聞き屋のたぬ吉

アラサー会社員たぬ吉の、心のスキマを埋める旅

ひとりごと

「いい大学へ入って、将来は医者に」という親の見立てとはおよそ正反対の人生を生きる今、そういう道も悪くなかったかもしれないと、ふと思う。

普通の環境に適応できて、周囲との関わりも問題なく、当たり前のことが当たり前にできる。穏健な自分であったなら、たしかにそういう選択肢もあり得たかもしれない。もっとまともに生まれていたら、一般社会との距離や人間関係にこれほど悩む必要もなかったと、恨み節を唱えては打ちひしがれる。

 

睡眠が安定しないのは昔からだった。眠れない夜はとてつもなく長く感じる。長いから考え事をする。考えても答えは出ない。やがて朝がくる。不安、緊張、焦燥、そんな日々が連綿と続いていく。

普通、まとも、当たり前、モラル、約束、友達、家賃、信用、協調性。人格形成に明らかな瑕疵がある自分にとって、そのどれもが重圧となってのしかかる。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというけれど、経験からも学べない自分は一体何者なのだろう。誰も教えてはくれない。

 

 

祖父は63歳で他界するまでの八年間、某企業の某支社で代表取締役を務めていた。敗戦後の焼け野原から脇目も振らず労働し、高度成長期、バブル経済と日本の最盛期を駆け抜けた世代だ。

男尊女卑、年功序列、終身雇用、全てが当たり前に存在していた昭和の時代。学歴、社会的地位、物質的な豊かさこそが幸福の象徴であると誰もが疑わなかった、古き良き時代。そんな祖父に育てられた母親が典型的なステレオタイプなのは、当然なのかもしれない。

 

幼少期はたしかに少し裕福ではあったけれど、家の中は常に不穏で、母親と祖母が言い争っていたのを鮮明に覚えている。

表向きは幸福そうに見えていたのかもしれない。きれいに切り揃えられた前髪に、ラルフ・ローレンの子供服を着た7歳の少年が、写真の中で無邪気に笑う。

 

 

集団行動が苦手だった。

みんなと同じことができない。じっとしていられない。落ち着きがない。笑う、泣く、怒る。小学生の頃の自分はとにかく感情のセーブがきかなかった。物を投げる、机をひっくり返す。そんな破壊的な行動は日常茶飯事だった。

クラスメイトと言い合いになる。怒髪が天を衝き、勢い余って鉛筆で相手の頭を刺した。彼は保健室へ連れて行かれ、その日は早退した。幸い軽傷で済んだけれど、とても悪いことをした。

工作の授業で彫刻刀を使う。青木先生は自分に付きっきりだ。他の生徒と少し机を離される。いつの間にか隣のクラスの先生が来ていた。よく目が合う。頼むから振り回すんじゃないぞと、顔に書いてあった。物心はついている。なんだかいたたまれない気持ちになった。

 

やがて高学年になると不登校になり、親は手に負えず児童養護施設に預けられることになる。黒歴史にもほどがあるので、この辺りは割愛する。中学高校時代は思い出したくもない。

 

成人してからもいろんなことがあった。

雨の日の混雑した電車内、座席の前に立っていると、目の前に座っていた初老の男の足に少し傘が触れていたらしい。

「おい!当たってんだよ!!」

突然がなり声をあげた男にイラッとしたので、語気を強めて言い返した。

「混んでんだからしょーがねーだろ」

「なんだとぉ!?」

男は気が触れたような顔で立ち上がり、胸ぐらを掴もうとしてきた。殴られるかな、そう思ったとき

「やめなさいよ」

たまたま隣に居合わせた、190cmはあろう精悍な顔立ちのサラリーマンが、男の手を制止してくれた。大の大人がみっともないだろうと、その目は諭していた。

彼の渇が効いたのか、男は黙って座り直し、降りるまでおとなしくしていた。あの時隣のサラリーマンがいなかったらどうなっていたのか、今となってはわからない。もう何年も前の出来事だけど、咄嗟に言い返してしまう癖は今もある。いわゆる癇癪に近いのだろうか、変なスイッチが入ってしまうときがある。

 

 

子育てにおいて親が過干渉の場合、子供の怒りや哀しみといった感情は内側へ向かう傾向にあるのだという。表面的には問題ないように見えるけれど、思春期にリストカットなどの自傷行為に走ることが多く、ある日突然鬱積した感情が爆発し、普段はおとなしい人が凄惨な事件を起こしてしまったりするのだそう。

逆に親が無関心の場合、感情が外側へ向いていく傾向にあるという。人間関係での衝突が多く、思春期は万引きや売春、暴走族など非行に走りやすいのだそう。溜め込むことはない代わりに、何かあればその都度爆発するので傷が絶えず、問題児として扱われてしまう。犯罪に走ることはなかったけれど、いつも四面楚歌だった自分は間違いなく後者だろう。

 

こういう親は現代語で“毒親”と呼ばれている。

過干渉と無関心はどちらも子供の自己肯定感が充分に育たず、自分に自信が持てない点で共通している。すると成長過程で何らかの支障をきたすことになる。毒親の提示する条件にそぐわないと愛してもらえないという状況は、常に演技を要求されているのと同じことだ。

 

子供の人生は親に見せるための劇でも芝居でもない。それなのにわけのわからない演技を幼少期からやらされるのだから、自分自身を見失って当然である。

「あなたが生きているだけで、私は幸せだよ」というメッセージを親から受け取った人と、受け取れなかった人。この差は大きすぎて、一生かかってもきっと埋められないのだろう。

 

愛着障害、見捨てられ不安、アダルトチルドレン。これだけで既にビハインドなのに、発達障害LGBTとハンデが多すぎるし、マイノリティにもほどがある。

その分、人の痛みや優しさに誰よりも敏感になれたのは、良かったのかも知れないけれど。

 

 

 

母親とはとうに縁を切った。

彼女が鬼籍に入る頃、もしかしてようやく許せるようになるのかもしれない。今はそう信じたい。