聞き屋のたぬ吉

矛盾の総和が人生だ

ヘルメットを、かぶせてあげよう

昨日の中央線下り、ほぼ終電に近い車内で、乗客同士のトラブルが目の前で始まった。ガラの悪い若い男ふたり(たぶん少し酔っている)に、眼鏡にマスクのまじめそうな男の子が執拗に絡まれるという構図。ふたりと言っても騒いでいるのは片方だけで、もう片方はキレている男の子をうしろからおさえて止めようとしていた。ただ、止めてはいるが本気ではなく、なだめすかそうとして失敗してしまっているみたいだった。

 

会話は車両がきしむ音に紛れて切れ切れで、その全部を拾うことはできなかったが、男の言いたいことを要約すると「お前、俺のこと笑っただろう!」というような内容らしかった。

 

僕と彼らはそれぞれ4ドアの車両の、7人がけのシートひとつ分くらい離れたところに立っていた。凝視していると、キレている男が眼鏡君の髪の毛を掴み、その頭を勢いよく手すりに打ちつけ始めた。ゴゥン、ゴゥン、と、金属と頭蓋のぶつかる音が車内に響き渡る。周囲の人たちはその状況を固唾を飲んで見守っている。

 

ややあって遠くのほうから「警察呼ぶぞォ!」という女性の叫び声が聞こえた。男は「あぁン!?」と反応するがすぐに向き直り、ふたたび眼鏡君に掴みかかる。僕のななめ後ろの男が聞こえよがしに「外でやれよォ」とあさっての方向を見ながら言った。注意をする、というのではない、嫌味を多分に含んだ、いわゆる〝ヤジ〟を飛ばした格好だった。

 

「あぁ!? 今言ったやつ誰だよ!! 出てこいやぁー!!」

 

ヤジを飛ばした男は当然のように無視している。うるさくて迷惑をしているが、直接関わりたくない、でも、何かひとこと言わずにいられない、そういう心理状況だったのだろう。

 

絡んでいる男は「男だったらやり返せよ! 殴って見ろよ!」と無抵抗な眼鏡君を煽る。眼鏡君はマスクをしているから、表情の全てを見ることは出来ないけれど、目もとが薄く、薄く、嗤っている。その瞳は怒りと軽蔑に燃えている。何か反論もしているが、声が小さくてここからでは聞き取れない。取り乱すまいと必死なのか、妙に冷静な様子だった。

 

膠着状態は続く。誰かが緊急停止ボタンを押したのか、車両が途中で急停車した。車内アナウンスが流れるがうまく聞き取れない。僕はふたりから目が離せない。どうかこれ以上は、と、願うことしかできず、ふたたび車両が動き出す頃にはどうしようもなく心臓が早鐘を打っていた。

 

最寄り駅に着くと、ホームには制服を着た人たちが何人か待機していて、ドアが開いて出てきた瞬間ふたりを止めにかかっていた。ヤジを飛ばした男はその場を素通りし、改札口にいる駅員に向かって「あいつ逮捕してくれよ!」と訴えていた。

 

 

僕のブログを長く読んでいる人ならだいたい予想はつくと思うけれど、僕は終始、ガラの悪い男のほうに感情移入していた。怒りの手前の感情は悲しみである。男の心情を言語化するならこうだろう。「俺は嗤われて悲しいんだ。正確には、君が俺のことを嗤ったかどうかわからないんだけれど、嗤われたような気がして悲しいんだ。その目をやめてくれよ、頼むから、その『目』をやめてくれよ!!」

 

(本当はこんなことが言いたいんじゃない、こんなことがしたいんじゃないんだ、でも………!!)

