聞き屋のたぬ吉

矛盾の総和が人生だ

【綿矢りさ】対極の同性愛「生のみ生のままで」

僕は書評が苦手だ。書評が苦手というよりも、何かを評するという行為そのものが苦手だ。それは要点をうまくまとめ上げ、かつ読み手にその対象に興味を持ってもらえるよう誘導するのが極端に下手ということでもある。

 

そもそも文章を書くこと自体嫌いじゃないが得意ではない。その証拠に学生時代、国語の成績が飛び抜けてよかったわけでもなければ、読書感想文などのコンクールで賞をとったというのでもない。自分は文章が得意なのだと勘違いできるほど誰かに褒められた経験がないのである。ゆえに、何を書いていても自信が持てないのだ。

 

ただ、本を読まないのに書く文章だけが突出してうまい、なんてことは絶対に有り得ないので、研鑽を積む意味でも日々の読書は欠かせない。自信がないからこそ他人の、とくにプロが書いた文章に積極的に目を通すのである。書くべきことと書くべきでないことの別を、読書という体験から感覚的に学びとろうとしているのだろう。

 

 

ちょっと前の話になるけど、「あなたのブログは有料記事として読んでもらえるんじゃないか。noteなどで書いてみてはどうか」という、身にあまるような感想をメールしてくれた人がいた。舞い上がって自室でひとり小躍りしてしまったが、もしもそう感じる人が複数いるのだとすれば、それは僕の内側から発生する「誰かに何かを伝えたくなったときの熱量」が他の人よりもほんの少しだけ強い、ということなのかもしれない。

 

しかし、文章でお金がとれると言われても、どういうものをどれくらい書いて、それがいくらで売れるのか──自分では見当もつかない。何ならこちらがお金を払って読んでもらうくらいの気でいたものだから、そういう意見は大変斬新でありがたかったのだけど、この先ブログを有料とすることは絶対にないだろうと思う。

 

もしかすると、僕はセルフプロデュース能力とやらが著しく低いのかもしれない。というか理由はよく分からないけれど、昔から〝Web発〟みたいなのがとにかく苦手なのだ。これについては深く考察したことがなく、今後もするつもりはない。発信のやり方次第でいくらでも有名になれる世界とあって、僕のような「誰かに読んでさえもらえればそれでいい」という考えは、マネタイズの側面からも非常にもったいなく映るのだろう。

 

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前置きが長くなってしまった。 

 

苦手と言いつつ、それでも感想を書かずにいられなかったのは、綿矢りさの「生のみ生のままで」だ。

 

生のみ生のままで 下

生のみ生のままで 下

 

 

 

正直、僕はこれまで綿矢りさの小説には何度も泣かされてきた。「生のみ生のままで」も当然そのうちのひとつで、このお話は主人公の逢衣とそのパートナー彩夏の同性同士の純愛を描いた、ド直球の恋愛小説になっている。

 

 

・あらすじ(Kindle版より)

「私たちは、友達じゃない」25歳、夏。恋人と出かけたリゾートで、逢衣(あい)は彼の幼なじみと、その彼女・彩夏(さいか)に出逢う。芸能活動をしているという彩夏は、美しい顔に不遜な態度で、不躾な視線を寄越すばかりだったが、四人で行動するうちに打ち解けてゆく。東京へ帰った後、逢衣は彩夏と急速に親しくなった。やがて恋人との間に結婚の話が出始めるが、ある日とつぜん彩夏から唇を奪われ、「最初からずっと好きだった」と告白される。彼女の肌が、吐息が、唇が、舌が、強烈な引力をもって私を誘う──。

 

 

印象に残ったシーンをいくつか挙げてみるが、少々のネタバレを含むため、すでにこの本を読む予定があって、かつ絶対に展開を知りたくないという人はここでページを閉じることをおすすめする。

 

 

逢衣にはもともと颯という恋人がいて、結婚目前だった。ノンケとして普通に生きていた彼女だったが、ある日リゾート地で知り合った彩夏から告白されると、それまでの穏やかな日常は一変する。

 

「違う。男も女も関係ない。逢衣だから好き。ただ存在してるだけで、逢衣は私の特別な人になっちゃったの。逢衣に会うまで女の人なんてむしろ嫌いなくらいだったよ、どんな魅力的な女の子でもライバルとしか思えなかったし女友達もほとんどいない。でも逢衣だけは性別を超えて、特別の格別の存在として私の目に入ってきた」

 

このあたりはノンケの綿矢りさだからこそ思いつく展開なのだと推測する。もしくはいわゆるパンセクシャルという、年齢性別関係なく誰でも恋愛対象になりうる人物を描こうとしたのかもしれない。

 

彩夏の突然の告白に、逢衣は心の動揺を隠せない。

 

