聞き屋のたぬ吉

相席をした彼の名は悲しみ

新学期の憂鬱

定期的に聞き屋を始めて半年が経ちました。

隣にぬいぐるみがいるせいか、たまに変な目で見られることもあるけど、それでも続いてるのは看板を出せば誰かが来てくれるから。それに、週に1度というペースが自分には合ってるのかもしれません。きっとこれ以上頻度を上げても続かない気がする。

いまだに目的はよく分かってないけど、いつの間にかこの活動がアイデンティティの一部になっていました。次に行く駅ではどんな出会いがあるのか楽しみな自分がいて、少しずつ話の聞き方も変わってきたと思う。誰かのためと言うよりも、あくまで自分のために。

 

話し手の気持ちが晴れたり悩みが解決することはもちろん嬉しいけど、全てをいい方向へ導くことはできないし、答えを出せない質問を受けることだってたくさんあります。あくまでオイラができるのは、話し手が少しでも自分のことを客観的に見れるように手伝ってあげることくらい。それもほとんどは聞いているだけで、必ずしもウィットに富んだ返しができているわけじゃない。

何より自分のことも満足にできていないのに他人を救おうなんて、おこがましいことこの上ない。

 

そんな心持ちでやっている中、なんとなく引っかかる出来事がありました。

いつものようにスタンバイしていると、視界の隅にわずかな視線を感じます。少し遠くに目を向けてみると、そこにいたのは18歳くらいの私服の女の子。あまりじろじろ見るのもよろしくないので、こちらも気にしないようにつとめる。それでもやはり視界に入ってくる彼女は、少し離れたところを歩きながら駅と駅前の建物を行ったり来たり。なにか話したいことでもあるのかな。

気になりつつもこちらから声をかけることはしないので、あくまで待ちの姿勢。来てくれれば話は聞いてあげられるけど、いかんせん表情が暗い。どうしたものか。

 その日の聞き屋はと言うと、座りはじめてすぐに男の人が話しかけてくれた以降は音沙汰がなく、小一時間ほど待ちぼうけだったところで小雨が降り出し、やむなく撤収と相成った。しかし帰り際も彼女は建物からこちらを見ていたので、終始気がかりだった。

 

オイラは看板を出して座ってるだけなので、最初にアクションを起こすのは話し手側。そう考えると聞き屋に話しかける人たちは、十把一絡げである程度の積極性があるのだろうし、好奇心旺盛な人だと思う。

当然路上でやっているので、会話の最中も他人の視線はどうしたって避けられない。そんな状況で深刻な悩みを打ち明ける人はほとんどおらず、あってもせいぜいこじれた恋愛相談くらいのもの。生きるか死ぬか思い詰めたような人は一人も来たことがないし、いたとてこちらの看板すら目に入らないのではなかろうか。

しかしながらその日はたまたま9月1日、新学期は10代の自殺者が急増するとあって、少々胸騒ぎがした。


 結局彼女に接触することはなかったけど、仮に自殺を考えるほど深刻な悩みを持っていたとして、聞き屋ふぜいに一体何ができたのだろう。その心境は分からないけど、憂いを帯びた表情から察するに、万感こもごもあるのだと思う。

もっともこちらが邪推しているだけで、今となってはすべて勘違いであってほしいと願う、そんな秋の夜。