 

その状況に心当たりがありすぎて、僕はいっそ彼を黙って抱きしめてあげたい衝動に駆られた。たぶんそんなことをしたら何をされるか分からない。と、いうのは、興奮した状態では、抱きしめられることと止めにかかる意図で動きをおさえつけられることの区別がつかない可能性があるからで、彼を信用していない、という意味ではない。目が合えば、きっと大丈夫だろう。僕が後者を意図していないことをきっと、分かってもらえるだろう。

 

 

ネットと現実の両方で「あの人に関わってはいけない」というレッテルを貼られることに慣れすぎた僕は、人とぶつかってしまう性格をどうにかしたり、積極的に解決しにいくというのではなく、フィクションの世界に逃げ込んてしまった。最近は小説の書き方を勉強するために某スクールに通っていて、昨夜も合評会から帰ってくる途中でこのような状況に出くわしたのだった。

 

──────────

 

電車の話とは関係ないけれど、僕には去年からずっと心の中で謝りたいなぁと思っている人がいる。直接連絡してみようかなって考えたことも何度かあったけど、そんなときは高山羽根子の小説「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」に最後の最後で出てくる文章が頭の中によみがえってくる。

 

「どうしてあんななったのかわかんない。わかんないよ」

「こんな追いかけられて、追いつかれて、むりやり謝られても、困る」

 私は謝られるのが怖くて逃げてたんだ、と考える。こんなきれいなニシダが、こんな虫まみれで、美しくもない顔と背中と、かつて丸かったお腹を持った、みじめで、どうしようもない私なんかに謝りたくて走ってきているのに。

 そんな状態から、私はどうやって逃げおおせるなんて思ったんだろう。

 

 もうそうやってたぶんニシダはずっとこの後ごめんと言いつづけるような気がする。謝ってすっきりされるために追いかけられる、こっちの身にもなってみろ、と思う。

「謝ってすっきりされるために追いかけられる、こっちの身にもなってみろ」

 

相手に要求されていない謝罪は単なるエゴである。所詮は以前と中身の何も変わっていない愚かな自分が「許された」という実感を得たいがための感情の押しつけであり、この通り私は謝りましたが、許すか許さないか、あとはあなたの問題です、さぁ、どうしますか? と、その実相手の優しさや器の大きさを試しにかかっているだけなのかもしれない。

 

だから、僕は相手を苦しめることのないように、直接謝らない謝り方を必死で模索する。もしも小説でそれができたら、とも思うけれど、変に湿っぽくなっては意味がないんじゃないかとも思う。昨夜は眠る直前、そんなことをぐるぐると考えていた。

 

そうしたら、夢の中に彼が出てきた。

 

彼は「こっちこそ素っ気なくしてごめん」みたいなことを言ってくれて、僕はむせび泣く。彼の大事にしていたものをかき回すだけかき回して、間接的に、無遠慮に言いたい放題言ってしまった僕には、きっと謝る権利すらない。それなのに、こんな都合のいいことを彼に夢の中で言わせている自分に無性に腹が立った。いい加減にしろよ自分、と思った。

 

それでいて、可能性はとても低いだろうけれど、もしかすると今でもときどきこのブログを読んでくれているんじゃないか、と、心のどこかで期待していたりもする。ただ、もしこの記事を読んでくれたとしても、具体的なことは一切書いてないので、彼が自分自身のことを指していると気づくかどうかは正直分からない。それでもどうしても書かずにはいられなかった。そのくらい、夢の中でも相変わらず穏やかで、かっこよかった。

 

 

矛盾の総和が人生なわけで、だからこそ彼が今後どんなふうに変化しようとまったく彼の自由なのだけど、どこかで隠れて泣いているようなことがあったらイヤだなぁ、と思う。いろいろがんばっているけれど、思ったほどみんなは僕のこと見てくれないなぁ、関心がないのかなぁ、と、さびしさで落ち込むことがあるとしたら、きっと僕も同じだけ悲しくなってしまうから。

 

そういえばあいみょんがある楽曲の中で「今はまだ伝えられないけど、最悪でも、僕だけはここにいるから」って歌っていた。僕はたぶん一生伝えることはできそうにないけれど、遠くから彼に向けて、ずっとずっとそんな気持ちを抱きながら、これからの日々を過ごしていくのだと思う。

 

電車で騒いでいたあの男にも、いつか相手に暴力を振るったことを謝りたいと思うときが来るだろう。そのときはどうか、相手を必要以上に追いかけてしまわぬよう願うばかりだ。

 

 