 一目惚れというやつなのかもしれない。でも、少しくらいは相手を選ぶべきでは? ひたすら困惑だけが薄黒い雲になって心を覆う。

「あのさ、はっきり言うけど、私は女の人は好きにはなれないよ」
「女の人を好きになれなくてもいいよ。私さえ好きになってくれれば」

 

 私は思わず彼女の額をこづいたが、二の句が継げない。性別は関係ないって簡単に言うけど、誰かを見たとき一番最初に登場する馬鹿でかいフィルターを、度外視するなんてできるのだろうか。女の友達として心を許しきっていたあのタイミングでダイレクトに想いを打ち明けられて、心臓を直接掴まれたように動揺し続けている。ずっと素で接してきて、今さらバリアも虚勢も張ることができない。

 

彼女の中でこの「馬鹿でかいフィルター」は次第に外れていくことになるのだけど、この辺りの葛藤がやけにリアルに響くのは、僕自身が純粋にノンケというマジョリティ側の気持ちを知らないからかもしれない。

 

紆余曲折あり、やがて正式に付き合うことになるのだが、ある出来事がきっかけで二人は長い間離ればなれになってしまう。

 

僕が号泣したのは、会えなくなってから数年後、逢衣が彩夏に書いた一通の手紙だった。ここではあえて内容は省略する。

 

そしてようやく再会すると、冷凍保存されていた二人の愛は時間をかけてゆっくりと解凍されていく。一番印象に残ったのは下巻の後半、芸能人である彩夏が「いっそのこと、私たちの関係を世間に公表するっていうのはどう?」と逢衣に提案するシーンだった。

 

「今の時代だもん、変に冷やかす人たちはもちろんいるだろうけど、普通に受け止めてくれる人や応援してくれる人もたくさん出てくると思う。私たちが公表することで他の同じようなカップルが勇気づけられるかもしれないし。

(中略)

 色んなことを言う人たちがいるかもしれないけど、理解のある人たちを見つけて、その人たちと付き合っていけば、ちゃんとこの世界でも息を吸えるよ」

 

理解とは何だろうか。分かったふりをしてみることだろうか。それとも僕たちにとって都合のいい振る舞いをするということだろうか。僕はマジョリティ側の人間じゃないから、この理解という言葉の意味を曖昧にしか「理解」できない。

 

彩夏の提案に対し、逢衣は決して首を縦に振ろうとはしなかった。

 

「私は友達だと思われたままでいい。周りにどんな関係と思われていても気にしない。それより安全な場所でずっと一緒にいられることのほうがよっぽど大事」

 私たちは世間からのどんな反応にも立ち向かえるかもしれない、でもできるからと言って私はあえてそれをしたいとは思わない。私は私たちがどんなカテゴリに分類されるかさえも、知りたくはなかった。人生は一度きりだ、誰をどんな風に愛して来たかだけを重要視して生きていきたい。

 

 何らかの権利を獲得するため行動を起こすつもりもない。アクションを起こす人たちを尊敬してはいたけど、たとえばもうこれ以上誰にも翻弄されたくないという強い思いがパートナーとして公に認められる可能性の芽を潰してしまったとしても、それも覚悟していた。

(中略)

 こそこそしている、卑怯だと言われてもいい。もう私はこれ以上私たちの愛を世間の激しい雨風に晒したくなかった。いくら相手を愛していても、愛は繊細で脆い。たくさんの試練に耐えて磨かれるのを目指すより、私は彩夏との愛をこれ以上ないほど大切にして、ゆっくり育みたい。

 

「私は私たちがどんなカテゴリに分類されるかさえも、知りたくはなかった」という台詞がとくに胸に刺さった。小説家としての矜持なのだろう、物語中その類いの言葉は徹底して伏せられていて、それは書かないことでしか表現できないものだった。

 

書かれないから、想像する。想像するから、優しくなれる。綿矢りさは、そういう読者との駆け引きが本当に上手な作家だと思う。

 

結局公表はせずに、二人はひっそりと愛を誓い合う。そのシーンで僕はもう一度、目の前が霞んで見えなくなるくらい号泣した。

 

「逢衣、結婚しよう」

 彼女の言葉が身体の中心の深い場所まで落ちて底へぶつかると、これ以上ないほどに切ない音色が反響した。心の内膜が剥がれるように涙がこぼれた。これ以上ない言葉のはずなのに何故だろう、この世で一番切ない気持ちになる。彩夏もまた穏やかな微笑みを浮かべながら、薄く涙の張った瞳で私を見つめている。

「私たちにとっての結婚て何?」

「誓うこと。一生寄り添い愛し合うって神様の前で宣言すること」

 

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一般的に男は価値観を、女は時間を共有したがる生き物だという。男同士は会わなくても意外と平気だったりするから、実際に相手が目の前にいるというその事実が、本当は奇跡みたいに価値のあることなのだと小説を読んで思い知った。そういう意味では女性同士という僕らと対極の同性愛にあって、この「会えない」という状況はものすごい試練だったと思う。久しぶりに心が震えた良作だった。

