聞き屋のたぬ吉

矛盾の総和が人生だ

【大前粟生】やさしさで胸が張り裂ける「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

僕はときどきタイトルや表紙だけを見て小説を購入することがある。

 

たとえば筒井康隆の「旅のラゴス」は完全にジャケ買いだった。この表紙を見ただけでものすごくワクワクした気分になって、旅への憧れが止まらなくなってしまうのだ。

 

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

 

 

 

畑野智美の「国道沿いのファミレス」はタイトル買いだった。なぜか分からないけれど、「国道」と「ファミレス」いうワードが昔から好きで、思わず手にとってしまっていた。

 

国道沿いのファミレス (集英社文庫)

国道沿いのファミレス (集英社文庫)

  • 作者:畑野 智美
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: 文庫
 

 

 

大前粟生の「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」も同じようにたまたま本屋さんで見かけて、完全にタイトルだけで購入してしまった。僕自身ぬいぐるみが大好きということもあるけれど、なぜか読む前から涙ぐんでしまうような、今までにないくらい不思議な惹かれ方をしたタイトルなのだった。

 

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

  • 作者:大前粟生
  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: 単行本
 

 

──────────

 

主人公の七森は大学でサークルに入っている。ぬいぐるみ好きの人が集まるサークルで、略して「ぬいサー」。メンバーはやさしい人たちばかりで、基本的に他人に干渉してこない。七森もあまり他人と深く接しようとしない。それは人にやさしくしようとしてたどりついたものだった。それなのに、無関心であると思われてしまうことが悲しくて、七森は傷ついてしまう。

 

小柄で中性的な七森は恋愛感情というものがよく分からず、周囲の人たちがなぜそんなにこぞって恋愛に勤しむのか不思議に思っている。七森は人を好きになるという感覚がどういったものなのか分からない。でも、誰かを好きになってみたいと、ずっと思っている。

 

あるとき七森は、白城という女友達に告白をする。

 

「ねえ、ぼくら、……付き合ってみない、ですか??」

「え……七森、わたしのこと好きなの?」

 す、好き! って、いいたい。

 でもその好きは友だちとして好き。

 だから、好きっていったらうそになる。

 恋愛がよくわかんない。そのことなんか、きっと白城にはばれている。それなのに白城はいってくれた。

「いいよ、いまだれもいないし」そう、白城はいってくれた。白城はなんてやさしいんだろうと七森は思った。

 

けれど、白城のマンションに泊まることになって、そういう流れになったとき、七森は怖くて怖くて逃げ出したくなってしまう。

 

 ベッドに入る。いいにおいすぎる。手が、繋ぎあいそうになる。これは、セックス、する流れ?

 流れ、なんだろうな、と感じる。

 こわい。

 性欲はある。でも、セックスって、暴力みたいだって、七森は思ってしまう。クラスのなかでだれがかわいい? だれとヤりたい? 高校のとき男子たちがいってたことに、加担してしまうように思ってしまう。エロ本とか、AVとか……女のひとが見た目でしか判断されてないものが、したことのないセックスを想像するときに思い浮かんでくる。そういうの、嫌だ。ひとりで、発散できるし……勃起してる……しないで……こわいよ、僕は、性欲のこと、僕が……無理。ひとりでだいじょうぶなら僕は、ひとりでだいじょうぶでいたい。七森は白城から手を離した。

 

そうして七森はすぐに白城にふられてしまう。けれど、七森はふられてほっとする。嫌だ、とも言わないし、なんで? と理由を訊ねることもしない。相手のことを思えば思うほど、七森はどんどん動けなくなっていく。

 

 ごめん

 ラインを送ろうとして、でも、ごめんとかいって楽になるのは自分じゃないかと七森は思った。ごめんということばを送って、こっちこそごめん、を引き出す? それで白城も楽になる? その想定をする傲慢さによけいしんどくなった。考え過ぎだ、と自分でわかっているけれど、いまは沈みたい。

 

七森の気持ちは、とてもよく分かる気がする。ごめんという言葉は、たぶん多くの場合「こっちこそごめん」を引き出すために使われている。だから、本当に謝りたいと思ったときは、簡単にごめんなんて言えないはずだ。その葛藤を、考えすぎる故の苦しみを、ちゃんと自分ひとりで引き受けなくちゃいけないのだと僕も思う。

 

七森はやさしい。やさしいから、何から何まで全部自分が引き受けようとしてしまう。自分が苦しむことでだれかが救われるのならそれが嬉しいのだと、七森は本気で思っている。ぜんぶ抱きかかえて消滅できたら、という文章を読んだとき、僕はなぜか昔観た「トーチソング・トリロジー」というゲイ映画のラストシーンが思い起こされた(すごくおすすめなのでぜひ観てみてください)。

 

 僕が、他のひとの分まで、加害者性とか、生きづらさとか、吸い込めたらいいのに。それでパッと、こわいもの、傷つけてしまうものをぜんぶ抱きかかえて消滅できたらなあって、甘い夢みたいに思う。

 

 僕ら、人間じゃなければよかった。心とからだとことばが、こんなふうにずらすことのできない、ひとつのものだったら。ことばと社会といち個人、いろんなリアリティが等しくて、ずれがなくて、アイデンティティとか意見のちがいが発せられたことば通りに単純だったらいいのに。そしたらなにもかもさくさく進めて終わらせることができて、またすぐはじめることができるのに。

 

