間もなく第2弾が公開予定の「東京Neighbors」
すでに公開済みの第一弾を視聴したので、あれこれ感想を書いてみようと思います。※ネタバレのため、気になる方は動画を見てから読むことをお勧めします。
※全文読むのに15分ほどかかります。
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LGBT関連のニュースは極力注目しているけれど、きょうびのトピックと言えば、どこぞの自治体がパートナーシップ証明制度を導入したとか、某有名人が性別適合手術を受けたとか、マス受け狙いの“王道ネタ”ばかり。
そんな滑稽なメディアに辟易する中、ふと目に留まったのが、ある媒体に載っていた本作の監督・シバノジョシア氏のインタビューでした。
内容は東京のゲイライフを描いた短篇の群像劇で、シリーズの制作にあたっては「ゲイの中の声なき多数派」を意識したのだと言います。役者がすべて素人の当事者でキャスティングされているところも、食指が動いた要因かもしれません。(残念ながら演技力は低めです)
物語には伏線としてトミジロウという人物が登場するんですが、共通の知人として名前が上がる一方、本編では一度も姿を現しません。元彼、飲み友、セフレ、バーの元常連と、関係性は登場人物によって違うけれど、水面下では恣意的に彼らを翻弄していきます。
プレイボーイとして周囲に名を馳せる一方、素性を伏せた設定が想像力を刺激して、陰影に富んだ展開を演出しています。
全体を通して見てみると、実は彼以外にも伏線が随所に散りばめられていて、台本としてはよく出来ているなぁと思いました。
印象に残ったシーン毎に、掘り下げていきます。
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・第1話
~交錯する想い~
夜の新宿二丁目。
とあるバーで一献傾けるノブと、その店の店主・アタルのベタなシーンで始まる第1話。
ノブ「そういえばマスターって、彼氏とかいるんだっけ?」
アタル「何?俺に興味あんの?笑」
ノブ「ないない。」
二人のさりげない会話から、ノブがアタルに対してホの字である様子がうかがえます。
「ここのマスター、恋愛なんてとっくに辞めちゃったんだよね。」
隣の客から横槍が入ると、アタルの昔の男が置いていったというショットグラスを見つめるノブ。入り込む余地の無い現実にショックを受けているんでしょうか。
ノブ「そろそろ帰るよ。」
(店の外まで見送りに出るアタル)
ノブ「最近は恋愛も仕事も面談だらけ。」
アタル「いいねぇ、その表現。」
恋も仕事も、所詮は選ばれる側。世知辛い世の中を厭世的に表現したこの台詞は、特にゲイの恋愛と一脈通じる部分があります。出会い系アプリを通じてリアルを繰り返し、互いに「就職」を目指していく。それはセックスを指すのか、真面目なお付き合いを指すのかはわからないけど、やってることは就活の面談と何一つ変わらないような気もします。
最近は男女間のセックスを「優勝」と呼んだりするそうですが、ここまで来るともう訳がわかりません。
アタル「今度は男でも連れておいで~。」
(抱きしめあう)
アタル「これ営業ハグね?手近で満足しちゃダメだよ。」
ノブ「クールだね。でもそういうところ嫌いじゃないけど。」
ノブ「おやすみ。」
アタル「……クールだってよ、何やってんだか。」
何ともやりきれない様子で独りごちるアタル。その表情からは、自分を想ってくれる人に応えたい気持ちと、容易に断ち切れない過去への執着心がせめぎ合っているようにも見えます。自縄自縛から逃れることのできないもどかしさは、やっぱり女心なのでしょうか。
・第2話
~結婚おめでとう~
匿名掲示板で房事の相手を探す最中、思いがけず公園で鉢合わせてしまうノブとカイト。場所が場所だけに偶然ともいかず、互いにやり取りしている相手だったことがばれてしまいます。しかもカイトは結婚を間近に控えているだけに、ノブとしては決まりが悪い。
ノブ「……ウケる。」
カイト「世間は狭いなぁ。」
ノブ「彼氏とはラブラブ?」
カイト「セックスもあるし、順調。結婚もするし。」
当然ここで言う結婚とはパートナーシップ証明のメタファーなのですが、“マリッジブルー”なのか、どこか物憂げな表情にも見えるカイト。一方のノブは「彼氏もいないし、使えるものは使っておく」と、セックスワークとして完全に割りきっている様子がうかがえます。
片や浮気がばれ、片やサポと売り専がばれるという、言わば痛み分けのような状況のこの二人。こんな展開もゲイ特有のあるあるなんでしょうか。