 そうやって私も、おばあちゃんやお母さんと同じように、手ごたえ無く殺した小さい虫を、なかったことにしてきたのかもしれない。ひょっとするとお母さんももうすでに、ちょっとした不都合で命がどうこうという問題は起こらないと考える、小さい虫に不快を覚えることもない、背中のきれいな人になってしまっているのかもしれない。

 そう考えたすぐあと、ただ、おばあちゃんやお母さんは、今の私が見えていないいろんなものが見えているかもしれないな、とも思う。私だって、今、自分のまわりにこの虫とは別のなにかがいっぱいあるのに気づかないで、生きているのかもしれない。

 私は心の中で、目の前で泣きじゃくっているニシダにヘルメットをかぶせてあげよう。

高山羽根子「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」2019年)

【追記】模倣から始め、半歩先をねらい独創を

昨日、一昨日と名古屋に行ってきました。目的はナイモンで知り合ったM君とのリアルで、彼とはけっこう長いことメッセ(途中からLINEを交換した)でやり取りしていたこともあり、お互いイメージどおり、すんなりと馴染むことができました。

 

なんだかすごく長いようで短い二日間でした。ブログに書くのがもったいない、というか、ざっくりとはまとめられないくらい様々なことを思ったり考えさせられたので、これはいつか小説にすると思います。ここに載せるかは未定ですが。

 

ひとつだけ書いておくと、オイラはやっぱり某SNSをやっていない人が好きみたいです(やっている人が嫌い、ということではありません)。それはSNS全般と程よい距離を保っている人のほうがより信用できる、と言い換えられるかもしれません。

 

かくいうM君もそういったSNSの類いはまったくやってなくて、あの文化というか界隈について互いに話しているときに、なんだかすごく本質的なことを言ってくれたんです。なので今回、それが自分の中でとても大きな収穫になりました。

 

M君、楽しい時間をありがとうございました。

 

──────────

 

話は変わって、先日タピオカ小説のほうが書き終わりましたw

 

三ヶ月くらいかけて気ままにのろのろと書いてきたのですが、合計で約25,000字とまぁまぁの長さの短編になりました。途中プロットから大きく脱線することもなく、ほとんど最初の設定どおりの展開になってほっとしています。

 

小説を書く上で一番大事なことは、文章の巧拙だとか内容がどうだということでなく、きちんと最後まで完成させることなんだそうです。なので非常に拙い文章ではありますが、ひとまず目標が達成できたことは素直に嬉しく思います。最後まで読んでくださった方、メールやリアルでわざわざ感想をくださった方、どうもありがとうございました。

 

読書好きの、とくに純文学作品を読み込んでいる人にはとっくにバレていると思いますが、僕は基本的にある有名な作家の文体を参考にして小説を書いています。最近はその人だけでなく、他の作家の文体もちょくちょく参考にはしているのですが、ここ数年で本格的に読書に目覚めたような素人が最初からオリジナリティ溢れる文章なんて書けるわけないんですよね。なので、今はとにかく表題の言葉に忠実に、模倣から始めているところであります。

 

これ、ずいぶん前にどこかで見かけて、何となく覚えてた言葉なんです。調べてみたら調布の「シュベール」っていう喫茶店の標語だそうで、言われてみればたしかに行ったことがあるお店だったので、たぶんここで見かけたんだと思います。記憶が曖昧で申し訳ない………(ちなみに自分はレトロな純喫茶が大好きで、おすすめは日暮里駅前にある「ニュートーキョー」です)。

 

 

そこで軽くお知らせなのですが、このたび11月24日(日)に東京流通センターで開催される文学フリマ東京に「宮野影一」というサークル名で出展することになりました。

 

bunfree.net

 

 

今回販売する小説は「タピオカ禁止法」のみですが、その他いくつか書き下ろしの掌編も無料で配布する予定です。表紙のイラストは長岡真李和さんにお願いしました。

 

mariolab.myportfolio.com

 

 

入場は無料ですので、小説などに興味のある方はぜひ気軽に遊びにいらしてください。

 

当日のブースの配置などは確定次第、随時こちらに追記したいと思います。

 

*追記*

ブース配置は【ウ―30】です!