人のことを思うから、人に全部が言えなくなって、だからぬいサーの人たちはぬいぐるみに向かってしゃべり続ける。苦しいこと、しんどいこと、今日あった嫌なこと全部、ぬいぐるみに聞いてもらう。そうすれば健康でいられる。そうすれば、誰も傷つくことがない。みんながやさしいままだから、みんなが苦しいままでいる。

 

──────────

 

僕は学生時代、スーパーラヴァーズというブランドの服が大好きだった。九〇年代は個性派のファッションがものすごく流行っていた時代で(知ってる人は知ってるとおもう)、制服のブレザーとかも鋲を打って改造したりなんかして、中学の頃からバカみたいに中性的で目立つ格好をしていた。

 

そのブランドにはケンという名前のパンダのキャラクターがいて、僕がちょうど高校に上がるとき、そのぬいぐるみを服と一緒に祖母に買ってもらった。嬉しくて嬉しくて、毎日学校に持って行っていた。お昼休みも、体育の授業もずっと一緒だった。当然しゃべりかけもした。かなりの変わり者だったから、仲良くしてくれる子とそうじゃない子ははっきりと別れていた。


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あのとき周囲は僕の扱い方がまるでわからないというような様子だった。大人になってから聞いた話だけど、当時の自分はいつ誰を刺してもおかしくないような、御しがたく猟奇的な雰囲気がうっすらと漂っていたらしかった。

 

自分でもちょっと自覚があった。だからこそいつも近くにぬいぐるみがいたのだと思う。やさしくなりたいと強く願っていたけれど、どうしてもうまくいかないから、ぬいぐるみに自分のことを制御してもらおうとしていたのだろう。実際、ケンがいなくなったあとも、僕が買うぬいぐるみは(というよりも、ぬいぐるみのほうが僕のことを選んでくるのだけど)やさしい表情の子たちばかりなのだ。

 

「スヤァ……」
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そういえば、女優の篠原ともえはモノとしゃべることができるらしい。花とか、ミシンとか、相手がなんと言っているのかが分かるのだという。それをバラエティ番組で話すと、必ず誰かが「んなわきゃねーだろw」とバカにするのだった。

 

でも、僕は彼女が嘘を言っているとは思えない。純粋にやさしい人なんだろうなぁと思う。きれいで、品が良くて、頭のいい人だと思う。シノラーの頃とぜんぜん違うとみんなは言うけれど、そんなことないって思うのは自分だけなのだろうか。

 

youtu.be

 

 

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の七森の心情は、彼らの世代全体に共通するものがあるのかもしれない。個の時代に生まれた故なのか、今の若い人たちは本当に礼儀正しくて、気づかいができて、他人に極端に甘えることがない。彼らは人に迷惑をかけないことを第一に行動しているから、遠慮が強いのだろう。とても自立している世代なのだ。

 

この小説はやさしさであふれている。だから窒息しそうになる。やさしさで胸が張り裂けそうになる。むしろ何周もまわって、やさしさが暴力的にすら感じられる。やさしい気持ちが辛くて辛くてしかたない。こんな読書体験はなかなかできるものではないと思う。

 

やさしさを突き詰めていくことは、つまりは涅槃原則のような悟りを開く行為に近いのかもしれない。そう、彼らはまさに「さとり世代」なのである。

 

「え? おまえゲイ?」ヤナがそういうと場が笑う。

「それこそ、どっちでもいいだろ」

「やっぱゲイなんやー」

 ちがうって、と七森が笑いながら冗談みたいに否定することがきっと望まれている。場が盛り上がるから。

 

 男が手を洗いながら「きしょくわる」といった。

 七森はえずいた。その男のことを見れない。自分らのテーブルに戻るのもこわい。あの男も不良たちもヤナも、同じようにこわい。僕ら、同じところで育ってきた。悪いのはあいつらそのものじゃなくて、あいつらを作った環境なんだってわかってる。でも、でも……。七森は廊下に立ち尽くして喧騒を聞いた。

 喧騒はどんどん喧騒になれ。ことばに戻るな。意味になるな。煩わしい音のままでいろ。

(大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」2020年)

 

 

※トーチソング・トリロジーについて書かれたブログがあったので、貼っておきます。

kimageru-cinema.cocolog-nifty.com

 

youtu.be

【小説】女の顔は請求書

 今しかない。そう思い立った二週間後、私はついにクリニックの一室で担当医と向かい合っていた。

 

 デスクに比して少し大きめのPCモニターが目の前にあり、そこには360度どの角度にも自在に動かすことのできる私の顔面が立体的な遺影みたいにして貼り付いていた。まずここを切り開いて弓なりに削って、次にこれを挿入しましてからさらにこちら側にこれを重ねて反対方向に引っ張り上げて、この形状を保ったまま固定させて最終的にこのように縫合致します。縫い目は内側に入り込むような形になりますから手術痕はほとんど目立ちません。最初にお伝えしたとおりダウンタイムは──。

 

 初回のカウンセリングで聞いた手術の手順がもったいつけたように繰り返される。料金から術後のアフターケアの内容まで含め、たっぷり小一時間。なにしろ初めてのことで不安でいっぱいです、だからしっかりと聞いていますよというような面持ちで何度もわざとらしく頷いてやる。本当は不安な気持ちが云々というよりも、いいからさっさと始めてくれよと思っていた。顔には出さない。


