聞き屋のたぬ吉

矛盾の総和が人生だ

【小説】タピオカ禁止法(8)

「T・A」の検索結果のタイムラインには、他にもこれと似たような動画が複数上がっていて、翌日にはネットニュースにも取り上げられるほどだった。

 

 関連記事では聞いたこともないような名前のコラムニストが、「これは言わばルサンチマン。今までさんざんやっかみだ何だと反撃され、馬鹿にされ続けてきた〝反タピオカ勢力〟の逆襲がついに始まったんです。舐めたらアカン」と筆圧強めに解説していて、俺は内臓を絞られるような錯覚を覚えた。

 

 自分も茜のアドバイスがなければ、こうした連中と徒党を組んでいた可能性も否定できない。そう考えるとまったくの他人事ではないような気がした。


 タピオカは誰もが予想だにしなかったスピードで、深刻な社会問題となりつつあった。
 

   *

 

 バブル景気(バブルけいき、英: bubble boom)は、好景気の通称で景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。情勢自体はバブル経済と同一であり、平成景気(へいせいけいき)や平成バブル(へいせいバブル)とも呼ばれる。日本国政府の公式見解では数値上、第11循環という通称で指標を示している。

 ただし、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのは1987年10月19日のブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり、政府見解では、日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録した1989年12月29日をはさみ、1992年2月までこの好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている。

 『ウィキペディアWikipedia)』

 

 

 YouTubeで「バブル」と検索すると、当時流行っていたCMやトレンディードラマの映像が複数ヒットする。上のほうに表示されたいくつかの動画を開いてみたはいいが、俺は世代ではないので、個人的に懐かしさを感じるものはほとんど見当たらない。

 

 そのかわり特別の興味を引いたのは、ドキュメンタリー番組でも何でもない、一般人(おそらく外国からやってきた観光客)がただひたすら一九九〇年頃の東京の風景を8ミリビデオで撮っているという素朴な映像だった。


 当たり前だが、ナレーションも字幕も何もない。何もないが、かえってその何もなさが、当時の街のリアルを鮮明に映し出している。マルフクのホーロー看板。歩きタバコのサラリーマン。タクシーを待つ羽振りのよさそうな若者。エレベーターガール。ココ山岡新宿駅前の路上にたたずむ靴磨き。安さ爆発みんなのさくらや。人の出入りがひっきりなしの電話ボックス。パチンコ店の派手すぎる電飾看板。森永ラブ。隙のなさそうな太眉のOLと、それを口説くのに必死な歯並びの悪いナンパ男。道路を行き交う車はそのほとんどがセダンで、窓にはスモークなんてもちろん貼られていなかった。


 統一感がある、と、ぼんやり思う。分断される以前の、全体が持つゆるいまとまりのようなもの。東京の街の隅々までいきわたった、物資主義という名の刷り込まれた価値感の申し合わせ。心なしか人々の表情は明るい。実際、全員の気分が本当に明るいかどうかは知らない。客観的になんとなくそう見える、というだけの話。


 いつだかの選挙で「日本を取り戻す」という大仰なキャッチコピーを掲げた政党が大勝したことがあった。俺はそのころ政治に興味がなく、投票にも行かなかったけれど、動画に映っていたのは、まさに「失われる」前の日本の姿そのものだった。


(何を、失ったのだろう?)

