聞き屋のたぬ吉

相席をした彼の名は悲しみ

登山家の冒険は続く

前回更新した記事が、はてな公式ツイッターでおすすめ記事として取り上げられたこともあり(神原さんが教えてくれるまで知らなかった)、土日の二日間だけでPV数が過去最高の3400を記録した。

 

tanukichi.hatenadiary.com

 

やはり世間的にセンセーショナルな内容だったのか、生活保護については予想以上に関心が高いようだ。恥も外聞もかなぐり捨てた甲斐があったと思う。

 

実は一件だけ、成瀬優さんという名前の方から「人の金で生活しているなんて、生きてる意味ないですよね」というバッシングのコメントが書き込まれていた。なんだかなぁと思って削除してしまったんだけど、すぐにそのことを後悔した。ただ削除するのではなく、その人に向かってこう質問するべきだったのだ。

「生きてる意味って、何ですか?」と。

意味のある生き方とは一体どういうものなのか、それを当人が知っているのであれば非常に興味深い。悟りの境地にでも達しないと見えてこないような重たいテーマだけに、直接会って聞いてみたいくらいである。

 

*   *   *

 

そんな僕の愚問に答えるかのように、登山家の栗城史多さんが21日、エベレスト登頂を目指している途中で亡くなった。この方の存在は当日のニュースで初めて知ったんだけど、なんでもこれまでの登頂はことごとく失敗に終わり、2012年には重度の凍傷により9本の指の大半を切断しているのだという。それでも独立独歩の精神で8度目のチャレンジとなった今回は、あえて通常のルートよりはるかに困難とされる「南西壁ルート」を選択し、酸素ボンベも持たず一人単独で挑んだのだそうだ。

 

僕は登山に関してはズブの素人なので、それが如何に難しいものかは形容しがたいけれど、度重なる失敗により一部のアンチからは“下山家”などと揶揄されていたと聞く。彼だって伊達や酔狂で冒険していたわけではないだろうが、アルピニスト野口健氏や登山ライターの森山憲一氏もやはり否定的な見解で、訃報に際し「彼の登山スタイルは無謀すぎた」と無念さを滲ませていた。

 

news.livedoor.com

 

bunshun.jp

 

しかし他方では、彼は登山家などではなく、あくまでも山を対象とした表現者だったと評する声もある。だとすると、彼が最難関と言われるルートをたった一人無酸素で登り、そこで表現したかったものとは何だったのか。9本の指を失ってもなお、誰も成し遂げていない記録へ果敢に挑み続けた動機とは一体何だったのか。それは本人がインタビューで語っていたように「否定という壁への挑戦」だった。そこに彼は命を賭けていたのだ。

 

 

僕は正直「生きてさえいればいい」とか「生きていなきゃ意味がない」みたいな考え方って綺麗事にしか聞こえなくて、そういうのは単純に死にたくないやつのエゴなんじゃないかと思っている。“死んでも構わないと思える何か”を見つけてしまった彼らのイノセンスは、惰性で生きている我々の命なんかよりも、実はずっとずっと崇高なものなのではないだろうか。

 

それを見つけられない僕らは、知らず知らずのうちにあらゆる否定を「常識」として積み重ね、あまりにもつまらない世界を生きてしまっているのだろう。そしていつしか開き直りが度を過ぎて、「命を大切にしよう」なんてことを平然と口にしてしまうようになった。

 

逆にそこまで彼を批判するのであれば、生きる目的というものが最終的にどこへ帰結するのか、そのことを知っていなければ説得力がない。何を持ってして命を肯定できるのか、その根拠を示すことで初めて「命の大切さ」なんてものが語れるんじゃないだろうか。植物常態になってしまった人を呼吸器でつないで無理矢理生かすのと同じように、当事者不在の尊厳論に一体何の価値があるというのだろうか。

 

たまに「死ぬこと以外はかすり傷だ」なんて考えを共有したがる人がいるけれど、じゃあもし明日交通事故で片腕を失ったとしても、ずっと同じことを言い続けられるのかと疑問に思う。たとえ抱えている困難が死に直結しないものだったとしても、それをかすり傷と思えるかどうかは人それぞれではないのか。焼き鳥の塩派がタレ派をこき下ろすように、ポジティブがネガティブを、生が死を迫害する今の日本の現状に、僕はいい加減うんざりしている。根性論でどうにかなるのであれば、年間三万人いる自殺者たちの動機はどう説明してくれるのか。

 

*   *

 

森山氏は、彼の頭の中がどうしてもわからないと嘆く。そりゃそうだ。命あっての物種という精神で営々黙々と生きている以上、わからなくて当然なのだ。安全なレールの上を惰走するだけのマンネリズムに浸っていては、きっと一生、彼の行動を理解できる日が訪れることはないだろう。

 

彼の命は「人はなぜ生きるのか」という最もシンプルでプリミティブな哲学となって、たった今、人々の心という見えない山を登り始めたばかりなのだ。

 

 

 

愛した物を守りたい故に 壊してしまった数々

あっけなく打ち砕かれた 願いの数々

その破片を裸足で渡るような 次の一歩で滑落して

そこで死んでもいいと 思える一歩こそ

ただ、ただ、それこそが 命にふさわしい

(amazarashi「命にふさわしい」2017年)