「では本日はこのような流れで執刀いたします。全力を尽くしますので、どうぞ宜しくお願い致します」


 担当医はそれはそれは恭しく頭を垂れ、「生まれ変わりましょう」と言って握手を求めた。三桁も支払うのだから当然と言えば当然だが、慇懃無礼とはこのことかと私は思った。思っただけで顔には出さない。仕上がりに影響が出ないとも限らないから、私は差し出された両手をしっかと握りしめ、深々とお辞儀をする。

 

 手術台に乗せられるといよいよ腹をくくった。大丈夫ですよー、リラックスしてくださいねー、と女医。カチャカチャと何かの金属の音が聞こえてきたところで顔を覗き込まれ、全身麻酔のためのお約束のカウントダウンが始まった。

 

「それじゃ今から一緒に5秒数えてくださいねー、ハイ、5、4、3──」

 

 3のところで、私は意識を失った。

 

   *

 

 マスクがじょじょに品薄になりだしたのは、たしか一月の四週目あたりだったと記憶している。中国は武漢市に端を発した疫病の感染は瞬く間に世界中へと広がり、この国も例外ではなかった。

 

 私は最初にその報道を目にしたとき、何かただならぬ気配を感じて1箱50枚入りのマスクを念のため3箱買い込んだ。職場でもマスク不足は話題になり、男性社員の何人かが「誰が買い占めてんだよマジで」と愚痴をこぼしているのを何度も耳にした。すいませんそれ私です、などと言い出せるはずもなく、本当困りますよねぇなんてニコニコしながら内心ざまあみろと思っていた。

 

 男はいつもこういうところが鈍くてバカだなぁと思う。ちょっと考えれば分かりそうなことなのに。想像力が足りないのもそうだけど、きっと日頃から「生活」に対する意識が総じて低いのだろう。

 

 そうして二月に入るとコンビニやドラッグストアから完全にマスクが消えた。私はその時点で預金通帳を穴が開くほど確認し「お直し」を決意した。国民全員が顔を晒さず外出を自粛しているのだ。ドサクサに紛れるなら今しかないと思ったのである。

 

 結果的に私の判断は正しかった。正確には正しかったというよりも、決断するのが人一倍早かったのが功を奏したようだった。私は街中からマスクやティッシュペーパーなどが消えた直後、光の速さで4件のクリニックにカウンセリングを予約した。風が吹けば桶屋が儲かるとはよく言ったもので、やはり私と同じことを考えついた人間はごまんといたらしく、医師の話ではあと三日遅かったら施術が三ヶ月後とかになっていたようだった。

 

 手術は無事に成功した。今のところ順調に腫れは引いているし、どこかの神経の麻痺が残るといった後遺症もなかった。ただ残念なことに私の勤めていた会社は自粛の影響で業績が著しく悪化し、派遣であった自分はあえなく雇い止めとなった。不幸なことは重なるもので、恋人(妻子持ちなので正確には不倫)から長文でとんでもない内容のラインが送られてきて私はのけぞった。

 

 冷静に聞いてください。

 

 まず単刀直入に言うと、別れてほしいです。急なことでごめんなさい。実は会社の経営が傾いていろいろヤバいことになってて、今後の身の振り方とか考えなくちゃならなくて。それにここ数ヵ月妻の体調が悪かったりで、ちょっとやらなきゃいけないことが多すぎて精神的な余裕がなく、会ったりするのが難しいのです。すみません。

 

 それから、このタイミングでこんなことを言うのはとても酷なのは分かってるんだけれど、本当は僕、他にも体の関係を持っている人が何人かいました。そのほとんどが女性ではなく男性なんです。ずっと前から興味があって、それがちょっとしたきっかけで一気に開花してしまいました。気持ち悪いですよね。知りたくなかったって思いますよね。でもあなたにはどうしても伝えなきゃいけない理由があるんです。

 

 実は僕自身も体調をくずしていて、コロナかと思って病院でいろいろな検査をしたところ、HIVに感染していることが判明しました。いつから感染していたのか、またその経路についてなど詳しいことはわかっていません。ただあなたとは頻繁にセックスもしていたので、一度念のため病院に行ってみてほしいのです。

 

 今はただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にごめんなさい。

 

 

 私はこれを見た瞬間、怖いとかおぞましいと言った感情はまったく湧いて来ず、たがが外れたように可笑しくて可笑しくてしょうがなかった。何がそんなに可笑しいのか自分でも分からなかったが、自室でただ一人ずっと大声で笑っていた。そのときはなぜかそうすることが正しいように思えたのだ。

 

 正直に教えてくれてありがとう。気持ち悪いなんて思ってないです。いいんです別に、男と男がとか、そんなのはどうでも。だってそういう時代でしょう。誰も悪くないと思う。ただね、アレなの、そうなってくると、そうなっちゃうと話は別なの。偏見云々とかそういうんじゃないの、実害。いやまだはっきりとはね、そう、はっきりとどうこうなったわけじゃないからあんまりね、言いたくはないし言うべきじゃないのは分かってる。ただその何て言うか、ね、フフッ、フフフフッ。

 

 そうそう、私も無職になっちゃった。派遣切りで。

 

   *

 

 私はこのところ毎日鏡を見て過ごしている。マスクもじきに外せるようになるだろう。ずっとコンプレックスだったから、若いうちに思いきってやっちゃってよかったと思う。全然まったく、後悔とかしていない。

 

 全財産をはたいて手術にあてたから貯金はほぼゼロになった。そして無職になった。これはちょっとマズイ。でも正直そこらへんの女よりは全然可愛くなったし、そもそも私は女だから最後は差し出すもの差し出せばどうにでもなっちゃう日本マジ万歳。

 

 えっ? コロナが収束したあと、絶対に面白いことが起こるって? 

