じゃない

自分の評価を人に任せる訳にはいかない

世界は移り変わる 昨日の価値は今日の無価値

 

罪悪も合法も 多数決で決まるなら

もしかしたら百年後は もう全員罪人かもな

もういいよ いいよ この世界は壊れすぎた

白紙から描き直すには丁度いいかもしれない

賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う

(amazarashi「多数決」2016年)