生活保護を申請した話

ひい、ふう、みい。

財布の中身をベッドの上に並べてみると、そこには折目のついた三枚の千円札と、鈍く光る小銭が数枚あった。家に貯金箱なんてものは存在しないので、紛れもなくこれが全財産である。とち狂ったように届く請求書の山とそれらを交互に睨んでみるが、蓋しどう足掻いても詰んでいる。八方塞がりとはまさにこのことだった。

 

背水の陣で臨んだ生活保護費の申請は、結論から言うと僅か九日ほどであっさり通った。昨今の不正受給問題や費用削減など、マスコミによるネガティブキャンペーンが影響してか、相談に行くのは大いに憚られた。

 

ネット上では「門前払いや堂々巡りの押し問答は当たり前」「申請用紙すら出し渋る職員がいる」などとまことしやかに噂されているものだから、よほど戦々恐々としながら市役所を訪れてみたけれど、実際の対応は極めて真摯かつ常識的なもので拍子抜けしてしまった。

 

後日「申請が通りましたので、お金を取りに来てください」と電話で告げられ、その翌日に担当のケースワーカーのもとへ出向いた。生活支援課の窓口にはアル中のように顔を真っ赤にしたオッサンや、乱れ髪でブツブツと独り言を呟き続ける妙齢の女性など、正直お世辞にもまともとは言えないような人たちが雁首揃えて待機していた。ここへ来ている時点で他人をどうこう言えた立場ではないのだが、せめて見た目や挙動くらいは正常な人の姿でありたいと願った。

 

受け取りの手続きを済ませると、給料袋のような厚手の茶封筒を渡された。中には家賃と幾ばくかの生活費が入っていて、その場で金額を確認するように指示された。あまり大きな声では言えないけれど、不思議と惨めだという感情は薄く、むしろ定型の生活から解放される安堵のほうがそれらを圧倒的に上回っていた。

 

辛かった朝ももう無理に起きなくていいし、遅刻やずる休みを繰り返して自責の念にかられることもない。今まで虚勢を張って頑張ってきたけれど、由緒正しいアウトローの僕には、普通を装って働くなんてきっと最初から無理筋だったのだ。今後の就職に関する話し合いは、精神障害者手帳を取得する方向で決まった。これでよかったんだと、胸がすく思いがしたのだった。

 

*   *

 

相方と付き合いだして早五年、ざっと見積もっても掛け値なしに数百万円は僕に使ってくれている。名目上は借りたことになっているお金もあるというのに、請求されることもなければ一切の利息もない。家庭環境のこと、ADHDのこと、いつも人間関係がうまくいかないこと。すべて理解している彼は「たぬちゃんは何も悪くないんだよ」と言う。なし崩し的に経済依存しているのはわかっていた。あまりよろしくないのはわかっていた。

 

紆余曲折あり、現在は近くだけど別々の家で暮らしている。結局自立することは叶わなかったけど、これで彼の経済的な負担も少しは減るのだと思うと、とても晴れやかな気持ちになった。

 

僕は今、社会の最底辺にいる。

いつか世界と仲直りできるように、僕は僕の想いをたしかに綴っていく。

 

(amazarashi「もう一度」2014年)

存在を証明する方法

「断捨離の極意は何を捨てるかではなく、何を残すか」と話すのは、片付けコンサルタントで有名な近藤麻理恵さんだ。近藤さんは自著で「ときめきを感じるものだけ手元に残し、感じないものは処分する」という、至極シンプルな断捨離術を、世の中の片付け下手なマキシマリストたちに提唱。2015年には世界で最も影響力のある100人にも選ばれたとあって、リバウンド率0%はなるほど頷けるものがある。

特に書籍に関しては全捨てを推奨しているんだけれど、いわゆる“殿堂入り”は迷わず残すべきだと言う。実際に読み返すかどうかは別として、自分にとって本棚に置いてあるだけで嬉しくなったり、ときめきを与えてくれるような本は手放してはいけないのだそうだ。

 

殿堂入りの本……言われてみれば、たしかに存在した。僕の場合は高校二年生のときに出会った「真夏のボヘミヤン」というBL小説がそれに当たる。

「普通」であることにコンプレックスを抱く高校生の主人公と、街頭詩人をしながら日本全国を旅する24才の青年の前途多難な恋物語なんだけれど、秋月こおさんの書く一人称語りの軽快な文章が大好きで、それこそ十代の頃は手垢が付くほど何度も何度も読んだのを覚えている。BL系の小説はたくさん持っていたんだけど、この本だけはどうしても手放せなくて、家を引っ越すときもずっと大切に残してきたのだった。

 

真夏のボヘミヤン (コバルト文庫)

真夏のボヘミヤン (コバルト文庫)

 

 

この程十数年ぶりに読み返してみたんだけれど、大好きだった世界観はそのままに、むしろ大人になった今だから響く言葉も多分にあったりして、改めて小説の持つ魅力に気付かされた。そういえば20代前半頃までは小説家に憧れていて、何か物語をひらめいては散文的にノートに書き綴ったりしていたこともあった。

歳を重ねるにつれ、次第に手記やエッセイなどを多く読むようになり、いつの間にか小説の世界と距離を置くようになっていた。それはつまり分かりやすいフィクションを好まなくなった、と言えるかもしれない。

 

特にBLに興味がなくなったのは、実在するゲイとの接点を持ち始めたことが多大な影響を及ぼしている。少なくとも僕の知る限り、ゲイの現実世界には十代の頃に憧れた「純愛」なんてものはどこにも存在しなくて、それぞれが持て余した肉欲をいかに見映えよくパッケージするかに終始していた。正直そんなゲイ社会に救われた部分も絶望した部分もあったりして、虚飾が当たり前になってしまった自分への自己嫌悪もあるのだと思う。