 

 奇遇ですね、実は私もそんな気がするんですよ。

 

(了)

最近のあれこれ

どうもたぬ吉です、お久しぶりです。

 

今年に入ってからはずっと小説ばかり書いていまして、こちらのほうはずいぶんとサボり気味でした。特段書くようなこともないんですけど、気が向いたので雑記として更新します。

 

──────────

 

村田沙耶香さん】

 

かねてよりファンだと公言していますが、1月下旬に直接お会いする機会がありました。

 

というのも、けして一対一というわけではなくて、合評会のゲストとして来てくださっていました。その前の月に上梓されたばかりの「生命式」が課題図書だったのですが、ご本人を前に感想を述べるのはものすごく緊張しました。

 

生命式

生命式

 

 

サインまでいただいてしまった(本名なのでアナさんで伏せてますw)。字が丸くてかわいい……。

 


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飲み会では途中からお隣に移動して、小説についていろいろとお話を聞かせてもらいました。なぜか山崎ナオコーラさんの話になって、と言っても彼女の著書は三冊しか読んだことないんですけど、以前読んだ主人公がテレビ局に勤務してる小説(すいませんタイトル忘れました汗)を読んだとき、観念というか筆者自身が言いたいことを小説にぎゅうっと詰め込んじゃってる感じがした、という話をしたら、「私は小説で誰かを救うことはできないから、それをやろうとしている人はすごいなぁと思う」と村田さんが話していて、それがすごく印象的でした。

 

言葉を選んではいたけれど、村田さんは「小説でそれをするのは違う」ということを言いたかったのだろうなと、オイラは勝手に解釈しました。小説で誰かを救うことなんてできないし、しようとするとどこか説教くさくなる。「こういうふうに読みなさいよ」という筆者の押し付けになって、それは結果的に読者を信頼していないことになるのだろうなと。

 

宮原先生も言ってたけど、村田さんの書く小説は最終的に「真空」になることを怖れないから強いらしいです。村田作品は近代文学の否定であり、戦後それができたのは彼女と三島由紀夫くらいじゃないか。ただ、三島の場合は最終的に「真空」になることを怖れて、そこに天皇とか何とかってごちゃごちゃ詰め込もうとするからそれがいただけない、とも解説されていて、解釈に幅を持たせるっていうのは小説を書く上でとても大事なことなんだなぁと勉強になりました。

 

 

【新型コロナ】

 

国民一人あたり10万円が支給されるそうで。

 

給付金に絡めてラジオで流れてた曲が面白かったので載せてみます。オイラはまったく興味ないけど、現金支給後にSNSで流したら案外流行るかも分かりませんねw

 

立て替え払いの 月末が

またきて あゝ やんなっちゃう

あんたはいい男 私のつらさがわかるひと

さっそく振込みありがとう

あなた好き好き お金はもっと好き

もっともっと好きよ アッハハン タコ

 

(順弘子「さっそく振込みありがとう」1984年)

 

最後の「あタァコォ~」のところが何回聴いても笑ってしまう……w

 

 

【執筆活動】

 

五月に参加する予定だった文学フリマ東京ですが、コロナの影響で中止になってしまいました。

 

bunfree.net

 

新刊「サブスク人間」を持ち込む予定だったのでとても残念です。ただ、ちょっと慌てて書いたフシがあったので、これを機にもう少しブラッシュアップして九月の大阪で頒布したいと思います。タイトルのとおりきょうび流行りの「サブスクリプション」にハマっていく女子大生のお話で、かなりラディカルな内容になっています汗

 

一部スクショを。

 

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サブスク人間

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サブスク人間2

 

表紙のイラストは今回も長岡真李和さん。まじめにエログロ満載の小説なので表紙もそれなりに……。今のところネット上で公開する予定はありませんので、気になる方は次回のイベント会場に足を運んでくださいw

 

そういえば先月「タピオカ禁止法」を合評会に提出したところ、後半のドタバタ感が筒井康隆の初期の疑似イベントSFに似てるとか、漫画っぽいセリフが舞城王太郎っぽいとか、いろんな意見をもらえてすごく勉強になりました。ただ、圧倒的に多かったのは、「作者が何を言いたかったのか分からなかった」といった意見でした。あとは人物造形が足りていないとも。たしかにその通りかもしれません。

 

でも、自分の中でここは成功したなと思えた部分がひとつだけあって、それは読み手によって「どういう物語として読んだか」がまったくバラバラだったことです。たとえば講師の先生の場合「行列批判小説」として読まれたそうで、講評文には前半部分の行列のくだりだけで最後まで書き切ってしまってもよかったのではないか、とありました。

 

女性の方だと「恋愛小説」として読んだ方が多かったようで、主人公はもっと茜さんを追っかけてもよかったんじゃないか、結局茜さんはその後のさまざまな事件に関わっていたのかどうかとても気になった、といった、「主人公と茜の関係」に着目した意見が目立っていました。

 

たしかにいろんな要素は詰め込みましたが、どれを取っても「これを主張したかった」というものはなくて、何ならタピオカを題材にしなくてもこういったお話は書けてしまうと思います。主張、とはまた違いますが、最後は笑ってほしかったというのは確実にありますw