 

マイノリティの「理解してほしい」と「理解させたい」が混濁し、明確な違いを持たなくなった昨今、各々の生きづらさという主観が寄り集まって数になると「割を食っている」という共感は連帯して膨張し、もはやどういう状況が生きやすいと言えるのか誰にも説明できなくなった。あらゆる人々の本音が可視化されたことで、ハンデを負った側の「誰かのせいにしたい」という気持ちがより強まってしまったようにも思う。

 

そういう時代において、この小説が書かれた意味は何だろう、と、読み終えてから漠然と考えている。たぶん簡単に答えは出ないけれど、僕はこの先もずっと、この問いを考え続けていくだろう。

 

「彩夏の名前すら人前で呟けない人生でも、私は毎日を一緒に過ごせれば、これ以上ないほど幸福だよ。彩夏と一緒にいられたら、私にはどんな場所も日向だよ」

綿矢りさ「生のみ生のままで」2019年)

存在を証明した文学フリマ東京

文学フリマを終えてしばらく気の抜けた生活を送っていました。いわゆる燃え尽き症候群というやつでしょうか。少しずつ回復してきたので、このあたりでブログを更新してみます。

 

僕は昨年の春、以下のようなことをブログに綴りました。

 

コミュニケーション不全の自分には居場所を作るような器量もないし、呼び掛けるような人脈もない。しかし、自分一人でも何かをしたいという思いは常にあって、じゃあ一体何が出来るんだろうって考えたら、自ずと答えは決まっていた。そう、それは小説に代表されるような創作による文章を書くということだった。

(中略)

直近の目標は文学フリマに出展して、自身の作品を頒布することだ。次回開催の11月までに間に合うかはわからないけれど、決意表明でもしない限りなかなか実行に移せない性格なので、まずはブログに書き出すことで自分に対してせっついておく。

きっと僕にとって文章の世界こそが居場所であり、自分の存在を証明する唯一無二の方法なのだ。

 

tanukichi.hatenadiary.com

 

 

あれから1年半、ずいぶん時間がかかってしまったけれど、今回ようやく目標だった文学フリマで小説を頒布することができました。本の製作自体まったくの未経験だったのですが、初めてにしてはまぁまぁの出来だったんじゃないかなと思います。

 

結果はというと、合計29冊売ることができました。こんなに刷っておいて1冊も売れなかったらどうしよう……と当日まで不安でしたが、それもひとまずは杞憂に終わりましたw

 

初出展でこの数字は多いのか少ないのか分かりませんが、さすがに今年流行りのタピオカが題材とあって「タピオカ禁止法だってw」と笑いながら通りすぎる人や、立ち止まって手に取ってくれる人がたくさんいて、何だかとても嬉しかったです。むしろSNS全盛のこの時代にそれらをいっさい使わず、ほとんど事前の宣伝ナシでここまで売れたのは本当に奇跡としか言いようがありません。

 

たぶんほとんどの人が、長岡さんが担当してくださった表紙のイラストに惹かれて買ってくれたのだと思います。タイトル負けしないようにと、時間をかけてとてもキャッチーに描いてくださって、その仕上がりを見たときは純粋に感動しました。町田駅デニーズで何時間も打ち合わせした甲斐がありました。

 

実はこのイラスト、ちょっとした意匠が凝らされていて、全体がタピオカミルクティーとして見えるように設計されているんです。そう言われると、タピオカを持っている人たちの顔そのものが底に沈んだタピオカに見えてきませんか?^^


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ふと、あのミルクティーの底に沈んだ大量の黒いタピオカを想像してみる。仮にあのひと粒ひと粒を人間として見立ててみると、「青春」とか「一人じゃない」という言葉の意味が急に生々しく、たいそうグロテスクに思えてきた。

 

小説の中に上のような文章が出てくるんですが、長岡さんはこの一文をもとに今回の表紙のイメージが浮かんだのだそうです。

 

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開催時間は11時~17時だったのですが、本当にあっという間の6時間でした。単純計算で1時間あたり5冊、約12分に1冊売れていたことになりますね。目の前のお客さんに直接自分の書いた小説を売り込むのはめちゃくちゃ楽しかったですw

 

本はB6サイズで、こんな感じに仕上がりました。一太郎だと縦書きで傍点やフリガナが振れたりするので、ブログで読むのとはまた違った味わいがあります。


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のっぺらぼうの感じが朝井リョウの「何者」の表紙に似てますね、と何人かに言われて、調べてみたらそういえばたしかに似てるなぁと思いました。

 

「何者」は文庫版でしか読んだことなかったので、これには笑ってしまったw

 

何者

何者

 

 

 