 

単純な比較で小説をつまらなくしていたのは、他でもない自分自身だった。ところが僕を取り巻く世界をよくよく観察してみると、その実フィクションというものは小説に限らず、日常生活の延長線上に無数に存在していたのだ。今自分の目の前で起こっている物事以外は全てフィクションなのかもしれない。そんなふうに意識するようになると、今度はモキュメンタリーのような映像作品やピカレスク小説など、空想と現実の境目をうまい具合にボカした創作物に惹かれるようになっていった。

 

*   *

 

そういえば数日前、あるフォロワーさんがとても気になる発言をしていたので貼ってみる。

 

 

これ、ブログ仲間の神原さんとも完全に意見が一致したんだけど、例えば政治批判とか世の中に対して訴えたいものがある場合、イデオロギッシュに声を張り上げたりするよりも、創作物(絵画や音楽や小説など)の中から間接的にメッセージを発信したほうが、人の心のより深い部分にまで届いたりするものなのだ。たいちさんのツイートにも言えるように、創作物だから許される表現というのも大いにあって、むしろそれというのは、実はものすごく高尚な手段なんじゃないかと思うのだ。

 

愛とか夢とか希望とか、耳障りよくまとめた俗っぽいメッセージソングは世の中にごまんとあるけれど、いかんせんそのほとんどは商業的で自分には響いてこないことが多い。そんな中で僕の好きなamazarashiは、いかにも世間で盲信されているそれらに対して、独自の視点を持ってこんな具合に風刺している。

 

愛されるだとか 愛するんだとか

それ以前に僕ら 愛を買わなくちゃ

消費せよ 消費せよ

それ無しではこの先 生きてけない

消費せよ 消費せよ 

それこそが君を救うのだ

amazarashi「ラブソング」

 

 

孤独になっても夢があれば

夢破れても元気があれば

元気がなくても生きていれば

「生きていなくても」

とかあいつらそろそろ言い出すぞ

amazarashi「ヒーロー」

 

 

夢は必ず叶うから 

って夢を叶えた人たちが 

臆面もなく歌うから 

僕らの居場所はなくなった

amazarashi「ヨクト」



 

それなりに愛されて育ってきたポジティブ信者には、この「ネガティブが持つ究極のポジティブ」はもしかすると伝わらないかもしれない。amazarashiの場合はこうしたねじれの強い音楽で表現しているけれど、画家であれ芸術家であれ「これってどういう意味なんだろう?」と、あえて引っ掛かりを作ることで受け手に宿題を残したり、考える余地を与えてくれるような作品を生み出す人というのは、基本的に頭がいいと思う。

 

 *   *

 

コミュニケーション不全の自分には居場所を作るような器量もないし、呼び掛けるような人脈もない。しかし、自分一人でも何かをしたいという思いは常にあって、じゃあ一体何が出来るんだろうって考えたら、自ずと答えは決まっていた。そう、それは小説に代表されるような創作による文章を書くということだった。

LGBTADHDなど、自分が関与する社会問題についてストレートに意見を述べるのもそれはそれで意味のあることなんだけど、僕自身が本当にやりたかったのは、誰しもが首肯せざるを得ないような正論を振りかざして気持ちよくなることなんかじゃないのだ。それよりも社会の最底辺からしか見ることの出来ない視点を武器に、僕は僕にしか思いつかないような空想の世界を、僕の言葉だけでドライ且つアナーキーに表現してみたい。

 

直近の目標は文学フリマに出展して、自身の作品を頒布することだ。次回開催の11月までに間に合うかはわからないけれど、決意表明でもしない限りなかなか実行に移せない性格なので、まずはブログに書き出すことで自分に対してせっついておく。

きっと僕にとって文章の世界こそが居場所であり、自分の存在を証明する唯一無二の方法なのだ。

虹色の優しさに包まれた、東京レインボープライド2018

ゴールデンウィーク最終日の6日、ヤシュウさんとりきまるさんとAIR-J'さんと共に東京レインボープライドに行ってきた。


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結論から言ってしまうと、とても賑やかで楽しかったはずなのに、返って僕は自分自身を見失ってしまったような気がした。このイベントを心の底から楽しめるようになるには、もう少し時間がかかるみたいだ。

 

誰かがブログに書いていた。TRP2018に参加したことで、こんなにたくさんの当事者がいることを知り、自分は一人じゃないということが再認識できた、と。もちろん僕もパレードに参加している間はそれに近いものを感じていたし、あらゆるものが虹色に染まったプレイフルな渋谷の街並みは、マイノリティの僕たちをたくさんの優しさで包んでくれた。この初めて味わう独特の高揚感は、決してチープなものではないと思った。

 

あのとき確かに僕はパレードに参加していた。しかし、同時に僕は渋谷の街にいるようで、心はどこか全く違う遠い場所にあった。溢れ返るほどの群衆の中で一人、圧倒的な孤独にさらされていた。

 

誰かといるときに感じる孤独は、一人でいるときに感じるそれとは異質なものだ。孤立、と言ったほうが正しいだろうか。そんな僕の心情とリンクするかのように、孤独の感じ方について、エゾマルさんがタイムリーに記事を更新してくれていた。

 

ezomaru.hatenadiary.jp

 