 

noteのほうに全文掲載しましたので、未読の方はぜひ^^

 

note.com

 

 

【読書】

 

最近読んだ小説をいくつか。

 

高山羽根子首里の馬」 ★★★★☆

 

新潮 2020年 03 月号 [雑誌]

新潮 2020年 03 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: 雑誌
 

 

沖縄が舞台の琉球競馬などが出てくるちょっと変わったお話で、すでに今年の三島由紀夫賞候補にもなっています。

 

www.nikkansports.com

 

主人公の未名子は海外にいる「孤独な人たち」に向けてPCからクイズを出題する仕事をしているんだけど、彼らの置かれている状況が特殊すぎて、その背景には一体何があったのだろうとものすごく想像力をかき立てられます(相手は海底や戦地や宇宙にいて、シェルターの中から未名子とスカイプのようなもので通話をしている)。

 

個人的には未名子の雇い主・カンべ主任の人柄にとても惹かれました。たぶん作者の高山さん自身がこういう人物を理想としているのだと思われます。

 

「もちろん眼鏡でも、スニーカーでも」

 と穏やかに笑うカンベ主任のいいかたには、あまり必死につなぎとめようとする意図は見えず、かといってほかに代わりはたくさんいるんだと突き放すような感じもなかった。

 

 すべての攻撃性から慎重に距離を置いたカンベ主任の言葉は、それを聞いているだけでも未名子にとって、とても安心ができるものだった。

 

 

村上龍「MISSING 失われているもの」 ★★★☆☆

 

MISSING 失われているもの (村上龍電子本製作所)
 

 

約五年ぶりの長編小説。自分が読んだのは新潮の1月号だったけれど、もともと自身が編集長をしているMMJのメルマガとして会員に配信されていた小説らしいです。なので文章の構成がふつうの小説とちょっと違っていて、それが新鮮でもありました。

 

実際の作者の妄想かな? と思わせるような文章が何カ所も出てくるので、全体的に私小説っぽい内容になっています。

 

「そうだ、その、ひょっとしたら、ということだ」

 猫は、何も発信していないのかも知れない。おそらくリフレクトしているのだ。わたしが思っていること、考えたことが、猫に反射される形で、わたしに返ってきている。猫の言葉ではない、わたしの言葉なのだ。

 

「やっと気づいたか。よくあることだよ。別に、おかしくなったわけじゃない。無意識の領域から、他の人間や、動物が発する信号として、お前自身に届く。とくに、思い出したくないこと、自身で認めたくないこと、意識としては拒んでいて、無意識の領域で受け入れていることなど、そんな場合に、お前は、誰か他の人間や動物や、あるいは樹木、カタツムリやミミズでもいいんだが、それらが発する信号として、受け取って、それを文章に書いたりしてきたんじゃないのか。表現者の宿命だ。表現というのは、信号や情報を発することじゃない。信号や情報を受け取り、編集して、提出することだ」

 

 

・砂川文次「臆病な都市」 ★★★☆☆

 

群像 2020年 05 月号 [雑誌]

群像 2020年 05 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: 雑誌
 

 

鳧(けり)から伝染すると「噂されている」正体不明の感染症についてのお話。まるでコロナの蔓延を予見するかのようなタイムリーな内容で、読みながらびっくりしました。首都庁内のややこしい人間関係や小競り合い、玉突き人事、関係者同士の責任のなすり合いなど、セリフも含めて描写がものすごくリアルです。

 

砂川さんの小説を読むのは「戦場のレビヤタン」以来二作目なんだけど、彼の文章は硬派というか、いかにも男の文章といった感じで正直読みにくいです。ただ、その分内容で読ませてくる感じなので、ハマる人にはハマる作家さんなのだと思います。

 

 大体誰にでも程度の差こそあれ、気分が沈むことはあるし働きたくなくなることはある。わざわざこれに小難しい学術用語を冠して病気にする必要なんてない。本当はこれらを許容できないシステムにこそ欠陥があるにもかかわらず、それでも組織は、地域はこれを守り、擁護する。なぜならば不自由と安心と安全が担保されているから。

 

 機能や仕組みは、最大公約数から外れない限りにおいては、とても快適なのだ。ごくごく善良な市民や素朴な国民はここから外れないための所作を身に着けている。それ故規定通りに振る舞わない、振る舞えない何かを目にしたとき、自分の土台そのものがひどく揺るがされているような不安に陥ってしまう。自らが従うルールからの逸脱は、そのまま自身への攻撃と錯覚される。少なくとも、口惜しいながらもKは、自分がそう感じてしまうことがあった。

 

 

笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」 ★★★☆☆

 

タイムスリップ・コンビナート (文春文庫)

タイムスリップ・コンビナート (文春文庫)

  • 作者:笙野 頼子
  • 発売日: 1998/02/10
  • メディア: 文庫
 

 

高山羽根子さんに作風が似ている、と誰かが書いていたので読んでみましたが、結論から言うとまったく似ていませんでしたw

 

マグロから電話で起こされて「今すぐ出掛けなさい」と急かされ、JR鶴見線の海芝浦という駅に一人で出掛けていくというとてもシュールなお話で、寝ぼけてる人の頭の中みたいにまとまりのない文章が延々と続いていきます。バブル崩壊直後の1994年に書かれたということもあって、文字からは不景気に突入したばかりの世の中の、潮が引いたあとの乾いた砂浜みたいな独特な手触りが伝わってきました。