ポスターはこんな感じに仕上がりました。

なかなか可愛いと思いませんか?^^

 


f:id:nemusan:20191112232822j:image


f:id:nemusan:20191112232835j:image

はりきって50部も刷っちゃいましたw

今回は勉強させていただいて、1冊500円で販売いたします。こんなディスタピア小説、他にはありません……!w

 

 

会場でお待ちしています`^ω^

【小説】タピオカ禁止法(最終回)

  タピオカワールドが爆破される、死傷者50人以上か

 

 東京タピオカワールドはたしか先週末、渋谷区に期間限定でオープンした謎のテーマパークだった。チケットは予約開始と同時に即完売で、オープン初日にはつい最近タピオカ大使に任命されたという人気タレントのディーン・タピオカ氏が来場し、大盛況だったと話題になっていた。

 

 まさか、そんな場所がテロの標的にされてしまうとは、一体全体どういうことなんだ。

 

「そうだ、こういうときこそ」

 

 例のSNSで〝タピオカワールド〟と検索すると、現場近くにいた人が撮影した動画がちょうど一分前に上がっていた。「何だこれぇ……」撮影者の動揺した声とともに映し出されたのは、黄色いバリケードテープ越しに見える、オレンジ色の炎に包まれた二階建ての建物だった。

 

 警視庁 立入禁止 KEEP OUT ガラスの割れる音 もうもうと立ち上る黒煙 悲鳴 子どもがまだ中に 警視庁 立入禁止 KEEP OUT 小走りの警察官 危ないですから下がってくださぁい パトカー 救急車 けたたましく鳴り響くサイレン 警視庁 立入禁止 KEEP OUT 煤 這々の体で屋外へと逃げ出す人々 消防車 やじうまのどよめき テレビで絶対に映せない状態の人 警視庁 立入禁止 KEEP OUT お願い早く テレビカメラ 報道陣 スマホを向ける人 スマホを向ける人にスマホを向ける人 ヘリコプター 一〇二五件の再生 警視庁 立入禁止 KEEP OUT

 

 胸くそが悪かった。何でよりによってこんなときに、こんな事態を〝知らされ〟て、こんな映像を〝見せられ〟なきゃならないんだ!?

 

 俺はスマホを地面に叩きつける。ふりをする。スマホを掴んだ右手を振り上げて遠くへ放る。ふりをする。むかし見たドラマのワンシーンみたいに、いっそケータイを真っ二つに折って壊して、ひと思いに遠くへぶん投げたりできたらどんなにか良かっただろう。

 

 でも、いま俺が手にしているのはスマホであってケータイじゃなかった。握りしめているのはGoogleで、LINEで、YouTubeで、そうした複雑怪奇でバカバカしいシステム世界の総和であって、それはもう単なる携帯可能な電話機としての存在なんかじゃなかった。

 

 損得勘定が現実と妄想を査定する。壊す? 捨てる? とんでもない、却下だ。

 

 スマホを手放すことで生じると予測される、あらゆる面倒ごとや損失の数々──それらはこのもっとも純粋であるはずの破壊衝動すら、とっくに凌駕してしまっていたのだった。

 

 陽は沈み、背後に薄ぼけた宵闇が迫っていた。俺はスマホをポケットにしまい、意を決して角を曲がる。見覚えのあるアパートがあった。彼女の住む二階の左の角部屋に電気はついていない。集合ポストを覗いてみると、二〇一号室のポストは抜き取らずに放置された大量の郵便物でふくれ上がっていた。

 

 手を伸ばしかけて、引っ込める。しばし思案する。そしてもう一度手を伸ばし、金属部分に触れる直前で再び理性が来て、やはり、引っ込める。

 

 見て、どうする? 

 知って、どうする? 

 その先の責任は、取れると思うか? 

 俺にその先の責任が、本当に、取れると思うか……?