結局、「孤独」が嫌いなんだと気づく。

人といると「孤独」を感じるから、だから1人でいるなんて、ちょっと皮肉だねw

 

この文章には本当に共感しかなかった。

前にも違う人の記事で似たような考え方に触れてはいたものの、人との繋がりなんて所詮はそんなものだよなぁと、改めて認識させられた。やはりこんなふうに思う人はいるんだよなと、心強く感じたのだった。

 

 *   *

 

パレードがラフォーレ原宿の手前にさしかかったとき、ゆくりなくも沿道にある人物を見つけてしまった。その昔、定期的に乱暴なセックスをしてもらっていた男の人だった。背が高いからやはり目立ったが、彼がこちらに気付くことはなく、彼氏なのか友達なのかわからない連れと一緒に、僕らに向かってレインボーフラッグを振っていた。笑っているのにどこか冷めたような表情は、最後に会った五年前と何も変わってはいなかった。

僕は何事もなかったように歩き続けた。途中何度か息が上がりそうになるのをごまかしながら、何とか会場まで戻った。入り口で多くの人たちが「お帰りなさい」と書いた紙を持って待っていてくれて、パレードを歩ききった達成感で胸がいっぱいになった。

 

りきまるさんたちはステージを見に行くと言うので、ヤシュウさんとAIR-J'さんと三人で木陰で休むことにした。ヤシュウさんがわざわざレジャーシートを持ってきてくれたお陰で、のんびり過ごすことができた。

 

その後ステージが終わったので、合流するために場所を移動することになった。歩いているときに変な動悸がしていて、いやいや気のせいだと思いながら二人の後についていったんだけれど、歩道橋を上がりきったあたりで息が切れ、しゃがんで呼吸を整えようとしたけれどダメでその場にへたり込んでしまった。苦しくてどうしようもなくなって、ついに過呼吸が始まってしまった。

こんなところまで来て、一体何をやっているんだろう……。自分の精神的な弱さに心底うんざりした。顔が痺れてひきつっているのを隠そうとしたけれど、手足も痺れてうまく言うことを聞いてくれない。一瞬目を開けると、目の前にひどく困った表情のヤシュウさんがしゃがんでいるのが見えた。AIR-J'さんは僕の呼吸が整うまで、優しく背中を擦ってくれていた。せっかくの楽しい時間を台無しにしてしまって、本当に申し訳ない気持ちになった。

 

ようやく落ち着いて立ち上がると、りきまるさんたちとは合流せずに解散することになった。原宿駅へ向かう途中、二人の背中を見つめながら、あんな醜態を晒したことで嫌われてしまったのではないかと怖くなった。しかしそんなことは聞けるわけもなく、聞いたところで本当のことなんて答えてくれるはずもないのだった。

そんなことを悶々と考えながら次の目的地へ向かった。ヤシュウさんはひどく疲れていたようで、途中の品川駅でお別れをした。

 

文学フリマの帰りに羽田空港まで行き、カフェでAIR-J'さんと趣味のこと、ブログのこと、恋愛のことなどいろいろ語り合った。そのあと空港の展望デッキへ上り、二人で強風に吹かれながらぼんやりと滑走路を眺めた。

 

飛行機のゴォーという離陸音が耳をつんざく。情緒的な景色に酔いしれながら、管制塔からは全体がどんなふうに見えるのだろうと、ふと想像した。

 

空を見上げていると、AIR-J'さんが「明日は雨が降るらしいよ」と教えてくれた。完全に暮れる前の鈍色の曇天は水彩画みたいで、ところどころ灰色の濃淡でレイヤーになっていた。

まるで僕の心を、映し出しているようだった。

 

 

(YUKIフラッグを立てろ」2017年)

 

白黒思考で、もがき続けるのだ

近頃けっこうな頻度で死にたくなるんだけど、世の中にはそれと同じくらい、ふいに人を殺してみたくなる人がいるらしい。彼曰く、罪に問われてしまうから鳴りを潜めているだけで、その欲望は常に抱えているのだと言う。そんな話を目の前にして「その手があったか」と思わず膝を打った。禁忌に触れて、試しに好きなように自分を殺してもらえないだろうかと、危うく頼んでしまいそうになった。そのくらい本気で病んでいるのだ。

 

人の手で殺されるって、なんかいい。昨年ニュースになった座間の連続殺人じゃないけれど、自害する勇気のない人間にとって他殺は魅力的だ。とは言え、上手くやらないと自殺幇助罪嘱託殺人罪に問われてしまうから、実際に自殺に手を貸す人間はそうそういないし、やりたくたっておくびにも出さない。だからこそ、そんな欲望を秘めた相手だと知ったときは武者震いした。

 

今からちょうど25年前、完全自殺マニュアルという本が当時10代20代だった若者を中心に話題となり、100万部以上を売り上げるミリオンセラーとなった。“聖書より役に立つ、コトバによる自殺装置”というキャッチフレーズの通り、内容はただひたすらに死ぬ方法のみが列挙された背徳的なもので、実施した際の痛みや見た目のインパクトなどが五段階で評価されている。たしか「焼死」が痛み・インパクト共に★5つの最強で、中には「動物に食べられる」などという宗教的なものまで掲載されていた。僕自身この本は15年ほど前に読む機会があったんだけれど、当時は若かったこともあり、言葉にならない気持ち悪さが読後感として残ったのを覚えている。

 

てっきり絶版になったものだと思い込んでいたれけど、普通に今でも売っていた。有害図書に指定されたという噂もあったけど、結局どうなったのかは知らない。

 