 

生まれ育った四日市のコンビナートと、海芝浦から見える川崎のコンビナートの風景が重なることからこのタイトルになったのでしょう。マジックリアリズムが多用されているあたり、「百年泥」とかが好きな人は面白く読めると思います。

 

 ──……イラッシャイヨ……。

 耳を疑った。電話が混線したのか、ふいに、あまりにも懐かしい声が聞こえたから。いや、懐かしいはずはなかったのだ。それは今まで一度も聞いた事のない声だったから。つまり、マグロが呼んでいるのだ。初めて、マグロが声を出した。しかも……来いと言っている。海芝浦へ。いや、だが冷静になれば、イラッシャイヨというその言葉が、海芝浦にという意味なのかどうかは判らないのだった。あわててマグロに向かって語りかけた。

 

 

 ……サラリーマン風の賢そうなおやじ達が、どんどん改札を横切ってこちらのホームに入って来る。東芝は休みのはずだったのに、二時間もあるのに、世間は不況のはずなのに彼らは異様に元気だ。夏なのにコート、それもバーバリーアクアスキュータムではなく、国産の懐かしいやつじゃないか。エリートなんだろうか。「十七分ですか」、という声が聞こえる。おやじの数はもう五百人には達している。おやじの上におやじが肩車をして、まるでホラーコミックで読んだ兵隊さんの幽霊の行進みたいだ。おやじひとり分のスペースに五人で重なっている。その上に彼らの会話にはリストラという言葉がどこにも出て来ない。そうか、彼らこそレプリカントだ。

 

 

今は「御社のチャラ男」と「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の二冊を同時に読んでいるのですが、どちらもかなり面白いのでおすすめです^^

 

御社のチャラ男

御社のチャラ男

  • 作者:絲山 秋子
  • 発売日: 2020/01/23
  • メディア: 単行本
 

 

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

  • 作者:大前粟生
  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: 単行本
 

 

 

【映画】

 

今年に入ってから映画館で観たのは以下の5作品。ネタバレ含みます。

 

・パラサイト 半地下の家族 ★★★★★

 

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貧乏な一家が金持ち一家を乗っ取るお話。前半はコミカルな入りなのが一転、後半は一気にシリアスになって、その展開の速さにものすごくドキドキしました。主人公の男の子もかっこいいし、韓国映画でここまで面白いと感じた作品は初めてでした。

 

 

メイドインアビス 深き魂の黎明 ★★★★☆

 

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母親を探すために「アビス」と呼ばれる奈落の底に降りていくお話。アニメのほうは本当に心臓に悪いくらいグロテスクで、かなり観る人を選ぶと思います。怖かったけど見応えは十分。手で顔面を覆いつつ、指の隙間からしっかり観てほしいですw

 

 

・犬鳴村 ★★☆☆☆

 

youtu.be

 

久々の和製ホラーだったので期待して観に行きましたが、結論から言うとなかなかひどかったです。恐がらせたいのか笑わせたいのかよく分からないシーンが多くて、特になんにも悪いことしてないのに夜中に呼び出されて電話ボックスで溺死させられちゃう男の子がいて、ものすごくかわいそうでした。いやこの二人ちゃんとトンネルの前で引き返してたじゃん!w ってなって、耐えられませんでしたw

 

 

僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング ★★★☆☆

 

youtu.be

 

これは内容がどうのというよりも、4DXがすごかったです。座席が浮いたり前後に傾いたり、風とか煙とか水しぶき、果ては首のあたりから熱まで出てくる仕掛けでUSJかと思いました。そのせいでストーリーはほとんど覚えていませんw

 

 

スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 ★★★★☆

 

youtu.be

 

今回は千葉雄大が主役として登場しています。前作もなかなか面白かったので期待していましたが、今作もちゃんと面白かったです。成田凌ってものすごく演技うまいですね。若手俳優の中ではたぶんダントツの演技力なんじゃないかと思います。ただ、前作と違ってスマホを落としたこと自体は本編とあまり関係がなくて、そこがちょっと不満ではありました。

 

 ──────────

 

以上、雑記でした。

 

また気が向いたら更新しますね^^

秀吉「敗者の行進」

秀吉の新曲がYouTubeにアップされていて、夜中なのに一気にテンションが上がった。

 

大好きなのに、最近全然聴いていなかった。

amazarashiにハマる前はずっと聴いていたはずなのに。彼らのこの感じ、すっかり忘れていた。バカだなぁ、自分。

 

 


秀吉「敗者の行進」MV

 

 

秀吉の存在を知ったのは、もうかれこれ八年くらい前だろうか。たしか「信じなきゃ」という曲がYouTubeでレコメンドされていたのがきっかけで聴くようになった。群馬県出身のスリーピースロックバンドで、メジャーデビューしているのかどうかそのあたりのことは詳しく知らない。ぶっちゃけてしまうと、音楽性云々以前に、僕はボーカルの柿澤秀吉さんのことがめちゃくちゃタイプなのだw

 

 


秀吉/信じなきゃPV

 

 


秀吉 「花かざぐるま」 PV

 

声も好きだし、柿澤さんのやわらかい雰囲気も、繊細なのに芯のあるスタウトな歌詞も、楽曲はいいのに全然売れてないところも、何もかも好きだ。来年こそはライブに行きたい。

 

年明け二月には三年ぶりにアルバムが出るらしい。楽しみすぎる。

 

 


秀吉 ニューアルバム「ひかり」WIZY限定セットで予約受付!