 

 ねぇ、答えてよ、茜──。 

 

   *

 

 タピ国党の田比花孝志代表は、その秋におこなわれた衆議院議員選挙において大勢のボランティアスタッフと共に各所を走り回り、徹底したドブ板選挙を展開した結果、比例代表で見事当選し、国政への進出を果たした。

 

 それと同時に、選挙直前に起こったタピオカワールド爆破事件(通称・タピオカ事件)は言わずもがな日本中を震撼させ、国民のタピオカに対する意識を変えるきっかけとなった。そしてかつてのバブルが弾けるように、タピオカブームは終焉へと向かっていった。

 

 タピオカ事件は当初、国際的なテロとの見方で捜査が進められていた。警視庁は「国家の威信をかけて全力で捜査する所存」と息巻いたが、半年近く経った今もその犯人を特定できず、未解決のままとなっていた。それでも合計80人以上の死傷者を出したことから世論は国会にも大きく影響を及ぼし、タピ国党が公約として掲げていた例の法案が国会に提出されると、衆参共にほぼ満場一致で速やかに可決・成立した。

 

 こうして「タピオカ禁止法」はこの春から施行されることになった。

 

 一時期あれほど出店競争を繰り広げていたタピオカ屋は、今や見る影もなくなってしまっていた。一部でヤミタピオカなるものが出回っているとの噂もあるが、詳細は不明だ。

 

〝専門家〟の人たちは次に来るブームについて「タピオカの流通が法律で禁止されてしまった手前、この手の一大ブームは当面のあいだやって来ないんじゃないか」と口を揃えたように意見していた。

 

 いずれにしても街に平和が戻るのはいいことだ──と、思っていた矢先。いつものように休日に駅前を歩いていると、かつてコンチャがあった駅ビルの一角に、新たな業態の店がオープンしているのに気がついた。俺は目が悪いので、中で何を売っているのか外の通りからだと確認することができない。しかしやたらと繁盛している様子だった。

 

 まぁ、どうせ俺には関係ないことだ。そう思って通り過ぎようとしたとき、

 

「広がって立ち止まってんじゃあねぇよ! お前らみんな、邪魔なんだよう!」

 

 と、やや舌っ足らずな優しい怒鳴り声が聞こえてきた。振り向くと、自分と同年代か少し下くらいの男が店の前の客に向かって感情を露わにしていた。

 

 ちょうど見たい服があったので、その繁盛している店のあるビルに一階から入ることにした。人だかりの先に目を凝らしてみると、そこで売られているものには見覚えがあった。まさか、次はあれが流行るっていうんじゃ……。

 

 見なかったことにしよう。

 

 売り場につくと、目当ての服は最後の一点になっていた。電話して取り置いてもらえばよかった。もう、どうせ名前を間違えられる機会もないだろうから。

 

 鏡に向かって服を合わせていたら、久々に茜のことを思い出してしまった。この店には彼女と何度か一緒に来たことがあった。なぜか気まぐれを起こして、お揃いのパーカーを買ったこともあったんだっけ。

 

「オマタシマシタ、ドゾー」

 

 あの日以降もLINEの既読はつかないままになっている。俺は結局、彼女を恋愛対象として好きだったんだろうか。それとも

 

「サイズ、エムデヨロシイネ?」

 

 好きとかじゃなく、音信不通になったことで、何か大きな魚を逃したような気持ちになってしまっているだけなのだろうか。こんな事態になるのなら、さっさと付き合っておけばよかった、というくらいの。

 

「オカイケサンゼンロッピャクハチジュウマンエンネ」

 

三,六八〇万円……まさか、何か金銭関係のもめ事に巻き込まれてしまっているとか。それで拉致されて、今ごろ山奥なんかに遺体を埋められて。 

 

「ハイ、ヨンヒャクマンエンノオカエシ」

 

 駄目だ、悪いほうにしか想像できない。もう考えるのはよそう。彼女はきっと、今もどこかで生きている。というか、さっきから店員がおかしい。

 

 名札にはカタカナでグェンと書かれていた。あぁ、そういえばこの店は以前。

 

「アリガトゴザマシター」

 

 ふと右を向くと、隣のレジに見覚えのある人物が立っていた。さっき一階の店で見かけた、あの男だった。

 

「すみません、先ほどお電話をした、鉈手ともうします」

 

(了)

 

 

〈参考資料〉

「やさしさをまとった殲滅の時代」堀井憲一郎講談社現代新書

「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫(集英社新書

【小説】タピオカ禁止法(10)