 

 祭りのあと、つまり九〇年代後半、日本経済の崩壊が深刻化する一方で、そこにはまだバブルの残り香みたいな空気がかろうじて存在していた。先行き不透明な景気の只中で、希望を完全に捨て去った訳じゃなく、もう一度大きな何かを掴める日がやって来るんじゃないか、といった、牧歌的な空気が世の中に薄く漂っていた。

 

 しかし、そんな希望的観測は、〇〇年代に突入すると同時に、見事に打ち砕かれてしまった。車の後部座席にだけじゃなく、まるで自分たち一人一人にまで黒く半透明なスモークが貼られてしまったかのような息苦しさが、やがて日本全体をゆっくりと覆っていった。

 

 ある専門家の分析によれば、日本の資本主義は一九七〇年代の時点ですでに臨界点に達していて、その事実を覆い隠すために、結果としてあのようなバブルという狂騒が引き起こされたのだという。結局のところ、バブルなんて泡沫の時代がやってくるもっとずっと前に、この国は人知れず大きな何かを失っていたらしい。

 

 誰かに奪われたのか、そうじゃなく、みずから捨て去ったのか──今となっては、もう誰にも分からなかった。

 

 

 イラククウェート侵攻以来値下がりを続けていた東京株式市場は、今日も全面安の展開となり、主要銘柄の平均株価は一時二万円の大台を割りました。今日の東京株式市場はイラクフセイン大統領が和平交渉への柔軟姿勢を示したことなどから、先週の値下がりに対し、小幅の反発で始まりました。しかし買いが一巡したあとは個人投資家保有株の見切り売りや、事業法人の整理売りなどが続き、株価はじりじりと値を下げ、午後一時一〇分過ぎには二万円の大台を割りました。これは三年七ヶ月ぶりのことです。その後買いが入ったため、終値は二万二百二十一円八十六銭とかろうじて二万円台を保っています。平均株価は去年の十二月二十九日に三万八千九百十五円の史上最高値をつけましたが、それからわずか九ヶ月でほぼ半値に下落したことになります。経営危機が問題となっている大手証券会社の山一證券は自主再建をあきらめ、廃業を申請する方針で最終的な協議に入りました。これに対して大蔵省は、山一證券から新たに二千億円もの損失が発覚したとして、業務停止命令を含め対応を検討しています。大蔵省前から中継でお伝えします。はいお伝えします。えー、山一證券の経営危機問題が、えー、一気に表面化した今日、大蔵省では、あー、午前十時から長野證券局長が記者会見をしました。まずその内容からお聞きください。債務超過の状態ではない、すなわち、顧客取引先に損失を生ずる事態ではないと認識しております。最終的な結論の報告は、まだ受けておりません。早急に考え方を取りまとめるよう指示しているところであります。えーこのように今のところ問題はないとしているんですが、あー、同時に長野局長は山一證券から新たに二千億円もの損失が発生したことを明らかにしました。大蔵省では、えー、山一證券に稽査をおこないまして、えー債務がどれほど膨らんでいるのかを、えー調査しています。えー山一證券では自主的に廃業する方向で、えー役員が検討を続けていますが、さらに損失が膨らめば大蔵省は、あー山一證券に対し業務停止命令を出すことも考えていまして、山一證券経営破綻に向けて重大な局面をむかえています。

 

 つづく

【小説】タピオカ禁止法(7)

 結局あの日、俺はタピオカを飲まずに店をあとにした。なにかの本質を垣間見たような気がして、タピオカへの興味が一気に薄れてしまったのだ。

 

 あれから二週間、今はもうタピオカを飲んでみたいという気持ちはまったくない。だが、やはりほんのわずか関心は残っているようで、テレビ、雑誌、SNS、ネットニュース、駅前の商店街──ありとあらゆる場所で、気付けばタピオカという四文字を探してしまっている自分がいた。

 

 どうでもいいと思えば思うほど、意識は逆らうように、強力に引っぱられた。なぜこんな矛盾が起こってしまうのか、理由は自分にもよく分からなかった。

 


 そんな俺の気持ちを嘲笑うように、テレビでは連日タピオカに関するニュースが繰り返し報道されていた。子どもがタピオカを喉に詰まらせて死亡するという事故が福岡市で発生したのを皮切りに、タピオカに関連する事件・事故が、なぜか全国各地で同時多発的に起こっていたのだった。その中でも先週報道された「女子大生タピオカ殺人事件」は非常にセンセーショナルで気味が悪く、不可解な点が多かった。