完全自殺マニュアル

完全自殺マニュアル

 

 

他サイトからの引用だけど、著者の鶴見氏はあとがきでこのように綴っている。

 

本を書こうと思ったもともとの理由は、「自殺はいけない」ってよく考えたら何も根拠もないことが、非常に純朴に信じられていて、小学校で先生が生徒に「命の大切さ」なんていうテーマで作文を書かせちゃうような状況が普通にあって、自殺する人は心が弱い人なんてことが平然と言われていることにイヤ気がさしたからってだけの話しだ。「強く生きろ」なんてことが平然と言われている世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて、「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。
別に「みんな自殺しろ!」なんてつまらないことを言っているわけじゃない。生きたけりゃ勝手に生きればいいいし、死にたければ勝手に死ねばいい。生きるなんて、たぶんその程度のものだ。
出典『完全自殺マニュアル』p195 おわりに

 

まったくその通りだと思った。

メメントモリじゃないけれど、むしろ生というのは死を意識すればするほど輝きを放つものだ。逆説的だけど、「いざとなれば死んでもいい」と、あえて死を肯定することで見出だせる希望的観測というものも、少なからず存在するように思う。死を悪いものとして扱い、意識から遠ざければ遠ざけるほど、返って我々の閉塞感は強まっていくのかもしれない。

 

(amazarashi「穴を掘っている」2014年)

 

そう言えば先週、自殺に関して兼ねてより気になっていた本を購入した。

 

 

著者の小林エリコ氏は短大卒業後、あるエロ漫画雑誌の編集部員として月給12万円で雇われていたそうだ。著書では生活に困窮して自殺未遂を図り、その後精神障害者として生活保護を受給しながら社会復帰するまでの顛末が書かれているが、最後の「誰も恨んでいない」という言葉に敬服した。

オーバードーズによる自殺未遂の話が何度も出てくるんだけど、「薬を飲む際に部屋の鍵を開けておいた」とあり、本当は死にたくなんてなかったんだなと察した。前述の完全自殺マニュアルにも書いてあるけれど、確実に死にたければ凛然と部屋を施錠して、薬とともにアルコールを一定量あおれば逝けるのだ。自分でも少し調べたけれど、未遂に終わればその後もいろいろとリスクがあり、発見された際の胃洗浄もかなりキツいらしい。僕の場合はそんなパフォーマンスすらも踏ん切りがつかないわけで、もういっそのことあの人に殺されて、屍姦されてみたいとすら思ってしまう。自殺がマスターベーションなら、他殺はセックスくらい魅力的な方法なのだ。

 

*   *   *

 

心理学用語で「曖昧耐性」という言葉がある。これは物事を曖昧にしておけるほどストレスに強く、はっきりさせたがるほどストレスに弱いとするもので、自分は後者の白黒思考だ。一昨日書いた記事はまさにそれで、「これって僕のこと言ってますよね?」とコメントで確認したところ「遠因かもしれませんが批判的な意図はないのでご理解下さい」的な、日本ボカシ話かよと思うくらい煮え切らない返信があった。すぐにツイッターをブロックしてしまったんだけど、更にその返信で「もう僕のブログには来ないで下さい」と書き込んだところ、そのやり取りを丸ごと削除されてしまったのだ。怒髪が天を衝いてしまい、記事に起こして批判させてもらった。

その後裏垢でツイッターを確認したところ、「名指しで攻撃されて面食らった」とツイートしていて呆れた。そもそも最初に攻撃されたのは僕のほうで、コメントを消した時点でだいぶありえないと思う。きれいごとみたいな補足も追記されていて、余計に頭にきた。

 

そしてそれらのツイートに対してコメントやお気に入りをしていた共通のフォロワーさんも何人かいたので、ブロックさせてもらった。僕らが対立しているのを知った上で彼を支持しているのだから当然で、誤解もへったくれもない。敵だと判断したからブロックしたのだ。

 

実は他でも僕の過去記事やツイッターでの発言を引用している人がいて、あむしさんの記事についてもそうだった。別にこれは批判された訳じゃないけれど、ユータロさんに味方している感じだったので、あえて言及してみようと思う。

 

www.amushi-to-zumashi.com

 

馴れ初めを書くわけじゃなく、

”恋人を作るコツは妥協”っていうのを見て嗚呼、”言い得て妙”な気分に浸りまして。

 

これは恐らく僕のこのツイートを見ての発言だと思う。

 

 

そして、こう続けている。

 

でさ、継続は妥協では無いのですよね。

 

”恋愛は妥協の連続〜”みたいなのがあんまり好きではなく、

全くの他人をひとつひとつ、たまにぶつかりながら理解していって、

そしたら相手も同じように返してくれて、そういう積み重ねの上に僕達はあるんだな〜と。

 

僕はむしろ継続こそ妥協の連続だという考え方で、価値観のすり合わせは安易におこなうべきではないと思っている。なぜならその行き着く先は「結局は分かり合えない他人同士」という事実が露呈するだけだったりするから。

彼のように「ぶつかりながら理解する」とか「話し合うことが大切だ」みたいなことを言う人たちが、僕はあまり信用できない。それは大抵の場合、ぶつかって話し合えば自分の主張が通ると思っているだけで、相手の話を聞く気などさらさらないことが多いからだ。 この手のタイプは相手に歩幅を合わせてもらうことに必死だから 「妥協の連続」の意味がわからないのだと思う。