 

 

よかったらぜひ聴いてみてください。

よろしくお願いします^^

【綿矢りさ】対極の同性愛「生のみ生のままで」

僕は書評が苦手だ。書評が苦手というよりも、何かを評するという行為そのものが苦手だ。それは要点をうまくまとめ上げ、かつ読み手にその対象に興味を持ってもらえるよう誘導するのが極端に下手ということでもある。

 

そもそも文章を書くこと自体嫌いじゃないが得意ではない。その証拠に学生時代、国語の成績が飛び抜けてよかったわけでもなければ、読書感想文などのコンクールで賞をとったというのでもない。自分は文章が得意なのだと勘違いできるほど誰かに褒められた経験がないのである。ゆえに、何を書いていても自信が持てないのだ。

 

ただ、本を読まないのに書く文章だけが突出してうまい、なんてことは絶対に有り得ないので、研鑽を積む意味でも日々の読書は欠かせない。自信がないからこそ他人の、とくにプロが書いた文章に積極的に目を通すのである。書くべきことと書くべきでないことの別を、読書という体験から感覚的に学びとろうとしているのだろう。

 

 

ちょっと前の話になるけど、「あなたのブログは有料記事として読んでもらえるんじゃないか。noteなどで書いてみてはどうか」という、身にあまるような感想をメールしてくれた人がいた。舞い上がって自室でひとり小躍りしてしまったが、もしもそう感じる人が複数いるのだとすれば、それは僕の内側から発生する「誰かに何かを伝えたくなったときの熱量」が他の人よりもほんの少しだけ強い、ということなのかもしれない。

 

しかし、文章でお金がとれると言われても、どういうものをどれくらい書いて、それがいくらで売れるのか──自分では見当もつかない。何ならこちらがお金を払って読んでもらうくらいの気でいたものだから、そういう意見は大変斬新でありがたかったのだけど、この先ブログを有料とすることは絶対にないだろうと思う。

 

もしかすると、僕はセルフプロデュース能力とやらが著しく低いのかもしれない。というか理由はよく分からないけれど、昔から〝Web発〟みたいなのがとにかく苦手なのだ。これについては深く考察したことがなく、今後もするつもりはない。発信のやり方次第でいくらでも有名になれる世界とあって、僕のような「誰かに読んでさえもらえればそれでいい」という考えは、マネタイズの側面からも非常にもったいなく映るのだろう。

 

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前置きが長くなってしまった。 

 

苦手と言いつつ、それでも感想を書かずにいられなかったのは、綿矢りさの「生のみ生のままで」だ。

 

生のみ生のままで 下

生のみ生のままで 下

 

 

 

正直、僕はこれまで綿矢りさの小説には何度も泣かされてきた。「生のみ生のままで」も当然そのうちのひとつで、このお話は主人公の逢衣とそのパートナー彩夏の同性同士の純愛を描いた、ド直球の恋愛小説になっている。

 

 

・あらすじ(Kindle版より)

「私たちは、友達じゃない」25歳、夏。恋人と出かけたリゾートで、逢衣(あい)は彼の幼なじみと、その彼女・彩夏(さいか)に出逢う。芸能活動をしているという彩夏は、美しい顔に不遜な態度で、不躾な視線を寄越すばかりだったが、四人で行動するうちに打ち解けてゆく。東京へ帰った後、逢衣は彩夏と急速に親しくなった。やがて恋人との間に結婚の話が出始めるが、ある日とつぜん彩夏から唇を奪われ、「最初からずっと好きだった」と告白される。彼女の肌が、吐息が、唇が、舌が、強烈な引力をもって私を誘う──。

 

 

印象に残ったシーンをいくつか挙げてみるが、少々のネタバレを含むため、すでにこの本を読む予定があって、かつ絶対に展開を知りたくないという人はここでページを閉じることをおすすめする。

 

 

逢衣にはもともと颯という恋人がいて、結婚目前だった。ノンケとして普通に生きていた彼女だったが、ある日リゾート地で知り合った彩夏から告白されると、それまでの穏やかな日常は一変する。

 

「違う。男も女も関係ない。逢衣だから好き。ただ存在してるだけで、逢衣は私の特別な人になっちゃったの。逢衣に会うまで女の人なんてむしろ嫌いなくらいだったよ、どんな魅力的な女の子でもライバルとしか思えなかったし女友達もほとんどいない。でも逢衣だけは性別を超えて、特別の格別の存在として私の目に入ってきた」

 

このあたりはノンケの綿矢りさだからこそ思いつく展開なのだと推測する。もしくはいわゆるパンセクシャルという、年齢性別関係なく誰でも恋愛対象になりうる人物を描こうとしたのかもしれない。

 

彩夏の突然の告白に、逢衣は心の動揺を隠せない。

 

 一目惚れというやつなのかもしれない。でも、少しくらいは相手を選ぶべきでは? ひたすら困惑だけが薄黒い雲になって心を覆う。

「あのさ、はっきり言うけど、私は女の人は好きにはなれないよ」
「女の人を好きになれなくてもいいよ。私さえ好きになってくれれば」

 

 私は思わず彼女の額をこづいたが、二の句が継げない。性別は関係ないって簡単に言うけど、誰かを見たとき一番最初に登場する馬鹿でかいフィルターを、度外視するなんてできるのだろうか。女の友達として心を許しきっていたあのタイミングでダイレクトに想いを打ち明けられて、心臓を直接掴まれたように動揺し続けている。ずっと素で接してきて、今さらバリアも虚勢も張ることができない。