 

 

 性器にタピオカ、遺体の一部切り取られる
 
 東京都三鷹市のアパートの一室で、この部屋の住人と見られる女子大生・柚木朋子さん(21)の遺体が発見された。発見当時、柚木さんの着衣はかなり乱れており、両胸の一部が切り取られ、性器には大量のタピオカが詰められていた。司法解剖の結果、死因は首を絞められたことによる窒息死と判明。警察は強姦殺人事件と見て捜査している。
──西東京新聞 2019年8月10日朝刊

 

 

 既視感があり、自身の記憶をたどってみると、タピオカ屋に並んだあの日、階段で何気なく開いてしまった、あの訳の分からないAVのサンプルムービーの内容だと思い当たった。ネットでは早速このAVを模してレイプがおこなわれたのではないかという噂が広がり、主演のセクシー女優・黒岩たぴのブログやSNSが炎上するなど、矛先はあらゆる方向に飛び火した。

 

 また、被害者のアパートは事件の報道があったその日にネット民によって特定され、大島てるで調べてみるとその現場からは勢いよく火柱があがっているのだった。

 

 後日発売された「実話ジャッカルズ」によれば、報道にあった両胸の一部とは乳首の先端のことで、さらに報道規制された内容として、女性の性器からはクリトリス周辺がごっそり切り取られており、実はそれら三片を一セットとして、合計五人分もの肉片が彼女のものと混ぜこぜにされ、腐敗したミルクティーの中に浸かっていたのだという。

 

 つまり生死は不明だが、少なくとも被害者は他にも四人いて、その上被害者及び犯人の特定に至るまでの証拠や手がかりが現場に何一つ残されておらず、消息筋の話によれば今回の事件は迷宮入りする可能性が非常に高い、とのことらしい。


 一体誰が、何の目的でわざわざ遺体の一部を切り取ったのか。世間は(というかテレビのワイドショーや俺の周辺の人たちは)もっぱらこの殺人事件の話題で持ちきりだった。昭和初期の阿部定事件じゃないけれど、単なる猟奇殺人では片付かないような不気味さがあり、俺はますますタピオカから目が離せなくなってしまっていた。

 


 そんな折、茜から届いたラインの内容はあまりに唐突だった。


《ねぇ浩史、これ見て。きのうSNSに上げた動画なんだけど……なんかめちゃくちゃバズってるみたいなの》


 茜が撮影しているらしきその動画は、最初夕方の繁華街が映し出されて、歩きながらしばらくして某タピオカ屋の前の行列を通りすぎる。このとき、左斜め前を歩く茜の友人の後ろ姿が映り込んでいるのだが、突如キャーッという叫び声とともになぜかその友人が頭からミルクティーをかぶり、タピオカまみれになったところで影像は途切れていた。

 

 これがバズっているとはどういうことなのか、俺には状況がさっぱり飲み込めなかった。茜に詳細を求めて返信したのだが、しかし夜になっても一向に既読がつく気配がない。好奇心がうずいて仕方ないので、可能な限り自分で調べてみることにした。


 俺は普段、バズるとかバズらないといった用語が飛び交う例のSNSはやっていないのだが、それがちょうど流行りだして間もない頃、閲覧用にと作ったアカウントがあるのを思い出す。まだいけるだろうかと半信半疑でスマホにアプリを落とし、うろ覚えのアカウント名とパスワードを入力してみると、意外にも一発でログインできてしまった。

 

 キーワード検索という箇所をタップすると、検索バーの下におすすめトレンドなるものが表示されていたので、興味本意でスクロールしてみる。すると、しばらくしてその中に「T・A」という見慣れない文字があらわれた(浜崎あゆみのそれでないことはかろうじて分かった)。何かの略称なのだろう、気になって試しにタップする。

 

「………タピオカ、アタック?」

 