 またか、という気持ちになったのと同時に、ひょっとするとあの事件の犯人はSなのではないかという考えが頭をよぎった。しかし証拠はどこにもなかった。


 それに、こんなに簡単に手に入る(信用できるかどうかも怪しい)情報の断片だけで容疑者が割り出せるのなら、もうとっくに警察がマークしているはずだった。素人考えで事件が解決出来るなら、警察なんて必要ない。むしろ「T・A」の容疑者Aと友人Sがどこの大学に通っていて、本名は何というのか──そちらが特定されるほうが、たぶん早いのだろうと思った。

 


[全日本反タピオカ連合会]といくらネットで検索をかけても、それらしき情報は出てこなかった。そのかわり、ページのトップに表示されていたのは「タピオカから国民を守る党」という、最近結党したばかりらしい政党の名前だった。

 

 Aがメンバーだったというそれとはたぶん無関係だろうなと、一旦画面を閉じかけたが、その胡乱な政党名がどうしても気になって、結局はそのまま調べてしまった。


 実際、全日本反タピオカ連合会との関連性は明らかにならなかったが、タピオカから国民を守る党(通称・タピ国党)はとくだんふざけた組織という訳でなく、「タピオカ禁止法」の制定を目指してワンイシューで活動中の、あくまでもちゃんとしたマジメな政党らしかった。


 タピ国党はインターネットや街頭演説などを通じて、じわじわとその支持を広げているという。YouTubeにも数年前から定期的に動画を上げているようで、再生すると田比花(たぴばな)孝志代表の、普通にしているはずなのにちょっと笑って見えるような独特な表情がスマホに大写しになった。

 

 ホワイトボードの前に立ち、拳をぐっと握りしめ、癖のある節回しでもってタピオカへの持論を熱く語っている。そのシルエットはどこかで一度見たような、もしくは誰かに似ているような気がしたのだが、それがいつの、誰のどういう記憶だったかは思い出せなかった。


 一方で、Aが所属していたという例の組織はSNSなどにもいっさい情報が出回ってなくて、自力ではこれ以上調べようがなかった。単なる周囲の噂話か、もしくは悪意ある誰かの適当な作り話だったのかもしれない。


 だから、というと言い訳のようだけれど、俺の興味は順調にこのタピ国党へと移りつつあった。単純だとは思うけれど、田比花代表の、あの視聴者をアジテートするような動画を見ていたら、俺の中のタピオカに対する憤りが再燃したようだった。

 

 タピ国党は間もなくおこなわれる衆議院議員選挙に向けて、いよいよ本格的に始動するところだという。

 

   *

 

「干渉はしないようにしよう」と彼女は言った。

 

「そうだね」と俺は返した。


 出会ったばかりのころに交わしたその会話は、深読みさえしなければ、さっぱりした付き合いを望む人間特有の単なる予防線に過ぎなかった。でも、彼女の言うそれは少しニュアンスが違うような気がした。その言葉が、純粋に無関心でいてほしいのではないということくらい、俺には容易に想像できた。

 

 本心では干渉の少し手前くらいの、ギリギリ煩わしくない程度の興味だとか関心──そういうものをうまいこと自分に向けてほしかったのだ。それは俺の中で確信を持って言えるほど、極めて真実に近い推察だった。


 彼女はさびしさと向き合わないように、常に工夫を凝らしているみたいだった。「さびしい」と言ってしまったら、押し殺していた感情が堰を切ったように溢れ出すから、そうならないよう細心の注意を払いながら生きていたのかもしれない。

 

 本当の感情に気づかないふりをすることを、むしろ生きがいにしているんじゃないかというほど、彼女はよく出来たポジティブを身に纏っていた。さびしさを基準に生きる人間は、同じ性質を持つ人間に異常なほど敏感だった。


 彼女が求めていたのは孤独だと思う。精神的な安らぎだとか、そういう〝不安定〟な類いのものでは絶対になかった。圧倒的な孤独を感じたかったのだろう。だから何度も何度もセックスをした。人と人はどう足掻いたってひとつになんかなれないってことを、ふたりで嫌というほど繰り返し確認し合っていた。

 

 人間のさびしさのピークというやつは、カラダを重ね合わせたその刹那にこそやってくるのだ。

 

