聞き屋のたぬ吉

アラサー会社員たぬ吉の、心のスキマを埋める旅

自殺者の葛藤

昨日一斉に報道された神奈川県座間市の殺人事件。驚いたのは、事件が発覚するキッカケになった被害者女性が自分と同じ八王子市内在住で、高尾警察署にいたってはうちから程近いということだ。そして事件があった相武台前の隣、小田急相模原には8年前に住んでいたので、この辺りの景色はよく覚えている。土地がわかっているだけに妙に現実的に感じられて、いつにも増して注目してしまった。

 

今日も昼のワイドショーはこの事件を特集している。容疑者本人の供述や関係周辺への聞きこみなど、限られた情報から何とか多角的に分析しようとするのだけれど、どの番組を見ても内容はおしなべて変わらない。学者も警察OBも、「前代未聞」「信じられない」「身勝手過ぎる」「猟奇的だ」と、大半は容疑者に向けた無難なコメントが聞こえてくる。

嘱託殺人だったのか、そうでないのか。乱暴をはたらいてから殺したのか、本当に金銭目的だったのか。死人に口なし。今後の捜査は容疑者本人の自供が鍵になるのだろうけれど、殺された全員が揃いも揃って自殺願望があったのだとすれば、ある意味利害が一致していたと言える。(男性一人だけは巻き添えらしい)

被害者となった人たちの自殺についても取り上げられていた。自殺サイトを通じた隠語でのやり取りや、ツイッター上でのやり取りまで、他の事件も例に挙げて死に至るまでの流れを解説していた。

けれども肝心の自殺行為そのものについての意見はほとんど語られない。肯定するのか、しないのか。皆一様に歯切れが悪く、神妙な面持ちになるだけで結局何が言いたいのかわからない。顔芸はいいからその議論をしろよと、心でぼやいていた。

 

ツイッターでもその影響は計り知れない。#自殺募集のハッシュタグで検索すると、事件についての意見、憶測、批判、賛同など、若者を中心にそれはそれは言いたい放題だ。踏み込んだところでは死生観までも臆面なくさらけ出していて、事件への関心が高いことがうかがえる。

それらを一つ一つ読んでいくと、うっかりスルーできない切実な声もたくさん紛れていた。もはや「言葉にならない」という言葉さえもしっくり来ない自分に、何かこう心に軽い引っ掻き傷を作るような、繊細な文字の羅列がそこにはあった。不謹慎だが、テレビのニュースなんかよりよっぽどリアルで面白い。それらを明け方まで観察しながら、ぼんやりと自己の死生観についても考えていた。

 

少し吠える。

最高に気分が悪くなったのは、自殺者を救おうとしてる奴らの存在だ。とにかく生きろと安いメッセージを送る奴が気持ち悪くて仕方ない。イライラする。こいつらなんもわかってない。

生きていれば絶対笑える日が来るとか、生きていればそのうちきっといいことがあるとか、何を根拠に言ってるんだ?笑えなかったらどうすんだよ。いいことなかったらお前責任取れるのかよ。

事故で車椅子生活になっても、自分は前向きに頑張ってるのに自殺するとか何なんだ、って?それが何なんだよ。自分がヒエラルキーの最下層とでも思ってるのか?俺も頑張ってるんだからお前も頑張れよとかもうそういうのうんざりなんだよ。一緒にすんなよ。何に絶望するかなんて人それぞれ違うんだよ。自分基準で幸せ語るのやめろよ。みんなそんな強くないんだよ。

死ぬ勇気があるならいくらでも生きていける?そんなのただの死にたくない奴のエゴだろ。たしかに死ぬことには勇気がいるかもしれないけど、それと生きていくことへの恐怖を同列に語れると思ったら大間違いだ。生にしがみついて、毎日生きてるフリでくだらない生活してる奴なんかごまんといる。何も考えないって素晴らしい。追い込まれたことがない奴は本当におめでたい。眠たいことばかり言いやがる。生きるか死ぬかさんざん天秤にかけた挙げ句、生きていくほうがデメリットが多いと踏んだんだ。それでいいじゃないか。死ぬときくらい迷惑かけさせてやれよ。電車が遅延したくらいで悪態つくなよ。ちょっとは、想像してやれよ。

本当に死にたい人は一人で山奥でひっそりと逝く?「本当に」って何なんだよ。それ以外全部フェイクなのかよ。死にたいは生きたいの裏返し?ごちゃごちゃうるせーんだよ。死んでるように生きてたって意味ないんだよ。みんないずれ死ぬんだよ。終わり方くらい選ばせてやれよ……。

たくさんの人に迷惑をかけて、困らせたいのかもしれない。死ぬときくらい、どんな形でもいいから記憶に刻まれたいのかもしれない。僕はここにいたよって言いたいのかもしれない。 間違いなく自分は存在していたんだと、証明したいのかもしれない。自殺をほのめかして心配させて止めてほしいのかもしれない。実際そのほうが多いのかもしれない。だけどそんなこと言えないんだよ。言えないんだよ。

子供がお母さんにお腹すいたって言う。母親が食べものを与えても食べない。不機嫌そうにしている。当たり前だ。それは言葉通りに受け取ってはいけないからだ。不器用な子供は自分の感情がうまく表現できない。甘えたいその欲求を「お腹すいた」でしか訴えられない。一緒に遊んで、触れ合って、力いっぱい抱きしめないと子供はお腹いっぱいにはならない。母親はそのことに気付かない。負の連鎖。子供だけじゃない、大人になったってこういう人はたくさんいる。想像以上に、たくさんいる。

 

書こうかどうしようか迷ったが、ついでだから書く。思いっきり批判する。容赦はしない。

都内某所に僕と同じ聞き屋をしてる奴らがいる。僕はかげでこいつらを偽善屋と呼んでいる。生意気に傾聴ボランティアだそうだ。ホームページまである。のぞいてやった。聞き屋を始めたキッカケについて、それはそれはドラマティックなことが書いてあった。くだらなくてぶっちゃけよく覚えてないけど、ある日駅のホームで前日に自殺した人の血痕が線路に赤黒く残っていて、石灰撒いたあとがどーのこーので、それを見たら吐き気がしてうんちゃらかんちゃら。途中忘れたけど、それで人助けに目覚めたんですって。

素晴らしいですね!!

僕にはそんなことできません!!

そもそもボランティアという言葉が大っ嫌いだ。何かいいおこないをしてる人がいたとして、それをボランティアと呼ぶかどうかは端から見た人や、それによって恩恵を受けた人が決めればいいのであって、自分から言うってなんか違うよ。羞恥心とか、ないのかな。世のため人のためにやってあげてる感が半端ないし、自分可愛いが全面に出ていて生理的に受け付けない。仮に死にたい人が目の前に現れて、何してやれるんだよ。100万円必要って言われたら渡せるの?お話だったら何でも聞きますって、何もしてくれない真っ赤な他人になんで恥さらさなきゃなんないんだよ。

 

 

 

 

吠えた。

僕個人の意見としては、ほんとに死にたくなったら自殺しちゃっていいと思う。無責任な発言かもしれない。だけど止めたところでちゃんと救えもしないのに、表面的に生きろなんて言うほうが無責任だと自分は思うから。いざ全面的に寄っ掛かって来られたら、自分も倒れちゃうかもしれない。それが怖かったりする。

 

何もできない自分が歯がゆい。

だけどもしかしたら自分もこの先いつ死にたくなるかなんて分からない。そんなとき大した覚悟もないのに口先だけでいろんなこと言われたくないから、僕は自殺を支持する。