 一番上に表示された動画を開いてみると、タピオカミルクティーを手にしたJKが少し離れて映っていた。被写体は彼女ではなく、街のほうなのだということが撮り方でなんとなく分かる。すると突然何者かが猛然とJKの背中にタックルした。当然JKは吹っ飛ぶ。はずみで手にしていたミルクティーがぽーんと投げだされ、近くにあった携帯ショップの壁にぶちまけられる。撮影者が走りだし影像がブレて、「なんだなんだ!?」という声とともに動画は終わっていた。

 

 つづく

【小説】タピオカ禁止法(6)

 俺は何かを言おうとして、一歩足を踏み出そうとした。しかし俺より先に二人のもとに向かう白く太い足があった。さっきまでDKに嗤われていた、あのオタクの足だった。


「私もレジでここに並べって言われました。レシートなんて持ってませんけど」


 怒り狂うゴスロリとは対照的に、オタクは店員に対し実に淡々とした口調で、落ち着き払った様子だった。加勢するというのではなく、単純に並んでいた時間が無駄になったことを訴えたいのだろう。

 

 この一連の流れで、オタクとゴスロリは俺と同じく、今日初めてこの店に来たということが分かってしまった。結局この三人に「違い」なんかほとんどなかった。


 アルバイト店員が「少々お待ちください」と言って去ったあと、ややあって二人の前に店長と思しき男が現れた。年齢は俺と同い年くらいだろうか、胸にはイケダという名札がついている。イケダは飲食店やコンビニなどでしばしば見かける、〈俺の人生はこんなはずじゃなかった〉と顔に書いてあるような残念なタイプの人間だった。

 

 イケダはさっきアルバイト店員が説明した内容を、ていねいだがどこか突き放すように事務的に繰り返した。ゴスロリゴスロリで一歩も引かず、お前らのような職業は近い将来すべてAIに取って変わられるんだ、ロボットのほうがまだマシな仕事をする、といった、まるで手垢の付きすぎた与太におおげさなジェスチャーを乗せて、どうにか押し切ろうとする。


 俺はいつの間にか爪を噛んでいる。階段に鈴なりになった客たちは、まるでテロか殺人現場にでも居合わせたかのごとく、鼻息を荒くしてスマホを向け始めた。ゴスロリが声を張り上げるたび、撮影開始のピロッという間抜けな音が嗤い声と共にあちこちから聞こえてくる。こんなもの、撮ってどうするんだろうと思う。


 俺は爪を噛んでいる。三人組のDKのうちの一人がイケダとゴスロリの動画を編集し、【タピオカ戦争勃発w】というキャプションを添えてSNSにアップした。これぜってーバズると思う! ♯店長VSゴスロリ  ほらっ、もう一〇〇再生だ! ♯タピオカ やべぇ何コレめっちゃ伸びる! ♯タピオカ・ウォーズ まじで反応早すぎなんだけど!


 俺は爪を噛む。イケダはついに反逆に出る。これ以上騒がれるようですと他のお客様のご迷惑になりますので。てめぇんとこの不手際がこんだけの騒ぎを起こしてんだよ自覚しろ! これ以上の対応はできかねますので速やかにお引き取り願います。本社! 本社の電話番号教えなさいよ! いえ、それは教えられません。教えなさいよ! できません。


 爪を噛む。イケダとゴスロリの間でオタクがゆっくりとくずおれた。いわゆるパニック障害の発作だった。よく見るとオタクのリュックには赤地に白の十字のヘルプマークが括り付けてあった。どうしました、大丈夫ですか、駆け寄ったのは五十代夫婦の奥さんのほうだった。俊敏で的確な動作のひとつひとつは、明らかに看護師のそれだと分かった。

 

 もう噛む爪がなくなった。ゴスロリはまだ何か叫んでいる。イケダはどこかへ走り出した。スマホは向けられたままだった。俺は爪を、俺は爪を、俺は爪を、俺は………。

 