優しい人は相手が100%の主張をした場合、せいぜい自分の主張は70%くらいに留めて折り合いをつけることが多い。相手が引っ込めた30%が緩衝材になっていることなど露知らず「ぶつかり合って成長した」と言い切ってしまうのは、実に荒唐無稽ではないだろうか。

読者登録も解除されていたけれど、きっと僕の記事はオブザーブしているに違いない。何か反論があるならコメントすればいいし、スルーしてもらっても構わない。

 

そう言えば、ある人がはてなブログにおけるスターの付け合いを「互助会」と揶揄していて、不覚にも笑ってしまった。前にもブログを始めた理由で書いたけど、自分の場合アクセス数とかスターの数は全然求めてなくて、僕の記事や言葉に本当に共感してくれたときだけスターを付けてほしいのだ。読んだよ、という挨拶程度のものでももちろん嬉しいけれど、お返しは求めないでほしい。僕が他の記事を読んだときは、何か刺さる言葉があったり、共感できる内容でないとスターも付けないし、コメントもしない。むしろ本来はそうあるべきだと思う。

 

*   *

 

きっとこんな調子だから、人間関係が上手くいかなくなるのは分かっている。いつも苦しくなってもがいて、気付くと周りに誰もいなくなっていて、それを30余年も繰り返してきてしまった。自己嫌悪に陥って死にたくなって、誰かに助けられてまた浮上して。いつまでも他立じゃいけないと思いつつ、結局甘えていて。そしてここのところ、また死にたくなっている……。

でも、少しずつ状況は変わり始めている。前々回の記事を書いたときはふぁるこんさんが心配してラインをくれた。むしろあんなことを書いて引いてしまったのではないかと聞いたら、「俺はそんなことないよ」と言ってくれて泣きそうになった。withnewsの記事がバズったとき、ツイッター上でアクションしてくれたフォロワーのチャンキチさんも、あの記事を読んで心配して長文のDMを送ってくれた。ものすごく嬉しかった。

伏せておくつもりだったんだけど、どうしても自慢したいので書いてしまう。昨日の夜、神原さんと会って食事をした。いろんなネガティブを吐き出したのに、それでも僕のことが大好きだと言ってくれて、帰り際に頭を撫でてくれた。本当に嬉しかった。いろんなことをお話できて楽しかったです、またいつか再会できますように。

 

そして日付が変わった今日、ヤシュウさんりきまるさんAIR-J'さんとレインボーパレードに初参戦してくる。今からすごく楽しみで眠れない。時間があったら東京流通センターで開催される文学フリマにも行ってみる予定だ。

僕は僕のことを好きでいてくれる人たちを大切にしたい。どうせもうしばらくは生きているのだから、刺さる人には刺さるような、自分にしか書けない文章をこれからも紡ぎ出していきたい。

 

 

 

いつも白黒思考で
好きなものは好き 嫌いなものは嫌い
放課後 ひび割れたチャイム
残響していた 鼓膜が破けそうだ 
アスピリン つくり笑い
不感症の涙 
クラスメート カメレオン 
はっていたバリア 
生きたふり? 死んだふり? 
ゼラチンの固まり 
ゼラチンの固まり────。

(Plastic Tree「バリア」2003年)

ユータロさんへ

僕のコメントが消されてしまったようなので、念のためこちらにも記しておきます。

 

yutaro.hatenadiary.com

 

〉筋肉とセックスだけでない知的な面もなくてはいけない

〉結局は異性愛者が羨ましくて云々

〉今どき異性愛カップルだって簡単に離婚する世の中だから

 

こんなにわかりやすく僕の過去記事から引用して、遠因かもしれないとはよく言ったものです。完全にこちらに対するアンチテーゼだと受け取りました。

 

改めて申し上げますが、ゲイの大半は同姓婚なんか望んでいません。あなたが東京でゲイの権利を声高に叫んだところで、はっきり言って当事者からはうざがられるだけです。あなたがブログでおっしゃっている内容はすべて生存バイアスであり、立派なアクティビティです。遺産相続や医療行為など、ほとんど問題にならないレアケースを引き合いに出して権利を主張するあたり、活動家たちのそれと何ら遜色ありません。

 

あなたがしきりに馬鹿にしている「ゲイの性欲」と「知性」のどちらがマジョリティなのか、東京へ来てよく確かめてみればいいと思います。

 

 

二度と僕のブログには来ないでください。

お願いします。

 

 

 

僕らの自由とは背徳で 僕らの自由とは不自由で
ただ一つを手にするために すべてを投げ捨てたりする

生きているのが辛いのは、きっと僕も同じだ

比較は不幸の始まりだと自分に言い聞かせて生きているけれど、それももうどうしようもないところまで来てしまった気がする。友達と遊んだとか、美味しいものを食べたとか、きれいな景色を見てきたとか、常にキラキラしたものを発信できる人たちが心底羨ましい。こちとら友達と遊ぶなんて月に一回あるかないかで、未だに基本的な人との距離の取り方がわかっていない。一度絡んだことがあるのに「はじめまして」とか言ってしまったりするくらい頭が悪いので、きっと見えないところで人のことをたくさん傷つけているに違いない。

 

最近の記事は辛かったことを書き出すだけのネガティブな内容に偏っている。僕だってできることならもっと明るいことを書きたい。だけど胸の内を吐き出す場所はここしかないから仕方ないのだ。人の人生相談なんて受けている場合じゃなかった。

 