中身はこんな感じです

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加筆した序文w


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当日、会場には9時半ごろに到着しました


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開場前の中の様子


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アナさんが一緒に来てくれました^^


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本会場とは別に見本品を展示するスペースが設けられていたので、僕の小説も軽く説明文を貼り付けて置かせてもらいました。そしたら「ディスタピア小説」という謳い文句につられて買いに来たというお客さんがいて、世の中言ったもん勝ちだなぁと思いましたw

 

 

閲覧用のアカウントからハッシュタグを検索してみると、僕の小説の画像を戦利品としてアップしてくれている人がいました。お買い上げありがとうございます^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説の感想ツイートなんかも見つけました^^

 

 

 

 

 

 

今回は純文学のカテゴリーで出展したのですが、なんと僕のななめ後ろのブースには「奇妙出版」というプロの作家の人たちのサークルが出展していて、芥川賞作家の滝口悠生さんや町屋良平さんなどがしれっと座っていました。しかも僕の大好きな小説「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」の著者である鴻池留衣さんも遊びに来ていたりして、とてもよい刺激を受けました。

 

当たり前ですがお客さんもひっきりなしに訪れていて、やっぱりプロの人たちは同人誌の人気もすごかったです。なお、とくに交流などはありませんでしたw

 

右上の画像に、ぼくの背中が写り込んでいました汗

 

 

これw


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今回執筆した「タピオカ禁止法」ですが、最初に構想が浮かんだきっかけはタピオカの海外名称「バブルティー」と日本の八〇年代後半に起こった「バブル景気」が不思議と重なって見えたことでした。

 

どちらも「こんなことは長くは続かないだろう」と薄々気付きながらも、その熱狂の渦に人々が巻き込まれていく構図がとても滑稽に見えたんですね。そこから実際に自分もタピオカ屋に並んでみたり、過去のバブル景気について本で調べたりしました。

 

ただ盛り上がっている様子をそのまま風刺するのではつまらないので、一見すると冷静に観察しているつもりの傍観者(小説の中でいう主人公の滝岡)も意識の底ではしっかりブームに巻き込まれているというありがちな現実を描いてみました。タピオカ屋の行列を横目に「あれ来年ぜってーなくなってるからw」と笑う男の人たちの会話を耳にするにつけ、そうした流行りに対する男女の意識の違いみたいなものはいつの時代もあるんだなぁ、と、いろいろと勉強になりました。

 

ギャグをふんだんに盛り込んだことで、僕の中ではかなりエンタメ要素の強い小説になったんじゃないかなぁと自負しているんですが、読み手のみなさんの反応はどうでしょうか。もちろん内容の受け取り方は千差万別だと思います。中には途中のグロテスクなシーンについていけないという声もあるでしょう。事実、ある女性が小説を手にとっているとき、女子大生が殺されるページで手が止まり、困惑気味にそっ閉じ……ということがありました。

 

分からなくもないです。むしろそういった反応が普通なのかもしれません。ですが、僕の小説は最初から万人受けするとはまったく思っていないので、そういう意味でのショックはありませんでした。むしろ純文学というのは可能な限り客観性を排除して、その人にしか見えない世界をいかにパーソナルに掘り下げていくかが重要だと思っているので、読みやすさや分かりやすさに重きを置かない、という点において、一定数の読み手が置き去りになってしまうのは致し方ないことなのです。

 

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そんなわけで、僕はもうすでに次の小説を書き始めていたりします。引き続きテイストは暗めですが、今回のタピオカよりはもう少し読みごたえのある内容になると思いますので、懲りずにまた読んでいただけると幸いです。

 

いつか作家としてデビューすることができたら、マジメで読書好きの彼に、僕の小説を読んでもらいたいです。それまでは頑張って書き続けます^^

 

 

そうこれからだろう 願い事が

ハローアゲイン 久しぶりに会えたね

そう諦めないで 答えはまだ誰も知らない

360度 無重力

これ以上にない 昨日以上の明日へ

いつでも僕らは 負けて泣いてばかりだよ

何度も立ち上がって叫んで

どうせなら勝って泣いて笑って

Yume Be The Light 

CTS「Yume Be The Light」2014年)

ヘルメットを、かぶせてあげよう

昨日の中央線下り、ほぼ終電に近い車内で、乗客同士のトラブルが目の前で始まった。ガラの悪い若い男ふたり(たぶん少し酔っている)に、眼鏡にマスクのまじめそうな男の子が執拗に絡まれるという構図。ふたりと言っても騒いでいるのは片方だけで、もう片方はキレている男の子をうしろからおさえて止めようとしていた。ただ、止めてはいるが本気ではなく、なだめすかそうとして失敗してしまっているみたいだった。

 

会話は車両がきしむ音に紛れて切れ切れで、その全部を拾うことはできなかったが、男の言いたいことを要約すると「お前、俺のこと笑っただろう!」というような内容らしかった。

 