 つづく

【小説】タピオカ禁止法(5)

 列はさらに前進した。中二階の踊り場から後方を見上げると、さっきよりも人が増えているのが分かる。二階に達した列はそのまま三階へと折れ曲がり、もうどこが最後尾なのか、ここから確認することはできない。

 

 前に立つ五十絡みの夫婦も同じように首を動かし、しげしげと後方を眺めている。若い子たちは並ぶ時間も含めて楽しいんでしょう、ねぇ? あぁ、そうかもしれないな、バブル世代がバブルティーを買いに来て言う台詞がこれらしい。他に言えることがないのかもしれない。


 メニューを持った店員はやってこない。俺はしびれを切らし、手持ち無沙汰にコンチャの価格やオーダー方法〈コンチャ 買い方〉最近のタピオカ関連のトピックなどをスマホで調べ始める。

 

 パール増し増しとは別トッピングのタピオカを二・五倍入れるという意味らしい〈コンチャ パール〉さっきすれ違ったJKたちが飲んでいたミルクティーには、それこそ親の敵のような量のタピオカが沈んでいたけど〈コンチャ 糖質 ヤバい〉一体どのくらい追加したのだろう。

 

 仮に通常の三倍にした場合〈コンチャ 原価〉表によればミルクティーLサイズにパールがトリプルで七百三十円の計算になる〈コンチャ 高い〉俺が高校の頃にもらっていた小遣いは月に五千円だったから〈コンチャ コスパ 微妙〉その当時にもしタピオカなんてものが流行っていたとしたら〈コンチャ 家で作れそう〉きっと月一だって満足に買えなかっただろう。

 

 そのうち縁日の焼きそばみたいに〈タピオカ ヤクザ〉いっそどこも横一列に価格を申し合わせて〈タピオカ シノギ〉一杯千円くらいで売り出せばいいと思う〈タピオカ 乾燥タピオカ 1kg七百円〉たとえそうなったとしても〈タピオカ 移動販売 不衛生〉千円になったら煙草やめるって増税のたびに言うやつが実際〈タピオカ 賞味期限切れ 固くなってもガムシロで食感が復活〉二千円になっても懲りずに吸いそうなのと同じように〈タピオカ 反社会勢力 見分け方〉この行列の何割かはしぶとく並び続けるんじゃないだろうか。

 

 高く売るには〈タピオカ ぼったくり〉とにかく高級感を演出することが大切らしい〈タピオカ 自家製こだわり生クリーム〉今どきマックのコーヒーですらプレミアムローストなんてご大層な名前で売っているのだから〈タピオカ スーパープレミアムセレブリティロイヤル黒糖ミルクティー ついに日本上陸!〉まったく、ものは言いようだと思う。

 

 グーグルのサジェストは〈タピオカ 女子 うざい〉タピオカと入力するだけで関連ワードをエンドレスに表示し続ける〈タピオカ 嫌い になりたい〉それらを適当に開いてみると〈タピオカ 食感 こんなん初めて……〉原材料のキャッサバ(南米産のサツマイモみたいなもの)がどうのという話から日本のタピオカビジネスの闇が詳細に書かれた記事〈タピオカ 軽減税率〉当たるどうか知らないがタピオカ占いなんてものまであった。

 

 タップする指がすべったのか、ついには女性器にタピオカを詰め込んでまぐわうといった下品なAVのサンプルムービーにまでたどり着いてしまい〈タピオカ モチモチ!■■■■パラダイス~僕と彼女のタピオカ事情~〉俺はあわてて画面を閉じる。後ろのJKが気になったが、幸いにも見られてはいないようだった。

 

 

 列がまた一歩ずつ前進した。階下に店員の姿が見えたので、そろそろ注文できるのかと思いきや、こちらに向かって意味不明なことを言い出した。

 

「間もなくのご案内となりますので、お手元に〝レシート〟をご用意してお待ちくださーい」

 

 ……レシートとは?????