カイト「あのさ、六時まで、どう?」
ノブ「えっ?うーん、いいよ。」
カイト「じゃあ、秘密厳守で、決まり。」
結局するんかい!と突っ込みたくなりますが、ここではゲイにとっての友達という関係の曖昧さと線引きの難しさを、あえてこのような形で描写しているように感じます。もちろん世の中のゲイの友人関係すべてがセックスありきではないにせよ、イロゴトとしてじゃない“裸の付き合い”は、比較的カジュアルにこなしている人が多いのかもしれません。
・第3話 第4話
~新しい家族~
ある休日のお昼過ぎ。同棲中のマサルとカイトは、目前に迫った結婚式について会話をします。
カイト「ノブって知ってる?アタルさんのとこの客なんだけど。」
マサル「……知らないと思う。」
カイト「結婚のお祝い、何がいい?ってさ。」
マサル「おー、いいねぇ。」
つい先日、真っ昼間からホテルでしけ込んでた相手ですなんて、口が裂けても言えません。
マサル「そうそう、リスト作らないと。」
カイト「何のリスト?」
マサル「式の招待客。」
カイト「なんだか本格的だぁ。」
盛り上げてくれる周囲とは対照的に、どこか他人事のようなカイト。結婚に対して、そこまで深く考えていないのでしょうか。浮気もたまには必要だと言ってしまうあたり、実はかなりドライなタイプなのかもしれません。
マサル「母さん生きてる間に、ちゃんとカミングアウトしておけばよかったなぁ。」
カイト「お父さんには、連絡しないの?」
マサル「親父にはむこうの家族があるから。」
カイト「そっか、そうだったね、ごめん。」
マサル「謝らなくていいよ。自分にも、新しい家族が出来たから。」
このあたりもベタと言えばベタですが、男女間ですら妊娠以外に結婚する理由が見当たらない時代に、ゲイだけがどこまでも純粋に結婚願望が強いなんてことはあり得ません。もちろん絆を深めたい気持ちはあるでしょうが、実際はなにかのっぴきならない理由がなければ、結婚なんて必要ないと考える人が多数派になってきている気がします。
冷静に観察してみると、二人の間には結婚に対する若干の温度差が生じていそうです。
・第5話
~誰と幸せになりたいか~
友人の誕生パーティーに招かれた女装趣味のユウヤは、その場に来ていた友人たちとひとしきりしゃべると、化粧直しをするために一人バルコニーへ。
そしてGOGOボーイのナオもやって来ると、二人はちょっと乾いた恋愛トークを始めます。
ナオ「普段からやってるの?メイク。」
ユウヤ「普段からやってるの?ゴーゴー。」
ナオ「(苦笑いしながら)普段はサラリーマン。これ、ホストの趣味で衣装して。」
ユウヤ「私も、普段はスーツ、すっぴん。」
ありのままの自分は週末限定。だからこそ、今、この瞬間を楽しむことが私の使命なの。そんな心の声が、彼女の言葉の行間から聞こえてきます。
ユウヤ「なんだか……。」
ナオ「なに?」
ユウヤ「あっちで盛り上がってる話題が結婚式なの、来月の。」
ナオ「そうなんだ?」
ユウヤ「知り合いの。」
ナオ「知り合いの?好きな男?」
ユウヤ「まさか。全然、タイプじゃない。」
ナオ「じゃあ、なんで浮かない顔?」
ユウヤ「なんだかねぇ。せっかくゲイに生まれてきたのに、何が楽しくて結婚なんてするんだかって、そんな感じよ。」
一見皮肉にも聞こえるこの台詞は、もしかすると当事者の本音に一番近いものなのかもしれません。
どうせ結婚なんてしても、セックスレスになって、退屈な日々が待っているだけ。それなら始めから何にも縛られず、自由に生きていたい。
将来に対する希望も不安も、いつだって考えないことで自分の身を守ってきたのに、今さら結婚なんていう通俗的な幸福基準に従うわけにはいかない。そんなふうに聞こえるのです。
ユウヤ「あー。好きな男のこと考えてたわね?」
ナオ「なに急に。」
ユウヤ「私にはわかるのよ。告白は?」
ナオ「そんな単純な話じゃないんだって。」
ユウヤ「難しくしてるのはあなたよ、きっと。」
ナオ「(無言で立ち去ろうとする)」
ユウヤ「全員が幸せになんて思わないで。あなたが誰と幸せになりたいかよ。」
キラーフレーズはここだと思います。
【結婚=幸せ】という基準は、少なくとも結婚していない人たちに対して「お先に失礼します!」と宣言することで生まれる優越感、つまり“他人との比較”による幸福が含まれています。比較から生まれる幸福は他人がいないと成立しないので、真に内側から生まれる幸福とは似て非なるもの。本当の幸福とは、誰と幸せになりたいか。また、自分が誰を愛するのか。本質はその部分なのではないでしょうか。