僕と彼らはそれぞれ4ドアの車両の、7人がけのシートひとつ分くらい離れたところに立っていた。凝視していると、キレている男が眼鏡君の髪の毛を掴み、その頭を勢いよく手すりに打ちつけ始めた。ゴゥン、ゴゥン、と、金属と頭蓋のぶつかる音が車内に響き渡る。周囲の人たちはその状況を固唾を飲んで見守っている。

 

ややあって遠くのほうから「警察呼ぶぞォ!」という女性の叫び声が聞こえた。男は「あぁン!?」と反応するがすぐに向き直り、ふたたび眼鏡君に掴みかかる。僕のななめ後ろの男が聞こえよがしに「外でやれよォ」とあさっての方向を見ながら言った。注意をする、というのではない、嫌味を多分に含んだ、いわゆる〝ヤジ〟を飛ばした格好だった。

 

「あぁ!? 今言ったやつ誰だよ!! 出てこいやぁー!!」

 

ヤジを飛ばした男は当然のように無視している。うるさくて迷惑をしているが、直接関わりたくない、でも、何かひとこと言わずにいられない、そういう心理状況だったのだろう。

 

絡んでいる男は「男だったらやり返せよ! 殴って見ろよ!」と無抵抗な眼鏡君を煽る。眼鏡君はマスクをしているから、表情の全てを見ることは出来ないけれど、目もとが薄く、薄く、嗤っている。その瞳は怒りと軽蔑に燃えている。何か反論もしているが、声が小さくてここからでは聞き取れない。取り乱すまいと必死なのか、妙に冷静な様子だった。

 

膠着状態は続く。誰かが緊急停止ボタンを押したのか、車両が途中で急停車した。車内アナウンスが流れるがうまく聞き取れない。僕はふたりから目が離せない。どうかこれ以上は、と、願うことしかできず、ふたたび車両が動き出す頃にはどうしようもなく心臓が早鐘を打っていた。

 

最寄り駅に着くと、ホームには制服を着た人たちが何人か待機していて、ドアが開いて出てきた瞬間ふたりを止めにかかっていた。ヤジを飛ばした男はその場を素通りし、改札口にいる駅員に向かって「あいつ逮捕してくれよ!」と訴えていた。

 

 

僕のブログを長く読んでいる人ならだいたい予想はつくと思うけれど、僕は終始、ガラの悪い男のほうに感情移入していた。怒りの手前の感情は悲しみである。男の心情を言語化するならこうだろう。「俺は嗤われて悲しいんだ。正確には、君が俺のことを嗤ったかどうかわからないんだけれど、嗤われたような気がして悲しいんだ。その目をやめてくれよ、頼むから、その『目』をやめてくれよ!!」

 

(本当はこんなことが言いたいんじゃない、こんなことがしたいんじゃないんだ、でも………!!)

 

その状況に心当たりがありすぎて、僕はいっそ彼を黙って抱きしめてあげたい衝動に駆られた。たぶんそんなことをしたら何をされるか分からない。と、いうのは、興奮した状態では、抱きしめられることと止めにかかる意図で動きをおさえつけられることの区別がつかない可能性があるからで、彼を信用していない、という意味ではない。目が合えば、きっと大丈夫だろう。僕が後者を意図していないことをきっと、分かってもらえるだろう。

 

 

ネットと現実の両方で「あの人に関わってはいけない」というレッテルを貼られることに慣れすぎた僕は、人とぶつかってしまう性格をどうにかしたり、積極的に解決しにいくというのではなく、フィクションの世界に逃げ込んてしまった。最近は小説の書き方を勉強するために某スクールに通っていて、昨夜も合評会から帰ってくる途中でこのような状況に出くわしたのだった。

 

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電車の話とは関係ないけれど、僕には去年からずっと心の中で謝りたいなぁと思っている人がいる。直接連絡してみようかなって考えたことも何度かあったけど、そんなときは高山羽根子の小説「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」に最後の最後で出てくる文章が頭の中によみがえってくる。

 

「どうしてあんななったのかわかんない。わかんないよ」

「こんな追いかけられて、追いつかれて、むりやり謝られても、困る」

 私は謝られるのが怖くて逃げてたんだ、と考える。こんなきれいなニシダが、こんな虫まみれで、美しくもない顔と背中と、かつて丸かったお腹を持った、みじめで、どうしようもない私なんかに謝りたくて走ってきているのに。

 そんな状態から、私はどうやって逃げおおせるなんて思ったんだろう。

 

 もうそうやってたぶんニシダはずっとこの後ごめんと言いつづけるような気がする。謝ってすっきりされるために追いかけられる、こっちの身にもなってみろ、と思う。

「謝ってすっきりされるために追いかけられる、こっちの身にもなってみろ」

 

相手に要求されていない謝罪は単なるエゴである。所詮は以前と中身の何も変わっていない愚かな自分が「許された」という実感を得たいがための感情の押しつけであり、この通り私は謝りましたが、許すか許さないか、あとはあなたの問題です、さぁ、どうしますか? と、その実相手の優しさや器の大きさを試しにかかっているだけなのかもしれない。