 並びはじめて、すでに二十分が経過している。嫌な予感がした、次の瞬間、


「ちょっとォ! レシートって、どういうことよ!?」


 と、突如階段じゅうに怒号が響き渡った。前方に並んでいた、あのゴスロリだった。

 

「えっと、申し訳ありません、こちらはもうすでに、商品をご購入いただいているお客様の待機列となっておりまして……購入がまだのお客様は、あちらの列にお並びいただいております」


 今までまったく視界に入っていなかったが、そういえばよく見ると、一階の壁ぎわに沿うようにして列がもう一つできているのに気がついた。レジ側からだとちょうど死角になっていて、階段側の列しか目に入らないのだ。

 

 そもそも購入と受け取りの列が分かれていることすら知らなかった。ちゃんと教えてくれないと、初めて来る客には不親切だと思う。


 しどろもどろの店員にゴスロリは畳みかける。


「そんなの聞いてないわよ! 買おうとしたらレジの店員にこっち並べって言われたんだから! たらい回しにしてんじゃないわよ! 店長出しなさいよ!」


 まるで自分の分身がしゃべっているのではないかというほど、彼女は俺の言いたいことを要約し、まくし立てた。まったくその通りだ、と思う反面、青筋を立てながらわめき散らすその姿は、どこか滑稽でもの悲しい。

 

 彼女をぐるりと取り囲む、やじうまめいた好奇の視線。自分に向けられたものではないと知っているのに、どうにも居たたまれない気持ちになる。それはきっとゴスロリがいなかったら、俺自身がそうしていたかもしれないからだ。

 

 ゴスロリは冷静さを失ったときの、手がつけられないもう一人の俺だった。


 加勢するべきか、無視するべきか。どちらにせよ自分も列を並び直さなければならなくなったが、このタイミングで黙って指示にしたがうのも何だかくやしい──そうだ、俺も正直、この分かりづらい行列に対して、ものすごく腹が立っているのだ。

 

 つづく

【小説】タピオカ禁止法(4)

 あらためて前方の列に視線をやると、客もいろいろといるのが見てとれる。

 

 五十絡みの中年夫婦、私服のJK二人組、身長差がすごい二十代のカップル、鞄にアニメのキャラクターを大量にぶら下げたオタクっぽいオバサン、専門学校生風の男子三人組、子ども連れのママ友らしき二人組、制服のおしゃべりなDK三人組、年齢不詳のゴスロリ女──この中で今日初めてタピオカ屋に来たという人間は、一体どのくらいいるのだろう。

 

 いや、それ以上に気になることがあった。


──若い子たち見てるとさ、一人じゃ絶対に並んでないでしょ──

 

 ここから見える範囲で、一人でいるのは俺とオタクとゴスロリだけだった。

 

 若くない、という点以外において、なにか共通点はあるだろうか。考えようとするが、俺の中のチンケなプライドが「変人」とひと括りにされることを拒否している。共通点なんてあるわけない、考えるまでもなく違うのだ、と、「まともな俺」が頑として譲らないでいる。


 DK三人組はオタクのオバサンを指さして、その見てくれや「体臭」について、まるでひきつけを起こしたように嗤い合っている。オタクのほうはなぜかオレンジ色の耳栓をしていて、ついさっきアニメイトで買ってきましたという同人誌を広げては薄笑いを浮かべ、現実を完全にシャットアウトしている。

 

 たぶん彼らの嗤い声に、彼女はまったく気がついていない。


 オタクはオタクで明らかに清潔感が足りないし、DKはDKでふつうに優しさが足りないと思う。このような場合どちらに分があるのか、俺には分からない。分からないが、俺とオタクは同じ人種ではない、ということだけは分かる。


 不本意だが、この状況では「一人の客は何かしら問題がある」と誤解されかねない。というかもうすでに誤解されている気がする。いや、間違いない。現にさっきからDKたちは時折こちらを見ては何か小声でささやき合っている。

