聞き屋のたぬ吉

アラサー会社員たぬ吉の、心のスキマを埋める旅

羽生選手が苦手な理由

男子フィギュアスケートの金銀獲得に、日本中が歓喜に沸いています。

昨日は新聞各社がこぞって号外を配布したところ、数時間後にはそれがメルカリで大量出品されていたそうですね。軒並み2000円前後で取引きされたというから、羽生選手の底知れぬ人気の高さが伝わってきます。

 

そんな羽生フィーバーの流れに水をさすようで大変申し訳ないんですが……僕は羽生選手がちょっと苦手です。実は、以前からずっと。

ちょうど自分と向き合ういい機会なので、なぜ苦手なのかを書いてみようと思います。

 

 

*  *

 

 

スポーツの世界というのは圧倒的な成果主義で、結果が全てです。どんなに裏で血の滲むような練習を重ねてきたとしても、それが本番で発揮できなければ評価されません。特にオリンピックは世界中のトップアスリートたちの祭典ですから、その場にいる全員が本番で最高のパフォーマンスを見せようと、心血を注ぐわけです。

 

そのプレッシャーたるや想像もつきませんが、実も蓋もないことを言ってしまうと、そのプレッシャーに打ち克ったものだけに栄誉が贈られるというシステム自体に、僕はあまり魅力を感じません。

 

羽生選手においては、心臓に毛でも生えてるんじゃないかと疑うくらい本番に強いですよね。そのメンタルの強さは、インタビュー時の強気な発言や、常に自信に満ち溢れた表情からも窺い知ることができます。

 

で、これは完全に持論なんだけど、実はメンタルの強い人って、この世の中に存在しないんじゃないかと思うんです。スポーツもいかにメンタルを強く見せるか争っているだけで、どんなに泰然自若に見えたとしても、総じてメンタルというのは弱いものなんじゃないかと。

 

「メンタルが強いと思い込んでいる人」はいるとは思います。一般的には自分に酔っているとかナルシストとか、そんなふうに表現されることが多いかもしれません。しかし結果が伴えば、それが実力にとって代わり、ひいては更なる自信にもつながっていくことになる。

 

当然ナルシシズムが発揮するパフォーマンスというのも存在すると思います。ただ、僕はそういう「やれば絶対にできる!」的に自分を追い込む人を見ていると、なんとなく心苦しくなってしまうんです。

 

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それとは逆に、悩んだり迷ったりしていることを隠さない人に親しみを覚えずにはいられません。ベストは尽くすけれど、結果が全てではないことを解っている。悔しい思いをしたとしても、それまでの過程を大事にできる。そして勝っても負けても、それをスッと腹落ちさせられるような、そういう人が好きだったりします。

 

自分は勝負ってかなりムキになる性格だから、そういう状況になると自分の中で黒っぽいザワザワとした気持ちが渦巻き始めます。いいところを見せたいとか、相手の鼻を明かしてやりたいとか、そういう感情が止めどなく溢れてきて心を支配しようとします。そしてそれと同時に激しい動悸や手の震えが止まらなくなって、体が「お前、やめとけよ」っていう警告を出してくるのです。

 

だからきっと、彼のあの鋭利な目つきが居丈高に見えてしまうのは、何かで怒りを感じたときの自分を彷彿とさせるというか、勝負ごとで必要以上にエモーショナルになってしまう自分と重なって見えるからなんだと思います。

 


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それで彼のように金メダルでも取れるなら話は別ですが、大概自分の場合は一円にもならないことに熱くなって馬鹿を見るので、なるべく競争はしないようにしていると言うわけ。

 

よくある占い師の性格診断で、「あなた、負けず嫌いでしょう?」なんていう常套句があるけど、あれって本当によく考えられてるなぁって思う。だって負けず嫌いじゃない人なんていないわけだから、ほとんどの人に当てはまるじゃないですか(笑)

 

結局彼を見て苦しくなるのって、どこまでも自分の弱さなんだけど、無理に克服する必要性はないように感じていて。前にもどこかで書いたけど、強さってそういうことじゃなくて、自分の中にある弱い部分を一つ一つ認めていく作業なんだと思う。そうして自分自身と折り合いをつけながら、やがては人の弱さとか苦しさを想像できるようになって、初めて優しくなれるのかなぁ、と。

 

だから、自分はきっとしばらくは羽生君の演技を直視することはできないけれど、たぶん、それでいいのです。

 

 

 よどみない浮き世の流れ

 飛び込めぬ弱さ責めつつ

 けれど傷つく

 心を持ち続けたい

(松任谷由実「水の影」1980年)