 

だから、僕は相手を苦しめることのないように、直接謝らない謝り方を必死で模索する。もしも小説でそれができたら、とも思うけれど、変に湿っぽくなっては意味がないんじゃないかとも思う。昨夜は眠る直前、そんなことをぐるぐると考えていた。

 

そうしたら、夢の中に彼が出てきた。

 

彼は「こっちこそ素っ気なくしてごめん」みたいなことを言ってくれて、僕はむせび泣く。彼の大事にしていたものをかき回すだけかき回して、間接的に、無遠慮に言いたい放題言ってしまった僕には、きっと謝る権利すらない。それなのに、こんな都合のいいことを彼に夢の中で言わせている自分に無性に腹が立った。いい加減にしろよ自分、と思った。

 

それでいて、可能性はとても低いだろうけれど、もしかすると今でもときどきこのブログを読んでくれているんじゃないか、と、心のどこかで期待していたりもする。ただ、もしこの記事を読んでくれたとしても、具体的なことは一切書いてないので、彼が自分自身のことを指していると気づくかどうかは正直分からない。それでもどうしても書かずにはいられなかった。そのくらい、夢の中でも相変わらず穏やかで、かっこよかった。

 

 

矛盾の総和が人生なわけで、だからこそ彼が今後どんなふうに変化しようとまったく彼の自由なのだけど、どこかで隠れて泣いているようなことがあったらイヤだなぁ、と思う。いろいろがんばっているけれど、思ったほどみんなは僕のこと見てくれないなぁ、関心がないのかなぁ、と、さびしさで落ち込むことがあるとしたら、きっと僕も同じだけ悲しくなってしまうから。

 

そういえばあいみょんがある楽曲の中で「今はまだ伝えられないけど、最悪でも、僕だけはここにいるから」って歌っていた。僕はたぶん一生伝えることはできそうにないけれど、遠くから彼に向けて、ずっとずっとそんな気持ちを抱きながら、これからの日々を過ごしていくのだと思う。

 

電車で騒いでいたあの男にも、いつか相手に暴力を振るったことを謝りたいと思うときが来るだろう。そのときはどうか、相手を必要以上に追いかけてしまわぬよう願うばかりだ。

 

 

 そうやって私も、おばあちゃんやお母さんと同じように、手ごたえ無く殺した小さい虫を、なかったことにしてきたのかもしれない。ひょっとするとお母さんももうすでに、ちょっとした不都合で命がどうこうという問題は起こらないと考える、小さい虫に不快を覚えることもない、背中のきれいな人になってしまっているのかもしれない。

 そう考えたすぐあと、ただ、おばあちゃんやお母さんは、今の私が見えていないいろんなものが見えているかもしれないな、とも思う。私だって、今、自分のまわりにこの虫とは別のなにかがいっぱいあるのに気づかないで、生きているのかもしれない。

 私は心の中で、目の前で泣きじゃくっているニシダにヘルメットをかぶせてあげよう。

高山羽根子「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」2019年)

【追記】模倣から始め、半歩先をねらい独創を

昨日、一昨日と名古屋に行ってきました。目的はナイモンで知り合ったM君とのリアルで、彼とはけっこう長いことメッセ(途中からLINEを交換した)でやり取りしていたこともあり、お互いイメージどおり、すんなりと馴染むことができました。

 

なんだかすごく長いようで短い二日間でした。ブログに書くのがもったいない、というか、ざっくりとはまとめられないくらい様々なことを思ったり考えさせられたので、これはいつか小説にすると思います。ここに載せるかは未定ですが。

 

ひとつだけ書いておくと、オイラはやっぱり某SNSをやっていない人が好きみたいです(やっている人が嫌い、ということではありません)。それはSNS全般と程よい距離を保っている人のほうがより信用できる、と言い換えられるかもしれません。

 

かくいうM君もそういったSNSの類いはまったくやってなくて、あの文化というか界隈について互いに話しているときに、なんだかすごく本質的なことを言ってくれたんです。なので今回、それが自分の中でとても大きな収穫になりました。

 

M君、楽しい時間をありがとうございました。

 

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話は変わって、先日タピオカ小説のほうが書き終わりましたw

 

三ヶ月くらいかけて気ままにのろのろと書いてきたのですが、合計で約25,000字とまぁまぁの長さの短編になりました。途中プロットから大きく脱線することもなく、ほとんど最初の設定どおりの展開になってほっとしています。

 

小説を書く上で一番大事なことは、文章の巧拙だとか内容がどうだということでなく、きちんと最後まで完成させることなんだそうです。なので非常に拙い文章ではありますが、ひとまず目標が達成できたことは素直に嬉しく思います。最後まで読んでくださった方、メールやリアルでわざわざ感想をくださった方、どうもありがとうございました。

 