 俺たちは「恋人」という終わりの始まりをあえて選ばなかった。だからふたりはまるで最初から、付き合っているころは喧嘩ばかりだったのに、別れてからのほうがかえって関係がうまくいっている元恋人のように軽やかだった。

 

 始めてしまうことで終わりが来るのなら、いっそ何も始まらなくてよかった。


──恋人以上、友達未満。

 

 いつか茜がふたりの関係につけた名前だった。それって、ふつう逆じゃないの、と野暮なことを聞く俺に、彼女はとくに説明をするでもなく、これで合ってる、と言った。それなりに考えられた言葉なのだろう、言い得て妙だと思った。


 正直、今もこの言葉の意味はよく分かっていない。でも、俺は俺の人生において、必ずしもすべての物事を理解する必要はないのだと、やがて知ることになるのだった。

 

   *

 

 気がかりなことがあった。それはあの日以来、茜とまったく連絡がつかないということだった。


 LINEでのやり取りは八月十二日のメッセージを最後に既読がついていない。それに例の動画がバズってからは、SNSの更新も止まっているみたいだった。彼女の自宅の場所は一応知っていたから、その気になればいつでも訪ねて行けるのに、必要以上に詮索したくなくて今日の今日まで保留にしていた。


 あれからすでに二ヶ月以上が経過している。正直これまでもこういうことは何度かあった。でもさすがにSNSの更新まで止まることはなかった(さかのぼっても投稿が途切れている様子はなかった)し、既読スルーはあったとしても、メッセージ自体を読まないということは一度もなかった。だから今回ばかりは、いよいよ何かあったのではないかと本気で心配していたのだった。


 次の角を曲がれば、彼女の住むアパートが見えてくる。それなのに、そこへ近づけば近づくほど、俺の足取りはじょじょに重たくなっていく。いまさらなにを怖じ気づいているのだろう、もうほとんど目の前に来ているというのに。


 このまま引き返してしまおうか、そう思った瞬間、ポケットのスマホが振動した。ニュースアプリからの速報通知だった。

 

 つづく

【小説】タピオカ禁止法(9)

 三時になりました、ニュースをお伝えします。今日昼過ぎ、歩行者天国で賑わう東京・秋葉原の駅近くの路上で、男が通行人をトラックで撥ねたあと、次々にサバイバルナイフで切りつけました。東京消防庁によりますと十六人がケガをし、このうち五人が心肺停止の状態でしたが、男性二人が死亡しました。切りつけたのは二十五歳の男で、現場近くで取り押さえられ、殺人未遂の疑いで逮捕されました。事件発生からおよそ四〇分が経った、午後一時一〇分頃のヘリコプターからの映像です。JR秋葉原駅から北におよそ一五〇メートル離れた中央通りの交差点で、救急隊がケガをした人の応急処置をしている様子をとらえています。交差点の中央付近では人が倒れていて、救急隊員は周りを緑色のシートで囲んで心臓マッサージをしています。交差点の脇でも緑色のシートで囲んで、救急隊員がケガ人を手当てしている様子が見られます。また交差点の中には刺されて出血した痕や、鞄や書類が散乱している様子が見えます。今日午後〇時半頃、東京千代田区外神田のJR秋葉原駅近くの路上で、男が通行人をトラックで撥ねたあと、車から降りて大声を上げながら、次々にサバイバルナイフで切りつけました。現場は家電製品の量販店が建ち並んだ秋葉原の電気街で、当時は日曜日の歩行者天国で大勢の買い物客で賑わっており、東京消防庁によりますと、これまでに警察官を含め十六人がケガをし、このうち五人が心肺停止の状態でしたが、先ほど十九歳の男性と七十四の男性二人が死亡しました。警察によりますと死亡した二人の男性は、名前の漢字はまだ分かっていませんが、フジノカズノリさんと、ナカムラカツヒコさんだということです。刃物で切りつけた男は現場近くで取り押さえられ、殺人未遂の疑いで逮捕されました。逮捕されたのは静岡県内に住む加藤智大容疑者(25)で、警視庁の調べに対し「生活に疲れてやった」などと供述しているということです。また当初は暴力団員を名乗ったという情報がありましたが、その後、暴力団員ではないと供述しているということです。警視庁は通り魔事件と見て身柄を万世橋警察署に移して、犯行の状況や動機を調べています。