ポジティブな人は画面を閉じたほうがいい。暗すぎて嫌な気持ちになると思う。

 

※ライングループで決まったお題についてはこの記事を持って回答とさせてもらいます。

 

*   *   *

 

僕は車が怖い。正確に言うと、エンジンがついたまま停まっている車の前を通りすぎるのが怖い。小学校時代のあるトラウマから、車が急発進してくるような気がして必要以上に警戒する癖がついている。

幼少期は鎌倉の家に祖父母、母、姉、自分の五人で暮らしていたが、小学一年の時に祖父がガンで身罷った。その後、元々相克の関係だった母と祖母はいよいよ修正が効かないほど不仲となり、程なくして隣の藤沢市に引っ越すことになった。母子家庭となった我が家は、当然のように母親が働きに出るようになった。

小学五年になり、自分が不登校気味になっていた頃、母親に恋人らしき男ができた。相手も子連れで、夜になると週に何度かその相手が母親を迎えに来た。行かないでくれと訴えたが、強引に家を出ようとした。慌てて追いかけ、二人が車に乗り込んだところで目の前に立ちはだかり、発車できないように邪魔をした。しかし相手が急にエンジンを吹かしたので、ボンネットの上に飛び乗って阻止しようとした。すると次の瞬間、車を急発進させてしまった。しがみついたが、右に曲がった勢いで振り落とされ、地面に頭を打って起き上がれなくなった。車に対する畏怖が植え付けられた瞬間だった。

倒れたままの僕を置いて、車は走り去ってしまった。何で、どうして、待ってよ、行かないでよ。泣き喚いて母親を呼んでも戻ってきてはくれなかった。途に倒れてだれかの名を叫び続けたことがありますか。中島みゆきのわかれうたの歌詞を、年端もいかぬ少年の頃に既に経験してしまっていた。

姉は妙に冷めていて聞き分けのいい子供だったから、僕の気持ちを理解しようとはしなかった。寂しくて心細くて、部屋に戻ってぬいぐるみをただ抱きしめた。その頃から今に至るまで、ぬいぐるみが常に僕のそばにいる。いてくれないと不安で仕方ないのだ。だから、聞き屋のときも必ず一緒に連れて行く。

 

 

その約半年後、二人が再婚するのに邪魔な存在だった僕は、親の意向で神奈川県大磯町にあるエリザベスサンダースホームという児童養護施設に預けられることになってしまった。中学生以下は一人では一歩も外に出れない閉鎖的な空間で、広大な土地をぐるっと塀が取り囲んだ、鬱蒼とした奇妙な作りだった。およそ二年半の間、僕はここで地獄のような生活を送った。

 

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(大磯駅前から見た施設の様子)

 

施設に預けられる前の約三ヶ月間、児童相談所に併設されている一時保護所という場所で生活をしていた。そこには家庭に問題がある子供や14才以下で犯罪を犯した子供、はたまた親からの虐待などで保護された子供など、様々な事情を抱えた子供たちが一時的に預けられていた。その中で僕は当時中学二年生だった義憲君という子と二人しかいない部屋で寝泊まりをしていて、ある夜、義憲君が“目隠しをして口の中に入れたものを当てる”というゲームを思いつき、やることになった。僕の番からだった。

「これは?」

人差し指だとすぐにわかった。

「これは?」

鉛筆だった。変な味がした。

「じゃあ、これは?」

義憲君がすっと立ち上がったのがわかった。そしてツンとしたきつい匂いがした次の瞬間、太い何かが僕の口の中にねじ込まれた。あっ、これは……。

目隠しを外すと、やはり義憲君のそれだった。

見上げると、それまで見たことないような恍惚の表情で僕のことを眺めていた。そのまま続けてするように頼まれ、拙いやり方で奉仕した。

その日以来、二人きりになるときは必ずと言っていいほど奉仕をした。そのうち人数が増え、最終的にヤンキーっぽい年上四人に使われていたけれど、このときは無理矢理ではなく、ここをこうしてくれとか、この辺をやってほしいとか言われながら優しくしてもらった。はっきりとゲイだと自覚したのはこの頃だった。

施設に入ってから、同じ部屋の子にそれとなくその話を出して興味を持たせ、自分からさせてもらえるように仕向けた。昼間は他の子と一緒になって僕のことをからかってきていた連中だったから、秘密を握っている気分だった。そしてそのうちの一人に奉仕しているところを他の子供に見られてしまい、ホモだオカマだと言われていじめられるようになった。キモい。ナヨナヨするな。男らしくしろ。さんざん言われた。それ以前に施設内での子供同士のイジメはとっくに蔓延していて、上級生にボコボコにされた子が逆上して包丁を振り回すなんてこともしょっちゅうだった。どこからか飛んできた椅子が自分の後頭部に直撃して失神してしまったこともあった。

 

学校も敷地内にあり、日常的に体罰がおこなわれていた。体育の授業では誰か一人でも忘れ物をしようものなら怒号が飛び、スリークッションという体罰を与えられた。全員で輪になって手を繋ぎ、「いちにっさん」と掛け声を出して「さん」のときに膝を曲げてしゃがまないといけない過酷なものだった。全員が同じタイミングでできないとやり直しで、それを延々30回くらい繰り返すのだ。あまりにもしんどいので、泡を吹いて倒れる生徒もいたくらいだった。その他にも校庭を4時間走らされることもあったし、施設内の坂道を後ろ手で組んでしゃがみ、アヒルのような体勢で登るという体罰もあった。