 

 これは何かの罰ゲームだろうか。

 

 俺はどちらかというと「嗤う側」の人間であるはずだなのだから、あのような好奇の視線を送ってよこされる筋合いなどない。俺とあいつらを一緒にするな、と、大声で叫び出したい気持ちをぐっとこらえる、尊大な羞恥心。

 

 しかし(見てくれ云々の問題はさて置き)俺とあいつらの「一人であること」の違いについて──DKたちになるほど了解と言わせるだけの明確な根拠を──ラーメン屋とタピオカ屋の違いを説明できなかったように、たぶん俺は、それをちゃんと説明することができない。

 


 列が少し前進した。それと同時に、俺のすぐ後ろにJKらしき私服の女の子が一人で並びだした。とくに目立つ格好というわけでもなく、見た目にも十分まともな雰囲気だった。

 

 一人は一人でも、こういう子はたぶん何も言われないだろう。そう思って前方を見やると、DKたちはとっくに別の話題に移っていて、彼女のことなどやはり眼中にない様子だった。

 

 してみると、そもそも俺のこともはじめから話題になんかしていなかったんじゃないかという気がしてきた。オタクについては確実に馬鹿にしていたけれど、俺に関しては悪口と確信できる何かをはっきりと聞き取ったわけじゃない。

 

 DKとは箸が転がったって可笑しい年頃なのだから、ひょっとするとまったく関係の無い、本当にどうでもいいようなことで嗤っていたのかもしれない。そしてたまたま俺と目が合った。ただ、それだけのことなのかも。


 また、やってしまった。俺は常に物事を考えすぎるがゆえに、他人の一挙一動に過剰に反応し、疲弊してしまう癖がある。それには何やら大げさな病名がついてしまうほどだった。

 

 でも俺はそのことをあまり深刻に受け取っていない。精神科医なんてみんなどこかいい加減なものだ。「人は病名がついたとたん病気になる」と誰かが言っていたが、本当、その通りなのだ。

 

 たとえば今この場で楽しそうに並んでいる奴らだって、ちょっと深刻な顔をつくって診療所のひとつやふたつまわってみれば、きっと全員何かしらの病名がつくんじゃないだろうか。

 


 JKはおもむろにスマホを取り出すと、友人と通話をし始めた。見た目に反してかなりくだけたしゃべり方で、思わず二度見してしまう。

 

 ミホがそう、待ち合わせにめっちゃ遅れててさぁ、しょーがないから先にタピオカ買っといてあげようとしてるとこなんだけど、うん、やっばい、あたしって超優しくない!? そう、そう、ほんとミホは駄目、あの子いっつも時間守らないからさぁ、うん、うん、そう、そうなの、でしょー!? あたしもそう思う、えっ? 何、聞こえない、もっかい言って? うん、そう、コンチャにいるよ、リョーコも駅いるならこっちおいでよ、てかさー、マジでこの並びハンパないんだけど! みんなどんだけタピオカ好きなのよ、って、あたしも人のこと言えないんだけどさ、

 

(私は本来タピオカ屋に一人で並ぶようなさびしい人間じゃないの。ちゃんと学校っていうコミュニティに属しているし、今だってたまたま友達が約束の時間に遅れてるだけのこと。)

 

 そうやって通話という手段で赤の他人にエクスキューズせずにいられない、臆病な自尊心。そのさびしさが痛々しいくらいむき出しだから、俺は思わず耳を塞ぎたくなる。

 

 私は一人じゃない

 私は一人じゃない


 そうした声は階段のあちこちで、まるで隣同士が聞かせ合うようにして輻輳していた。どいつもこいつも似たような、カーボン紙みたいに薄っぺらい会話ばかりだ。

 

〝さびしさは鳴る〟って冒頭から始まる有名な小説があったけど、このざわめきは、まさにそんな感じだと思った。

 

 つづく