 

   *

 

「T・A」の犯人が逮捕されたという報道があったのは、例の動画が出回ってから一月ほど経ったころだった。


 加害者が男であるという情報は入ってきたが、名前は公開されなかった。それは彼が未成年(19才・仮にAとする)であるからだった。警察の調べによると、被害者はいずれもタピオカミルクティーを手にした若い女性だったことが判明した。Aは犯行の動機について当初は沈黙していたが、最終的には「イライラした、見ていて気に食わなかった」と話したという。


 被害、といっても先の殺人事件に比べれば可愛いもので、転んでちょっと膝を擦りむいたとか、ミルクティーが通行人にかかってしまったという程度でどうにか済んでいた。だからこそAが、なぜそんなくだらないことをしなければならなかったのか、その動機に注目が集まっていた。


 しかし本人が「気に食わなかった」以外の詳細を語らないので、世間はおよそ彼の心中を外側から推測するしかなかった。


 自分もAの犯行動機が気になって、新聞や雑誌、ネットニュースなど、この件に関する記事を片っ端から読みあさった。その中には首を傾げたくなるものがいくつもあり、ある媒体に掲載されていたコラムもその一つだった。


 いわく、〇〇年代半ば以降の日本では、それまで存在していた若い男性同士の「世間」というものがきれいさっぱり消えてしまった、その一方で、若い女性同士にはそうした「世間」というコミュニティーがいまだに根強く機能していて、タピオカブームはその最たるものだった、もしかすると加害者は、そうした現状が気に食わなかったのではないか、との分析だった。


 たとえば九〇年代までは、車や煙草、ファッションの流行など、若い男性の社会にも「これをおさえておけばまず間違いないだろう」的な分かりやすい共通項がたくさん存在した。早い話、みんな一斉に同じようなことをしていたのだ。それが今世紀に入るとインターネットが鳴り物入りで登場し、右へ倣えだった消費行動も個々に解体・細分化され、すべてにおいて効率を重視した結果、街中で起こる若い男性のムーブメントが目立って消失したという。ここまで、特に異論はない。


 問題は、そうした状況がもはや当たり前となった時代しか知らないAが、なぜああまでする必要があったのか、という点だった。


 つまり大きく捉えて〝若者世代の男性VS女性〟という対立構造を示唆しているのだろうが、Aがそれをわざわざ代表する理由が何なのか、肝心な部分が書かれていなかった。だいたいコラムの担当者が年配ということもあり、「飲食をしながら街を歩くという行動自体がみっともない」とも語っていて、それはただの後付けだと思った。

 

 他にも面白そうな分析はいくつかあるにはあったが、どれも決定打に欠けるような、分かるようで分からないようなもどかしいものばかりだった。

 


 それからしばらくして、またしても「実話ジャッカルズ」が独占スクープを報じていた。何でもAの知人を名乗る人物・K氏への単独インタビューに成功したのだという。


「Aが好きだった〝男〟がタピオカにハマってたんですよ。ハマるって言うのも、普通に飲み物として好きってことじゃなくて。女とセックスするときに毎回〝使ってた〟っぽいんです、あの例の女子大生の事件じゃないですけど」


 K氏の話を要約すると、Aはいわゆるバイセクシャルで、犯行当時、同じ大学に通うSというノンケの男友達にホの字だった。しかしSは見た目こそ地味だが、大学内でもけっこうな遊び人で知られていて、女の子のセフレもまったく片手で収まらず、その中の何人かとタピオカを使っていろいろ遊んでいた。Sはそういったアブノーマルな性癖を(未成年にも関わらず)酒の席でみずから明け透けに吹聴していて、そのおかげで周囲からはずいぶんと顰蹙を買っていたという。


「Aが若い女性とタピオカを恨んでいた理由は、たぶんそういう事情が関係してるんだと思います。それにAは〝全日本反タピオカ連合会〟のメンバーでもありましたから」

 

  つづく