施設の職員に訳のわからない言いがかりをつけられ、殴られて鼻の骨を折る子供もいた。女子の体操着がなくなったとかで、男子寮にいる全員が疑われ、三時間正座をさせられることもあった。自分宛てに届いた手紙は開封して渡され、プライバシーも何もあったもんじゃなかった。

 

全てが狂っていた。

 

中学二年の一学期の終業日に、仲良くしていた女子二人と山の上にある礼拝堂に集まって、施設を脱走する計画を練った。何を持っていく?どうやって家に帰る?電車に乗るお金はどうする??すると麻菜美がこう言った。

「和子ちゃんの財布にいくらか入ってると思うから、あたし引っこ抜いてくるよ」

和子ちゃんは当時高校生だったから、外に出ることもお金を持つことも許されていた。しかし中学生の僕らは個人でお金を所持することは一切許されなかった。だから彼女の財布から電車賃をくすねてきてもらうことにしたのだった。

お金を千円ずつ分けて、それぞれ荷物を取りに一旦寮へ戻った。その日のうちに出ることになり、仲の良かった子に手紙を書いて渡した。そして荷造りをしてこっそり抜け出し、外へ抜けるトンネルの入り口に差し掛かった辺りで職員が走って追ってくる足音に振り返った。

 


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(実際の施設内にあるトンネル、写真は出口側から)

 

「麻菜美!後ろっ、来てる!!」

「早くっ、早く!!」

全力疾走でトンネルを駆け抜けた。後方で走っていた和美の足がもつれて転んでしまい、事務員の女に捕まってしまった。急いで戻って麻菜美と二人で飛び蹴りをして引き離そうとしたけれど、もう一人別の男の職員が8馬身差くらいの距離で僕らに迫っていたので、諦めて二人で逃げた。

「おいっ!待てぇっ!!」

ロータリーを渡り、震える手を抑えながら券売機で切符を買った。改札に入る手前で捕まりかかったが、麻菜美が噛ませ犬となり、僕のことを先に行かせてくれた。

「そのまま行って!平気だからっ!!」

職員と取っ組み合いになる彼女を横目に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、目に涙を溜めて走った。

「ごめん!もう戻って来ないかもしれないけど、ありがとう!絶対、忘れないから!!!」

 

タイミングよく東京行きの電車が来てくれた。飛び乗ったけれど、なおも職員が僕を止めようとこちらに向かって走ってきていた。

(早くっ、早く閉まってくれっ……)

職員が階段を降りきる直前で、ドアが閉まり、そのまま電車はゆっくり動き出した。よかった、助かった……。走り出す電車になおも駆け寄ってきた職員が、逃がしてたまるかとばかりに鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。あのときの彼の表情を、僕は一生忘れることはないだろう。

 

そしてあの日以来、麻菜美とは一度も会っていない。

 

*   *

 

それから十年後の夏。

ある日、アルバイトの休憩時間にロッカーへ戻ると、けたたましく携帯電話が鳴り続けていた。

「もしもし!伸二が自殺したって!!」

同じ施設にいた中で唯一連絡を取っていた友人からの訃報だった。伸二は同じ施設にいた同級生なんだけど、中にいたときもそこまで仲良くしていたわけではなかった(むしろいじめられていた)から、僕の胸中は複雑だった。

詳しい経緯は知らないけれど、施設を出てから付き合っていた彼女と長年同棲をしていて、ほとんどヒモのような生活を送っていたという。生活が行き詰まっていたのか、どこかの資材置き場から鉄線だかホイールだかを友達数人で盗み出そうとして捕まってしまい、それ以前の軽犯罪履歴があまりに多すぎたため、そのまま三年の実刑が確定。その判決に絶望した彼は拙速に遺書をしたため、拘留所の中でシーツを引き裂き、首を吊って命を絶ってしまったのだそうだ。

「自分ばかりみじめな思いをしてきた。せめてもう一度チャンスをくれたら絶対に更正できたのに」

絶望の淵で彼が最後に綴ったメッセージは、こんな内容だったと後から聞かされた。たった三年の実刑判決で死ななければならなかったなんて、あまりに酷い。どうにかならなかったのだろうか、今でも考えてしまう。

 

*   *

 

あの頃あの施設で同じ日々を過ごした彼らは今、幸せになっているだろうか。僕は未だに過去を肯定できずにもがき苦しむ毎日だ。過去に縛りつけられて、一寸たりとも身動きが取れずにいる。この足枷が外れることを願って必死に歩いているけれど、どうしても外すことができないでいる。高校のとき三年生に進級できないことが決まり、泣きながら帰ったあの日のこと。媚薬を盛られて殺されかけた、いつかのあの男のこと。全部抱えて生きてきたけれど、どれもが煤のように心にこびりついて真っ黒なままだ。リセット出来ない過去に、今この瞬間がどんどん飲み込まれていく。そしていつか過去に先を越され、未来も殺されてしまうのかもしれない。

 

生きていて、ごめんなさい。

生まれてしまって、すみませんでした。

 

 

 


拝啓 忌まわしき過去に告ぐ 絶縁の詩
最低な日々の 最悪な夢の 残骸を捨てては行けず ここで息絶えようと
後世 花は咲き君に伝う 変遷の詩
苦悩にまみれて 嘆き悲しみ それでも途絶えぬ歌に 陽は射さずとも

(amazarashi「季節は次々死んでいく」2015年)