承認欲求とは誰しもが持っているけれど、数を求め出すとキリがありません。自分の愛する人と深く承認し合うことが出来たなら、これ以上の幸福はないと思います。好きな人と一緒にいれるなら、それだけで素晴らしい。彼女はその本質に気付いているのかもしれません。
・第6話
~執着を手放すとき~
(アタルの元彼が三年前に突然姿を消した理由、それはノンケとして女性と結婚し、地元で普通の暮らしをするためだった。)
二丁目の例のバー。
アタルとナオの二人きりの店内。アンニュイな空気に満たされる中、ナオはアタルの元彼のショットグラスが消えていることに気付きます。
ナオ「で?カズキのショットグラス、ずっと置いてあったのに。」
アタル「なーんか、誰かに持ってかれたみたいで。盗まれたのかなぁ。」
ナオ「誰か心当たりは?」
アタル「なんとなくね。でも変な言い方だけど感謝してる。あの頃はさ、俺たちお互いが必要な存在で、ずっと一緒にいるんだって疑ってなかった。だからカズキが突然出て行ったのは、受け入れられなかったなぁ。」
ナオ「相変わらず未練たらしいねぇ。」
アタル「女の子だからねぇ。別れる理由がハッキリしないと、残されたほうの気持ちはいつまでもスッキリしないもんだよ。」
ここではゲイにとってバイセクシャルとは曲者で、傷つけられることも多い反面、男らしさで言えば最高に魅力的な存在なのだという両義性を描いているようにも見えます。
やり取りを聞いていたら、この状況に当てはまる曲をいくつか思い浮かべました。
自然に消えていく恋が
二人のためにはいいんじゃないか
思い出したら十年後に
いつでも会える関係がいいな
僕の望みはフェードアウト
君の望みはカットアウト
ますます冷める恋心
(中島みゆき「F.O」1986年 ※部分的に抜粋)
男は得てして白黒ハッキリつけたがらないもの。こと恋愛においてはそういう傾向が顕著だったりします。
じゃあ、なぜハッキリさせないのか。
二番の歌詞にこんなフレーズが出てきます。
好きになった順番は僕が二番目
燃え上がった君につい引きずり込まれ
これはけっこう可能性が高いんじゃないかと思います。実は好きになった順番は相手のほうが先だった。それに釣られるように付き合ったけれど、実際はちゃんと好きにはなれなかった。そして、何も告げずに去っていく。しかしそこが男のずるさであり、優しさでもある。
ザイガルニック効果と言って、人は心理として未完成品に惹かれる傾向にあるのだそうです。男はいろいろと可能性を残すため、本能的にこの心理を心得ているのかもしれません。
アタル「お前本当に何も知らないんだよな?あいつが出て行った理由。」
ナオ「アタルがこれだけ未練たらしくしてるんだから、知ってたら話すっしょ。」
アタル「そっかぁ。」
真相を知っていながら、あえて伏せたナオの選択は、きっと正しかったんだと思います。
譲れなかった恋に
卑怯に見えた あなたの沈黙が
どうして
今では優しさに思える
教えて 大人になるっていうのは
もう平気になる心
死にたいほど傷ついても
懐かしいこと
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・終わりに
~完璧な時代に、ゲイとして生きること~
全体的な感想として、この作品で一番に訴えたかったのは、実は昨今のLGBTブームを作り上げたのはマスメディアとほんの一部の活動家たちであって、それは必ずしも一般のゲイの意識を反映させたものじゃないということのように思います。
当事者の大多数の気持ちを置き去りにして、偏ったイメージだけが肥大化していく恐怖心。また、それを促すノイジーマイノリティや、その声を鵜呑みにして拡散するメディアへの嫌悪感を、様々なレトリックを用いて風刺しているようにも感じました。
世の中はマジョリティーにとって生きやすいように作られてしまったけれど、もはや同じフィールドで戦う必要はないのかもしれません。アンダーグラウンドな世界だけど、僕らは僕らで意外と楽しくやっていける。権利なんかいらないから、せめて、そっとしておいてほしい。そんな切なる願いが、どうか世の中に届くように。
矛盾だらけのこの世界と、もう一度仲直りをしよう。
* *
Happy days Happy come
執着を捨てたとたん
きっとわかる
一番大事なことは何なのか
探し続けてた未来がその瞳に見えた
Glory Hallelujah! なんて近くに
Glory Hallelujah! そこに
君がいればこの世界は輝く
(松任谷由実「KATHMANDU」1995年)