読書好きの、とくに純文学作品を読み込んでいる人にはとっくにバレていると思いますが、僕は基本的にある有名な作家の文体を参考にして小説を書いています。最近はその人だけでなく、他の作家の文体もちょくちょく参考にはしているのですが、ここ数年で本格的に読書に目覚めたような素人が最初からオリジナリティ溢れる文章なんて書けるわけないんですよね。なので、今はとにかく表題の言葉に忠実に、模倣から始めているところであります。

 

これ、ずいぶん前にどこかで見かけて、何となく覚えてた言葉なんです。調べてみたら調布の「シュベール」っていう喫茶店の標語だそうで、言われてみればたしかに行ったことがあるお店だったので、たぶんここで見かけたんだと思います。記憶が曖昧で申し訳ない………(ちなみに自分はレトロな純喫茶が大好きで、おすすめは日暮里駅前にある「ニュートーキョー」です)。

 

 

そこで軽くお知らせなのですが、このたび11月24日(日)に東京流通センターで開催される文学フリマ東京に「宮野影一」というサークル名で出展することになりました。

 

bunfree.net

 

 

今回販売する小説は「タピオカ禁止法」のみですが、その他いくつか書き下ろしの掌編も無料で配布する予定です。表紙のイラストは長岡真李和さんにお願いしました。

 

mariolab.myportfolio.com

 

 

入場は無料ですので、小説などに興味のある方はぜひ気軽に遊びにいらしてください。

 

当日のブースの配置などは確定次第、随時こちらに追記したいと思います。

 

*追記*

ブース配置は【ウ―30】です!

ポスターはこんな感じに仕上がりました。

なかなか可愛いと思いませんか?^^

 


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はりきって50部も刷っちゃいましたw

今回は勉強させていただいて、1冊500円で販売いたします。こんなディスタピア小説、他にはありません……!w

 

 

会場でお待ちしています`^ω^

【小説】タピオカ禁止法(最終回)

  タピオカワールドが爆破される、死傷者50人以上か

 

 東京タピオカワールドはたしか先週末、渋谷区に期間限定でオープンした謎のテーマパークだった。チケットは予約開始と同時に即完売で、オープン初日にはつい最近タピオカ大使に任命されたという人気タレントのディーン・タピオカ氏が来場し、大盛況だったと話題になっていた。

 

 まさか、そんな場所がテロの標的にされてしまうとは、一体全体どういうことなんだ。

 

「そうだ、こういうときこそ」

 

 例のSNSで〝タピオカワールド〟と検索すると、現場近くにいた人が撮影した動画がちょうど一分前に上がっていた。「何だこれぇ……」撮影者の動揺した声とともに映し出されたのは、黄色いバリケードテープ越しに見える、オレンジ色の炎に包まれた二階建ての建物だった。

 

 警視庁 立入禁止 KEEP OUT ガラスの割れる音 もうもうと立ち上る黒煙 悲鳴 子どもがまだ中に 警視庁 立入禁止 KEEP OUT 小走りの警察官 危ないですから下がってくださぁい パトカー 救急車 けたたましく鳴り響くサイレン 警視庁 立入禁止 KEEP OUT 煤 這々の体で屋外へと逃げ出す人々 消防車 やじうまのどよめき テレビで絶対に映せない状態の人 警視庁 立入禁止 KEEP OUT お願い早く テレビカメラ 報道陣 スマホを向ける人 スマホを向ける人にスマホを向ける人 ヘリコプター 一〇二五件の再生 警視庁 立入禁止 KEEP OUT

 

 胸くそが悪かった。何でよりによってこんなときに、こんな事態を〝知らされ〟て、こんな映像を〝見せられ〟なきゃならないんだ!?

 

 俺はスマホを地面に叩きつける。ふりをする。スマホを掴んだ右手を振り上げて遠くへ放る。ふりをする。むかし見たドラマのワンシーンみたいに、いっそケータイを真っ二つに折って壊して、ひと思いに遠くへぶん投げたりできたらどんなにか良かっただろう。

 

 でも、いま俺が手にしているのはスマホであってケータイじゃなかった。握りしめているのはGoogleで、LINEで、YouTubeで、そうした複雑怪奇でバカバカしいシステム世界の総和であって、それはもう単なる携帯可能な電話機としての存在なんかじゃなかった。

 

 損得勘定が現実と妄想を査定する。壊す? 捨てる? とんでもない、却下だ。

 

 スマホを手放すことで生じると予測される、あらゆる面倒ごとや損失の数々──それらはこのもっとも純粋であるはずの破壊衝動すら、とっくに凌駕してしまっていたのだった。

 

 陽は沈み、背後に薄ぼけた宵闇が迫っていた。俺はスマホをポケットにしまい、意を決して角を曲がる。見覚えのあるアパートがあった。彼女の住む二階の左の角部屋に電気はついていない。集合ポストを覗いてみると、二〇一号室のポストは抜き取らずに放置された大量の郵便物でふくれ上がっていた。

 

 手を伸ばしかけて、引っ込める。しばし思案する。そしてもう一度手を伸ばし、金属部分に触れる直前で再び理性が来て、やはり、引っ込める。

 

 見て、どうする? 