 

彼女の中でこの「馬鹿でかいフィルター」は次第に外れていくことになるのだけど、この辺りの葛藤がやけにリアルに響くのは、僕自身が純粋にノンケというマジョリティ側の気持ちを知らないからかもしれない。

 

紆余曲折あり、やがて正式に付き合うことになるのだが、ある出来事がきっかけで二人は長い間離ればなれになってしまう。

 

僕が号泣したのは、会えなくなってから数年後、逢衣が彩夏に書いた一通の手紙だった。ここではあえて内容は省略する。

 

そしてようやく再会すると、冷凍保存されていた二人の愛は時間をかけてゆっくりと解凍されていく。一番印象に残ったのは下巻の後半、芸能人である彩夏が「いっそのこと、私たちの関係を世間に公表するっていうのはどう?」と逢衣に提案するシーンだった。

 

「今の時代だもん、変に冷やかす人たちはもちろんいるだろうけど、普通に受け止めてくれる人や応援してくれる人もたくさん出てくると思う。私たちが公表することで他の同じようなカップルが勇気づけられるかもしれないし。

(中略)

 色んなことを言う人たちがいるかもしれないけど、理解のある人たちを見つけて、その人たちと付き合っていけば、ちゃんとこの世界でも息を吸えるよ」

 

理解とは何だろうか。分かったふりをしてみることだろうか。それとも僕たちにとって都合のいい振る舞いをするということだろうか。僕はマジョリティ側の人間じゃないから、この理解という言葉の意味を曖昧にしか「理解」できない。

 

彩夏の提案に対し、逢衣は決して首を縦に振ろうとはしなかった。

 

「私は友達だと思われたままでいい。周りにどんな関係と思われていても気にしない。それより安全な場所でずっと一緒にいられることのほうがよっぽど大事」

 私たちは世間からのどんな反応にも立ち向かえるかもしれない、でもできるからと言って私はあえてそれをしたいとは思わない。私は私たちがどんなカテゴリに分類されるかさえも、知りたくはなかった。人生は一度きりだ、誰をどんな風に愛して来たかだけを重要視して生きていきたい。

 

 何らかの権利を獲得するため行動を起こすつもりもない。アクションを起こす人たちを尊敬してはいたけど、たとえばもうこれ以上誰にも翻弄されたくないという強い思いがパートナーとして公に認められる可能性の芽を潰してしまったとしても、それも覚悟していた。

(中略)

 こそこそしている、卑怯だと言われてもいい。もう私はこれ以上私たちの愛を世間の激しい雨風に晒したくなかった。いくら相手を愛していても、愛は繊細で脆い。たくさんの試練に耐えて磨かれるのを目指すより、私は彩夏との愛をこれ以上ないほど大切にして、ゆっくり育みたい。

 

「私は私たちがどんなカテゴリに分類されるかさえも、知りたくはなかった」という台詞がとくに胸に刺さった。小説家としての矜持なのだろう、物語中その類いの言葉は徹底して伏せられていて、それは書かないことでしか表現できないものだった。

 

書かれないから、想像する。想像するから、優しくなれる。綿矢りさは、そういう読者との駆け引きが本当に上手な作家だと思う。

 

結局公表はせずに、二人はひっそりと愛を誓い合う。そのシーンで僕はもう一度、目の前が霞んで見えなくなるくらい号泣した。

 

「逢衣、結婚しよう」

 彼女の言葉が身体の中心の深い場所まで落ちて底へぶつかると、これ以上ないほどに切ない音色が反響した。心の内膜が剥がれるように涙がこぼれた。これ以上ない言葉のはずなのに何故だろう、この世で一番切ない気持ちになる。彩夏もまた穏やかな微笑みを浮かべながら、薄く涙の張った瞳で私を見つめている。

「私たちにとっての結婚て何?」

「誓うこと。一生寄り添い愛し合うって神様の前で宣言すること」

 

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一般的に男は価値観を、女は時間を共有したがる生き物だという。男同士は会わなくても意外と平気だったりするから、実際に相手が目の前にいるというその事実が、本当は奇跡みたいに価値のあることなのだと小説を読んで思い知った。そういう意味では女性同士という僕らと対極の同性愛にあって、この「会えない」という状況はものすごい試練だったと思う。久しぶりに心が震えた良作だった。

 

マイノリティの「理解してほしい」と「理解させたい」が混濁し、明確な違いを持たなくなった昨今、各々の生きづらさという主観が寄り集まって数になると「割を食っている」という共感は連帯して膨張し、もはやどういう状況が生きやすいと言えるのか誰にも説明できなくなった。あらゆる人々の本音が可視化されたことで、ハンデを負った側の「誰かのせいにしたい」という気持ちがより強まってしまったようにも思う。

 

そういう時代において、この小説が書かれた意味は何だろう、と、読み終えてから漠然と考えている。たぶん簡単に答えは出ないけれど、僕はこの先もずっと、この問いを考え続けていくだろう。

 

「彩夏の名前すら人前で呟けない人生でも、私は毎日を一緒に過ごせれば、これ以上ないほど幸福だよ。彩夏と一緒にいられたら、私にはどんな場所も日向だよ」

綿矢りさ「生のみ生のままで」2019年)