 知って、どうする? 

 その先の責任は、取れると思うか? 

 俺にその先の責任が、本当に、取れると思うか……?

 

 ねぇ、答えてよ、茜──。 

 

   *

 

 タピ国党の田比花孝志代表は、その秋におこなわれた衆議院議員選挙において大勢のボランティアスタッフと共に各所を走り回り、徹底したドブ板選挙を展開した結果、比例代表で見事当選し、国政への進出を果たした。

 

 それと同時に、選挙直前に起こったタピオカワールド爆破事件(通称・タピオカ事件)は言わずもがな日本中を震撼させ、国民のタピオカに対する意識を変えるきっかけとなった。そしてかつてのバブルが弾けるように、タピオカブームは終焉へと向かっていった。

 

 タピオカ事件は当初、国際的なテロとの見方で捜査が進められていた。警視庁は「国家の威信をかけて全力で捜査する所存」と息巻いたが、半年近く経った今もその犯人を特定できず、未解決のままとなっていた。それでも合計80人以上の死傷者を出したことから世論は国会にも大きく影響を及ぼし、タピ国党が公約として掲げていた例の法案が国会に提出されると、衆参共にほぼ満場一致で速やかに可決・成立した。

 

 こうして「タピオカ禁止法」はこの春から施行されることになった。

 

 一時期あれほど出店競争を繰り広げていたタピオカ屋は、今や見る影もなくなってしまっていた。一部でヤミタピオカなるものが出回っているとの噂もあるが、詳細は不明だ。

 

〝専門家〟の人たちは次に来るブームについて「タピオカの流通が法律で禁止されてしまった手前、この手の一大ブームは当面のあいだやって来ないんじゃないか」と口を揃えたように意見していた。

 

 いずれにしても街に平和が戻るのはいいことだ──と、思っていた矢先。いつものように休日に駅前を歩いていると、かつてコンチャがあった駅ビルの一角に、新たな業態の店がオープンしているのに気がついた。俺は目が悪いので、中で何を売っているのか外の通りからだと確認することができない。しかしやたらと繁盛している様子だった。

 

 まぁ、どうせ俺には関係ないことだ。そう思って通り過ぎようとしたとき、

 

「広がって立ち止まってんじゃあねぇよ! お前らみんな、邪魔なんだよう!」

 

 と、やや舌っ足らずな優しい怒鳴り声が聞こえてきた。振り向くと、自分と同年代か少し下くらいの男が店の前の客に向かって感情を露わにしていた。

 

 ちょうど見たい服があったので、その繁盛している店のあるビルに一階から入ることにした。人だかりの先に目を凝らしてみると、そこで売られているものには見覚えがあった。まさか、次はあれが流行るっていうんじゃ……。

 

 見なかったことにしよう。

 

 売り場につくと、目当ての服は最後の一点になっていた。電話して取り置いてもらえばよかった。もう、どうせ名前を間違えられる機会もないだろうから。

 

 鏡に向かって服を合わせていたら、久々に茜のことを思い出してしまった。この店には彼女と何度か一緒に来たことがあった。なぜか気まぐれを起こして、お揃いのパーカーを買ったこともあったんだっけ。

 

「オマタシマシタ、ドゾー」

 

 あの日以降もLINEの既読はつかないままになっている。俺は結局、彼女を恋愛対象として好きだったんだろうか。それとも

 

「サイズ、エムデヨロシイネ?」

 

 好きとかじゃなく、音信不通になったことで、何か大きな魚を逃したような気持ちになってしまっているだけなのだろうか。こんな事態になるのなら、さっさと付き合っておけばよかった、というくらいの。

 

「オカイケサンゼンロッピャクハチジュウマンエンネ」

 

三,六八〇万円……まさか、何か金銭関係のもめ事に巻き込まれてしまっているとか。それで拉致されて、今ごろ山奥なんかに遺体を埋められて。 

 

「ハイ、ヨンヒャクマンエンノオカエシ」

 

 駄目だ、悪いほうにしか想像できない。もう考えるのはよそう。彼女はきっと、今もどこかで生きている。というか、さっきから店員がおかしい。

 

 名札にはカタカナでグェンと書かれていた。あぁ、そういえばこの店は以前。

 

「アリガトゴザマシター」

 

 ふと右を向くと、隣のレジに見覚えのある人物が立っていた。さっき一階の店で見かけた、あの男だった。

 

「すみません、先ほどお電話をした、鉈手ともうします」

 

(了)

 

 

〈参考資料〉

「やさしさをまとった殲滅の時代」堀井憲一郎講談社現代新書

「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫(集英社新書